40:告白
ヘクトールは私の誘いを断ることなく、ロザムンデと共にやって来た。そして隣の部屋におりますとロザムンデが下がると、
「先ほどは悪かった。完全に俺の失言だ」
開口一番に謝罪されて、そう言えば~と思い出す。
「とても酷い事を言われましたわ。きっと今頃は、皇妃は誰にでも股を開くふしだらな女だと噂が広がっているでしょう」
「その様な事を言う不貞な輩は俺が容赦なく斬り捨ててやろう」
「あら頼もしい。とても噂の発端を作った人の台詞とは思えませんわ」
「うっ済まなかった……」
「ではヘクトール様には罰を差し上げましょう。
私をいかに愛しているかを毎日違う三人にお伝えください。一週間も過ぎればきっと、皇帝陛下は皇妃を溺愛していると言う噂に変わりますわ」
「そんな事よりももっと手っ取り早い事がある。
明日にでも謁見の間に皆を集める事にする。その場で俺が愛を叫んでおこう」
「ふふふっそれ、本気で仰ってますか?」
「くっく半分はな」
釣られてヘクトールが笑みを浮かべた所で真顔に戻り、
「減点です」とピシャリと言ってやった。
「なっ!?」
「冗談はさておき、食堂に居た者には
「いいや」
「でしたらもう噂になっているかもしれませんね」
私は失敗したなと臍を噛んだ。だがもう遅い。
明日からは用心しないと……
「おい。ここは城の中だぞ、流石に
私は無言で首を横に振った。
「お忘れですか。その城の中で私は敵だらけになって孤立していましたよ」
「重ね重ねすまん」
「謝罪をして頂きたくて言ったのではありません。
逃げ出したリブッサの件もございます。残された彼らが一矢報いるのは今を置いて他にないでしょう」
修道院から姿を消したリブッサ。
彼女の行方は未だ知れない。
これでヘクトールは私がどれほど
「確かにレティーツィアの言う通りであった。俺も危機感を持つようにしよう。
まずは生活に支障が出ない程度に警備を増やしておく。それからお前を護るのに護衛侍女だけでは心もとない、女騎士を見繕って数人こちらに寄越すがいいか?」
「いえそれは……」
明らかに増やすと噂を肯定することになるからと私が言えば、ならば護衛は人知れず増やそうと新たな提案をくれた。
例えば私がどこかへ移動するとき、時間と道順を決めておき、そこを騎士らが歩きいつもよりも多くすれ違うようになど。
なるほどそう言うやり方もあるのかと納得する。
「それならば構いません。しかし人数や頻度といったさじ加減は私には分かりません。
ですからすべてヘクトール様にお任せいいたしますわ」
「ほお我が国きっての聡明な皇妃殿にも分からない事があったのだな」
「何を仰いますか、私には分からない事だらけです」
笑って貰う為に柔らかい口調で言ったつもりだが、ヘクトールは反応を見せずにジッと私を……
いや私のお腹を見ている様な?
無言でまじまじと見られると途端に気恥ずかしくなり、
「な、なんですか、さっきからジッと見つめて?」
「触れても良いか?」
「安定期までは……」
「いやそう言うつもりではない。その、お腹に触れても良いかと聞いている」
「あ、はい構いませんわ。
ですがまだ別段変わりませんよ?」
「いや構わない」
そう言うとヘクトールは手を少し持ち上げて、なぜか自分に向けて開いて閉じてを数回繰り返した。そしてそれっきり、彼の手が動く様子は無くなった。
「あのぉ手をじっと見て、どうかなさいましたか?」
「あ、いや、どう触れた物かなと思ってな」
なるほどねと私の口からクスリと笑いが漏れた。その微かな笑い声でヘクトールが少しだけ恥ずかしそうに眉を顰めた。
私は彼の手を取ると、その手を引き自らの下腹部へ当てた。
自分ではない手の感触。しかし触りたいと言った癖にやっぱり微動だにしない手に、今度は耐え切れずに声を上げて笑った。
「そんなに笑うことは無いだろう。どう触れて良いのか加減が分からんのだ!」
「だって夜と大違いで。ふっふふっ」
私は、お腹に手を当てたまま仏頂面をみせるヘクトールを見てしばし楽しんだ。
「今日は話しに誘ってくれてとても嬉しかった」
すっかり慣れたのか、ヘクトールは私のお腹を優しく撫でながら、ぽつりと呟いた。
「来年には子が生まれるのですもの、少しずつでも私たちが歩み寄らないとこの子が可哀そうですわ」
「そうだな。お前はいつも正しい。
だが俺はそんなお前を見ていると心配になる事がある」
「?」
意味が分からず私が首を傾げると、
「お前はいつも自分を殺してでも他人を優先するだろう。それがお前の美徳だが、いつか押し潰れて壊れてしまうのではないかと心配なのだ。
もっと自分に甘く、我がままを言ってくれたら助かるのだがな」
さらに続けて甘すぎるのは考え物だがなと苦笑した。
「そうでしょうか。私は随分と自分に甘いと思いますよ」
「何を言う。本当に自分に甘い人間ならば、従者の家族が危険だからとわざわざ罠と分かっている所に飛び込むわけが無かろう」
「ロザムンデの事ですね。その節はありがとうございました」
「礼には及ばん。俺にはお前が必要なのだ」
「例え嘘でもそう言って頂けると嬉しいです」
悩むまでもない、社交辞令には社交辞令を返すのが当然だ。
「いいや嘘ではない。
お前の予想以上に、俺はお前の事を気に入っている」
「ああっそう言えばラースから聞きましたわ。ヘクトール様は私の政治的な手腕を買っていらしたのでしたね」
「そうじゃない。
いいか! 俺はな。女としてお前を気に入っていると言っているのだ」
「は?」
「何を呆けているか」
「だってその様な事、初めて言われましたわ」
「初めて言ったから当然だ」
「えっと、ありがとうございます?」
「そこは普通にお礼で良いだろうが!」
もう少しだけ話していたかったが、迂闊にもふわぁと欠伸が漏れた。
その欠伸を境に、耐えがたい眠気が襲ってくる。ついにうつらうつらとし始めると、彼は私の背に手回してベッドに横たえてくれた。
去り際にヘクトールから「ありがとうレティーツィア」と言われたような気がするが、現実かそれとも夢の中の事だったか、私には分からなかった。
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