38:予兆
初めて夜を共にしてからヘクトールの態度は少しだけ変わったように思う。
前は私を子供だと言い無視していた頃の引け目をどこかで引きずっていた様な風だったが、私をやたらと立てるようになった。
いいや違う。
彼が私を立てるようになったのは東部の内乱の起きる前からだったはず。私は気に入らないからと、それを見ない様にしていただけだわ。
水に流すきっかけか……
ロザムンデの家族、そしてお母様の宝石箱。そうね私ももう少し歩み寄る努力をしてみようかしら?
ヘクトールと夜を共にするようになって二ヶ月。その日は目が覚めても体が怠くて起きるのが億劫だった。
エルミーラの売るあの薬を飲んだ時の様に微熱がある。
不摂生ではないだろう。
屋敷での貧相な暮らしならその可能性もある。しかし城に住むようになってからなんの苦労も無いはずだ。
だったらなに……
そう言えば今月は月経が来ていないなと思い出す。身に覚えのある事だから、私は起こしに来たシャルロッテに医者と産婆を呼ぶように伝えた。
「ええっ!? 本当ですか皇妃様!」
お医者様と
「それはお医者様が決める事よ」
「分かりました!」
慌てて駆けだそうとしたシャルロッテはドアを開けようとし寸前で止まる。
「おっとと。テーア! 控えのロザムンデさんを呼んで置いて!」
「はい解りました」
シャルロッテに続きテーアも出て行き一時的に一人になった─と言っても扉の前に兵士が立っているが─。
私はお腹に手を当ててそっと擦った。
あれから二ヶ月か……
若く健康な男女なのだから懐妊するのは当たり前よね。
ほんの少しだけぼんやりとしていると、ロザムンデがテーアと共に部屋に入って来た。特別早いと言う訳でもない、隣の部屋にいるのだから当たり前だろう。
「レティーツィア様、お加減が悪いとテーアから聞きましたが大丈夫ですか」
「この症状に想像がつくから大丈夫よ」
「想像が、ですか。
えっ! もしや!? すぐに皇帝陛下を呼んで参ります」
「待って、まだ早いわ」
「ですが……、よろしいのですか?」
「本当に止めて頂戴」
「分かりました」
一〇分ほど経った頃、シャルロッテが勢いよくドアを開けて帰って来た。
「戻りました!!」
ドアを開けた方と逆の手には年かさの行った女性を連れていた。手を引かれた女性は部屋に入りゼェハァと荒い息を吐いている。
どうやら手を取り無理に引きずって走って来た様だ。
「シャルロッテ! お医者様になんてことを!」
私が言うまでもなくロザムンデがしっかりと釘を刺してくれた様で何より。
ちなみに来たのはこの女性だけで肝心の医者の姿が無い。詳しく聞くと彼女は医者の知識を持つ女性と分かった。
「あら女医さんなんて珍しいわね」
「ふふふ、皇妃様には今後必要だろうと皇帝陛下に雇って頂きましたわ。
お優しい旦那様の様で羨ましい限りですわ」
すっかり無視されて過ごした二年前の頃を知らない世間ではそう見えるのかと、何とも貴重な意見を聞いた気がする。
一通りの診断を受けて、
「まだはっきりとは申せませんが、おめでたのようです」
「やっぱり。私は妊娠しているのね」
「ええ皇妃様のお話を聞く限り、その可能性が高いと思います」
「確実ではないのならヘクトール様には黙っていて貰えるかしら」
変わろうとは思っているが、私にはまだそれを受け入れて笑えるほどの自信が無い。いま言えばきっと、不自然な顔になり要らぬ心配させるだろうことは容易に想像できる。
「申し訳ございませんが、聞かれれば立場上答えない訳には参りません」
「そうよね……」
「しばらくはこちらに通います。
皇妃様はその間にご決断頂ければと思います」
「ありがとう助かるわ」
女医が帰ると途端に眠くなり、私はベッドに入って横になった。
ぼんやりとした頭で、自分が眠ってしまった事を思い出した。
どれだけ眠っていたのか、なにやら窓から入る日差しがやたらと赤い様な……
もしかして夕日かしら?
「あっレティ様、目が覚めましたか。
どうですか、お体の具合は大丈夫ですか?」
そのテーアの声に反応したのか、ロザムンデとシャルロッテが立ち上がりベッドの方へ近づいて来た。
「皇妃様! 良かった~」
「目が覚めて早々に済みません。レティーツィア様にご報告がございます。
レティーツィア様がお休みなられていたときに皇帝陛下がお見えになられました」
「ヘクトール様はなんと?」
「元気になったらまた食事を共にしてくれとだけ。
それから差し出がましいと思いましたが、しばらくは夜の方は控えて頂く様にとお伝えしました」
「あらロザムンデって結構凄いのね」
皇帝陛下に対してそんな事が言えるのはとても凄い事だと思う。
「わたしがお仕えしているのも忠誠を誓っているのも、皇帝陛下ではなくレティーツィア様です。この程度の事は当然です」
個人的にはきっとヘクトールに対して家族を救って貰った恩はあるだろう。しかし彼女はこの場では公私の公を優先してそう言った。
私の護衛侍女三人の中で、ロザムンデだけがライヘンベルガー王国の出身だ。そして家族を救った後は私が雇っていると言う体を取っている。
イスターツ帝国に雇われていて、借りている体のヴィルギニアやシャルロッテに決して言えない、ロザムンデだけの特権だ。
「そうだったわね。ありがとう」
「勿体ないお言葉です。
それでシャルロッテとは話したのですが、今日からわたしだけ非番を外して頂く事は可能でしょうか?」
「あら矢面に立ってくれるのね」
「ええ。きっとわたしにしか言えない事でしょうから」
「助かるわ。ヴィルギニアには私から言っておくわ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方よ」
「あはははっ」
「シャルロッテ、何を笑っているんですか?」
「だってロザムンデさんったらまるで皇帝陛下専用の砦みたいじゃないですか。ずばりロザムンデの砦!
あーでも、皇妃様が頂いた凄そうな名前には及びませんね」
「シャルロッテ……?」
キラッとロザムンデの眼鏡が光った。
ひぃぃと頭を抱えてシャルロッテが逃げる。
「あらシャルロッテったら。
ロザムンデの砦が如何に堅牢か身を持って体験しているのね」
「もうレティーツィア様まで! 砦呼ばわりは止めてください」
ロザムンデが悲鳴を上げた所で、皆で声を揃えて笑った。
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