ヘクトール③

 反乱が起きた東部への道は大岩が落とされて閉ざされていた。

 迂回路はあったがとても軍を動かすような広さは無い。知られずに移動できて精々百ほどの兵だろう。

 そもそもそのような道をあのネリウスが把握していない訳が無いから、この案は早々に破棄された。


 大岩を前に、連日の様に作戦会議を開いていた。

「火薬を使い爆破するのはどうだろうか?」

「馬鹿な。あれほどの大岩を破壊するのにどれだけの火薬が必要だと思っているのだ」

「いいや破壊の必要はないぞ。今よりほんの少し動けば良いのだ」

「動かすにしろ火薬の量は必要だろう。一握りの火薬でさえかなり爆発するのだぞ?

 あの岩を動かすほどの火薬を一所に置いて無事で済むと思うのか」

「恐れながら補給物資の担当から意見いたします。

 火薬は東方から入る品でして非常に高価です。大岩を動かすほどの火薬を手に入れるには時間も金も相当に掛かりましょう」

「お前は金の都合で悪戯に兵の命を捨てよと申すか!?」

「決してその様なつもりはございません。

 しかし無い袖は振れないのです!」

「少し落ち着け。

 補給担当も悪戯に兵を損なえと言ってはおらんだろう。金が無いと言うのならば、真っ先に責められるべきは内乱を起こされた皇帝の俺だ。済まなかったな」

「い、いえそんな。皇帝陛下が謝罪なさる必要はございません」

 二度の内乱でイスターツ帝国の国庫にはそれほどの余力は残っていない。レティーツィアの働きで一度は下がった食糧の値段も、今回の出兵により再び高騰し始めている。

 きっと今頃はライヘンベルガー王国でさぞかし不満を覚えているだろう。

 ただしその不満も無事に戻ってこない限り聞くこともないと思えば少々寂しいがな。



 長時間火で焼き水を浴びせる。たったこれだけの事で大岩は破壊された。ついにシュヴァイツェルシュペルグの砦が陥落した。

 その作戦を提案し取り仕切った南部のトロスト将軍を誰もが褒め称えていた。

 その日の会議は勝利に湧いていた。しかし一人、トロスト将軍だけが難しい顔を見せていた。やがて彼は口を開く、

「今回の作戦は実はわたしが考えた物ではございません」

 将軍らがシンと静まり返る。

「お前ではないとすると一体誰だ?」

 パッと思いついたのは宰相のラースと南部の領主ノヴォトニー侯爵だ。ラースならば直接俺に言うだろうからノヴォトニー侯爵か?

 しかし聞いた名は予想とまったく違っていた。

「今回の策をわたしにお伝えくださったのはレティーツィア皇妃殿下でございます」

「皇妃殿下だと?」

 きっと俺と同じく予想もしていなかったのだろう将軍らがざわついた。

「ほぉレティーツィアは何故お前にそれを伝えた?」

 今の声には自分でも苛立ちが混じったのが分かった。

「わたしは南部の食糧事情の際に皇妃殿下よりお知恵を頂いております。その際の伝手ではないかと思っております」

「いや済まぬ関係を疑っているつもりは無い」

 俺は何故苛立ったのか?

 それは内乱が終わってからやっと気づいた。

 正直な所、レティーツィアの策が無ければ内乱はもっと伸びていただろう。いやそもそも終わったのかさえも怪しいか。

 西部の内乱は内政により治め、東部の内乱は策により治めた。俺は内政に続きついに軍事でも負けた。



「皇帝陛下、ご無事のお帰り心よりお喜びいたします」

「お世辞は止せ。レティーツィアがトロスト将軍に策を授けたのは聞いているか?」

「ええ勿論です」

「どう思う」

「この度の内乱において皇妃様の功績は計り知れませんな」

「では前回の西部の功績も合わせるとどうだ」

「……さてどうですかな」

「今日は許す、思っていることを言ってくれ叔父上・・・

「じゃあ遠慮なく言おう。彼女はヘクトール、お前よりも聡明だ。まったくライヘンベルガー王国は良い姫を嫁がせてくれたもんだよ」

「レティーツィアを選んだのは俺だぞ?」

「いいや届けられたあの肖像画二つ、明らかに力の入り方が違っていた。三姫を選ばせようと言う思惑が見えていたよ。

 まんまと選ばされた訳だが、彼女は聡明過ぎたな。なんせ当のライヘンベルガー王国も御しえずに手放す羽目になったのだしな」

 それには確かにとしか言いようがない。内乱の最中だが、レティーツィアが国王を人質に逃げ帰った報告は聞いていたのだ。

「聡明過ぎたか……

 まずは俺は何をすべきだろう?」

「これからイスターツ帝国は内政の時代に変わる。きっともう将軍は不要だろう。

 彼らとの晩餐を止めて三姫の機嫌取りでもするんだな」

「分かったそうしてみよう」

「では皇帝陛下。皇妃様にはわたしの方からお伝えしますが、よろしいですか?」

「すまん、頼んだ」

 どうやら助言はここまでらしい。叔父上は相変わらず厳しいな。




 食事を共にするようになってから、レティーツィアがどういう女なのかがよく分かる様になった。

 彼女は己を殺し責務や従者みうちを優遇する。

 責務だから食事は断らないし、まだ試してはいないがきっと俺に抱かれることも責務として受け入れるだろうと想像している。

 しっかりしている様でとても危うい存在だ。

 しかし予想に反して十八歳の誕生日が迫ってくると少しずつレティーツィアの態度が強張って来た。

 責務とは言え好きでもない男に抱かれるのは嫌なようだ。聡明な彼女でも感情を優先することがあるのだなと、少しだけホッとした。

 感情に訴えかけるのが出来るのならば、何か懐柔する様な手は無いだろうか?


 そう思っているところにラースから商人が訪ねて来たと言う報告を受けた。普段ならば俺の所に来る前に勝手に遮断するはずが、今回はそれが無かった。

 と言う事は叔父上から見て俺に有益な相手と言う事だろう。

「お初にお目に掛かります皇帝陛下。わたしは商人のエルミーラと申します」

「お前はレティーツィアを祖国から出すのに協力してくれたそうだな。まずは礼を言っておこう」

「いいえ。仕事の成果にはもうお代を頂いておりますので礼には及びません」

「分かった。では何を売りに来た?」

「皇妃様のお心などはどうでしょう?」

「おい女、滅多なことを言うなよ」

「皇帝陛下は以前、皇妃様が生活に困っていらしたのはご存知でしょうか」

「……」

「実はわたしはその時に幾ばくかの金銭の融通を図る為に、皇妃様の私物を買い取らせて頂いております」

「ふんっお前はそれをレティーツィアの心だとでも言うのか?」

「そうですね。では想い出と言い換えましょう。

 今日お持ちしましたのはこちらの宝石箱です。先日ライヘンベルガー王国に行った時についでに調べて参りましたら、皇妃様のお母様のお品だそうです」

 俺が投げ捨てた肖像画の一件で知ったが、レティーツィアの母は亡くなったと聞いている。レティーツィアがその母の形見さえも売ったと聞き、彼女の意思の強さを改めて知り慄いた。

「分かった。俺が責任を持って買い戻そう」

「買い戻す?

 異な事を。こちらは皇妃様からお預かりした品ではなく、わたしが買い取った品でございます。新たにお買い上げいただく事は出来ますが買い戻すことは出来ません」

「むぅではお前は如何ほどでこれを売ると言うのか?」

「ではこの額で如何でしょう?」

「これは?」

「皇妃様にお支払いした額の三倍です」

「分かった。支払おう。

 ……ん、何を驚いているのだ」

「いえもう少し値引きの交渉などがあるかと思いまして」

「いいやこれは俺が招いた悪事だ。それを値引けと言うのはいささか恰好が悪かろう」

「左様ですか……」

「おい勘違いするなよ。

 これは俺の懐から出すのだ。決して国庫から出すのではないぞ」

「恐れながら皇帝陛下。それはわたしにではなく皇妃様にお伝え頂く方が効果がありますよ」

「馬鹿な! それこそ恥ずかしくて言えるか!」

「ふふふっ皇帝陛下はとても面白いお方ですね。では値引きの代わりにライヘンベルガー王国での噂をお教えいたしましょうか」

 そして俺はライヘンベルガー王国で我が国が〝山猿〟と呼ばれている事を知った。

 なるほどつまり俺は山猿のボスなのだな……

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