ヘクトール④

 予想通り、責務だからとやはりレティーツィアは己を殺して俺に抱かれた。

 せめて責務だと思われない程度には、関係を改善したかったのだが、残念ながら俺にはその力が無かったらしい。

 だが一つだけ救われたのは、「想像以上に嫌われている」と言う問いに対して、「嫌ってはいませんよ。ただ関心が無いだけです」と言われた事か。

 まさかこの俺が嫌われていないと言うだけで、安堵するほどにレティーツィアに惹かれていたとは驚いた。

 まぁ二択なら〝嫌い〟なのだが……

 あえて言うならの方だ。少しくらい無視しても構わんだろう。


 レティーツィアと寝室を共にするようになり二ヶ月が経った。その頃からレティーツィアは、食事の席にほとんど姿を見せなくなっていた。

 体調不良だと聞き見舞いに行くと、侍女が現れて「お休みになられております」と門前払いをする。

 しかし何度訪ねても決まって寝ていると言うから、流石に避けられているのだと気付いた。

 きっと俺が何かしてしまったのだろうとは思うがとんと覚えがない。


 この日も俺はレティーツィアの部屋へ向かった。

 ノックをした後に出てきたのは、いつも通りライヘンベルガー王国出身の、眼鏡を掛けたロザムンデと言う名の侍女だ。

「申し訳ございませんがレティーツィア様はいまお休みになっておられます」

「またか!?」

「はい」

「なあロザムンデよ。

 レティーツィアが怒っている訳をこっそりと教えてくれないか?」

「そう言う質問をなさると言う事は、皇帝陛下にはレティーツィアを怒らせるような心当たりがあるのですか?」

「いいや何も心当たりが無いから聞いているのだ」

「でしたら堂々としていらしたらよろしいのではないでしょうか?」

「つまりお前は本当に眠っていると言うのだな?」

「はい」

「では医者はなんと言っている?」

 俺が聞くと、あの女医は「女性の事ですので」と言って言葉を濁したが……

「……さぁ存じておりません」

 これは流石に嘘だと分かった。ロザムンデはレティーツィアの事を女医から聞いて間違いなく知っている。

 あまり良くない手だが背に腹は代えられぬかと自分を納得させる。

「そうか分かった。だがこれ以上、判らぬのでは医者の意味もない。

 あの医者を解雇して、新たに別の医者を雇うことも考えねばならぬな~」

 そう捨て台詞を残して部屋を後にした。



 その日の晩餐。

 レティーツィアが久しぶりに食堂に現れた。

 俺ではなく女医の為にならばこれほど容易く出てくるのだなと思えば、くだらない嫉妬から声に苛立ちが混じった。

「もう加減は良いのか?」

「いいえ残念ですが良くありません」

 当たり前だが売り言葉に対して返って来たのは買い言葉だ。

 それを諌めているのかロザムンデが後ろからレティーツィアに何やら言っている。それがまた自分が無視されている様に感じて苛立ちを覚えた。

「何を二人でヒソヒソと言っているのだ。

 加減が良くないのに今日は来たのだな。一体どういう風の吹き回しだ?」

「私の体調が悪いのは本当です。しかし今日はお話があって参りました」

 その言葉の中に、さっさと話してさっさと部屋に帰りたいと言う気持ちが透けて見えたから、また苛立った。

 それほど俺との時間を過ごしたくないと言うのか!?

 だったらこっちにも考えがある!

「聞こう。だが俺は腹が減っている。食事後で構わないか?」

「分かりました、そうしましょう」


 食事が始まった。

 スープからサラダへ。レティーツィアは体調が悪そうな風もなく普通に食事を食べている。しかし次の魚の皿が来た時に彼女は口を押えて吐いた。

 食堂で悲鳴が起きた。


 まさか毒が!?

 一瞬そう思ったがそれにしてはやけに彼女の侍女らが落ち着いているような気がした。その証拠に、

「お待ちください! 落ち着いて!」

 ロザムンデが慌ただしいその場を治めようと叫んだのだ。

「ロザムンデよ。お前は事情を知るようだ、どういう事か言ってみよ」

 彼女が口を開きかけた所をレティーツィアが制し、自分で言うと立ち上がった。すっかり血の気が引いた真っ青な顔。

 その顔に少しだけ朱が戻ったところで、

「ヘクトール様。どうやら私は、懐妊している様です」

 懐妊?

 言われている事に頭が追いつかず一瞬呆けた。そして頭が追いついた瞬間、

「俺の子を、か?」

 と、感慨深い気分でそう呟いた。

 それを聞いたレティーツィアが烈火のごとく怒り出す。

「私が他の誰の子を宿すと仰いますか!」

 そう言う意味でとるのかと俺は慌てて謝罪した。

「ですから、いま吐いたのは毒などではなくきっと悪阻です」

「大丈夫なのか?」

「最初から気分が悪いと言っていましたが?」

 しかしレティーツィアは怒り冷めやらぬ様子でさらに捲くし立ててきた。

 あーうん。そうだったな。

 いつもの彼女と違って、いまはすっかり冷静さを欠いている様だ。これは敵わんと、俺は何とも情けない事だが逃げを選択した。

 一先ず引き取って貰い後ほど謝罪に行こう。時間を置けばきっとレティーツィアならば冷静になっている事だろう。

「そうであったな。誰ぞ、皇妃を寝室に」

「それには及びません。二人ともお願いね」

「「はい畏まりました」」

 嵐が過ぎ去ったかのような出来事に食堂の使用人らもほぅと安堵の息を吐いた。



 食事を終えてから少しレティーツィアから誘いがあった。まずは謝らねばと部屋に入り謝罪する。

 案の定、冷静さを取り戻していたレティーツィアは軽口混じりに、

「とても酷い事を言われましたわ。きっと今頃は、皇妃は誰にでも股を開くふしだらな女だと噂が広がっているでしょう」

 と言って笑った。

 良かったとこちらもそれに応じて軽口を返す。

「その様な事を言う不貞な輩は俺が容赦なく斬り捨ててやろう」

「あら頼もしい。とても噂の発端を作った人の台詞とは思えませんわ」

 だがこの聡明な妻は軽口が過ぎるぞとチクリと刺してくるのも忘れない。


「ではヘクトール様には罰を差し上げましょう。

 私をいかに愛しているかを毎日違う三人にお伝えください。一週間も過ぎればきっと、皇帝陛下は皇妃を溺愛していると言う噂に変わりますわ」

「そんな事よりももっと手っ取り早い事がある。

 明日にでも謁見の間に皆を集める事にする。その場で俺が愛を叫んでおこう」

「ふふふっそれ、本気で仰ってますか?」

 心からの笑みにすっかり機嫌が良くなったなと俺も笑い返したら減点された……

 なぁそれは誰でも引っ掛かる罠だと思うぞ?


 あの日以来、夜はレティーツィアから誘いが来るようになった。

 彼女が眠くなるまでのほんの少しの時間。

 五分の時もあれば二十分の時もある、呼ばれて言ってみたらもう眠っていたことだってある。しかしそうして語り合う時間はとても貴重で、二人の間に開いた溝、いや崖かな。それを埋めるのには大切な事だろう。


 きっと今以前の質問をすれば、〝嫌い〟ではなく〝好き〟と言われるのではないか?

 いいやまだ気が早いか……


 すっかり眠ってしまった愛しい妻に口づけをして今日も部屋を後にした。

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