39:歩み寄る

 眠い。眠い。

 朝はいつも通りに目が覚めるが、眠気に勝てずにまた目を閉じる。しかし事情を知っている護衛侍女たちは簡単には眠らせてくれず、栄養のある食べ物や温めたミルクなどを食してからでないと駄目だと叱られる。


 とにかく眠い。

 朝を食べて眠り、再び昼に起こされて食事を食べて眠った。

 もう一度起こされたときは夕飯かと思ったら、私の持つ領地シュヴァイツェルシュペルグ伯爵領の書類が溜まっているとかで、書類にサインをする様にと言われた。

 この手の書類にそんなことを求めてはいけないのは重々承知しているのだが、面白味のない文面ばかりだから、内容を理解しようと読み進めると途端に眠くなる。

 今回ばかりは、領地管理の従者とトロスト将軍を信頼して、とにかく無心にサインを書く事に努めた。

「やっと終わったわ」

「お疲れ様です皇妃様。夕飯には起こしますのでどうぞお眠り下さい」

「そうするわ」

「レティーツィア様、お眠りになる前に少しだけよろしいでしょうか」

 横になろうとした所で今度はロザムンデが声を掛けてきた。

 彼女の言いたいことは理解しているつもりだ。だから聞きたくないとばかりに、私は布団を頭まで被って拒否の姿勢を見せた。

「レティーツィア様ちゃんと聞いてください。

 良いですか、今日であれから一週間経ちます。

 皇帝陛下は毎日訪ねていらっしゃいまして、日に日に機嫌が悪くなっておいでです。女医も隠し通すのに苦労している様子ですし、そろそろご決断下さい」

「いーや! 堅牢なロザムンデの砦に任せるわ」

「これ以上続けると女医が解雇されますよ! それでもよろしいのですか!?」

 そう言われてしまうと流石に起きない訳には行かないじゃないか。

 私は布団から首を出してハァとため息を吐いた。

「分かりました。今日は晩餐に出るわ」

「ではお伝え頂けますね?」

「……」

「レティーツィア様?」

「はいはい、分かりましたー」




 晩餐の時間になって起こされてみたが、やっぱり眠気には勝てずもう一度眠ろうといそいそと布団に潜りこむ。

「皇妃様、お時間です起きてください」

「レティーツィア様。まさかわたしとの約束をお忘れではないですよねぇ?」

 優しく起こそうとするヴィルギニアと違い、ロザムンデの方は何処から声を出しているのかと思うほど、底冷えする様な声が聞こえてきた。

 そぅと布団から顔を出すと、眼鏡を光らせたロザムンデが覗き込んでいる。

「ヒィィッ」

「あらあら人の顔を見て悲鳴を上げるなんて失礼ではないですか?」

「その眼はとっても怖いからやめて」

「起きて頂けるのでしたら止めて差し上げます」

「はい起きたわよ。どう満足かしら?」

 そう言って上半身を起こしてアピールしたら、二人の手が伸びてきてベッドから追い出された……


 食堂に入るとヘクトールは既に席に着いていた様で、私を見てほぉと声を上げた。

「もう加減は良いのか?」

「いいえ残念ですが良くありません」

「(レティーツィア様!)」

「(だって本当の事じゃない)」

「(それにしても言い方がありますよ)」

「何を二人でヒソヒソと言っているのだ。

 加減が良くないのに今日は来たのだな。一体どういう風の吹き回しだ?」

「私の体調が悪いのは本当です。しかし今日はお話があって参りました」

「聞こう。だが俺は腹が減っている。食事後で構わないか?」

「分かりました、そうしましょう」


 私はいつも通りヘクトールの前に座った。

 まずはスープから、続いてサラダ。その後は魚に肉に~と続いていく。まぁヘクトールは肉肉肉だけど。

 でも山猿時代の宴と違って皿に乗って個別に出てくる辺りは進歩したなぁと思うわ。それにナイフもあるしね。


 サラダを食べて次の皿が来た時、突然吐き気が襲ってきた。口元をナプキンで抑えて堪えるがその努力もむなしく私は吐いた。ヴィルギニアがそこらにあった綺麗な布を掴んで走り寄ってくる。

「ヒッ!?」

「きゃぁぁ!」

 その傍ら食事に毒でも入っていたのかと狼狽える使用人たち。

 ヘクトールも例外ではなく、食事の手を止めて恐ろしい形相で皿と使用人を交互に睨みつけている。

「お待ちください! 落ち着いて!」

 私の背を優しくさすりながらも、混乱を治めようとロザムンデが叫ぶ。

 最初に落ち着きを取り戻したのはヘクトールだった。

「どうやら毒ではなさそうだな。

 ロザムンデよ。お前は事情を知るようだ、どういう事か言ってみよ」

「実は……」

 と言った所で私は彼女の裾を引いてそれを制した。

「ダメよ……、これは私が、自分で言わないと、ね?」

「は、はい。畏まりました」


 吐き気が少し落ち着いた時を見計らって、

「ヘクトール様。どうやら私は、懐妊している様です」

「俺の子を、か?」

 その物言いには流石に怒りが湧いて、私はヘクトールをキッと睨みつけた。

「私が他の誰の子を宿すと仰いますか!」

「す、すまん。そう言うつもりではなかった。

 そうか俺に子が……」

「ですから、いま吐いたのは毒などではなく悪阻です」

「大丈夫なのか?」

「最初から気分が悪いと言っていましたが?」

 吐き気に加えて先ほどの怒りが尾を引いて物言いがきつくなったが、自業自得だと思って諦めて貰おう。

「そうであったな。誰ぞ、皇妃を寝室に」

「それには及びません。二人ともお願いね」

「「はい畏まりました」」


 寝室に戻って横になるとすぐに睡魔が襲ってきて私は眠った。

 次に目が覚めた時、カーテン越しに光を感じることは無く、どうやらまだ夜の様だと分かる。今回はほんの少しだけ眠っただけで目が覚めたらしいわね。

「お目覚めですか?」

「どのくらい寝ていたの?」

「ほんの一時間程度です」

 ちなみに食事が終わった頃にヘクトールが訪ねて来たそうだが、私が眠っていると聞くと残念そうに去って行ったそうだ。

「皇帝陛下からご伝言がございます。

 『無理をする必要はないから、今は体を大事にしてほしい』だそうです」

 月並みな台詞だな~と呆れるが、やっぱり無関心だったころを思えば随分と進歩したわよね?

 ここ最近は特に、必死に歩み寄ろうとしている様に感じる。

 歩み寄る・・と言うからには、一方的ではなく、双方が努力すべきことだろう。


「ロザムンデお願いを聞いてくれるかしら?」

「砦の催促でしたら、これ以上はお断りですよ」

「ふふっそんな事しないわ。

 折角起きたのだもの、ヘクトール様とお話をしようかと思っているの。これから行ってご予定を聞いて来てくれるかしら?」

 私がそう言うとロザムンデは信じられない物を見るような目を向けてきた。失礼ねと言える立場ではないからもちろん甘んじて受けたけどね。

 私が本気だと分かると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「はい! 畏まりましたすぐにでも!」

「なんだか嬉しそうね」

「皇帝陛下にはわたしの家族を助けて頂いた恩がございます。

 ですがわたしはレティーツィアの侍女ですからそのぉ……」

 ロザムンデはそこで珍しく言い淀んだ。

 どうやら私は大切な従者にまで気を使わせていたらしいわね。

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