37:十八歳~夜~
帝都から戻ってからヘクトールはいつもよりも格段に、私に接してくることが少ないように感じた。
それが逆に今日は特別だと言われている様で胃がキリキリと痛む。
ここ半年。
彼が私を子供ではなく女として見ている事は気づいていた。しかし彼の倫理観と鋼の意思に救われて私はまだ未通を護り通している。
だが今日でその盾が無くなった。
特別だったお昼の事が終わったと言うのに、夜になると再び部屋には護衛侍女三人が勢ぞろいしていた。
ヘクトールの好きなお酒やつまみを、ベッドの脇に置いた子テーブルの上に準備しているロザムンデ。
私の髪を整えて薄っすらと化粧をするヴィルギニア。
ベッドと部屋に焚く香油などを念入りにチェックしているシャルロッテ。
しかし昼とは違って、三人とも最後まで無言のまま部屋を出て行った。
無言だったがゆえに態度で、再び今日は特別な日だと言われた様な気がする。
コンコンコン
三人が居なくなって十五分ほど、ノックの音が聞こえてきた。
ドキンと心臓が跳ねた。
そしてすぐにドッドッと鼓動が早くなった。
いまこの部屋に居るのは私一人なので私が出るしかない。無いとは思うが─以前よりロザムンデからきつく言われているから─念のために覗き穴で相手を確認する。
当たり前だがドアの外にはヘクトールが立っていた。
鍵を開ける手が震える。しかしこんなことで震えてやるものかと、歯を食いしばると震えが少し治まった気がした。
カシャン
鍵を開けてドア越しに「どうぞ」と返した。
ガチャ
ドアが開いてヘクトールが入って来た。
ヘクトールは身軽な服装で一本の短剣を帯びている。
対して私が身に着けているのは体が透けほど薄いワンピース風の寝間着とショーツのみ。部屋の灯りを抑えているがきっと色々と丸見えのはずだ。
廊下を歩いて来たか、部屋で待っていたかの違いだが、私だけ半裸に近い事に恥辱を覚えてカァと頬が赤くなった事が分かった。
彼は部屋の中に入るとドアを閉めて……
カシャン
再び鍵が落ちた音が聞こえる。
もう逃げ道が無くなったのだと思ったら自然と視線が下がった。
私とヘクトールは広いベッドに並んで座っていた。
入って早々後ろから抱きしめられて押し倒されるかと思っていたのに、私は背を向けたままベッドまで歩いて
一瞬だけ、立ちっぱなしもどうかと思考を巡らせてベッドに座った。
ヘクトールは何も言わずに私の所まで歩いて来て……
覚悟を決めてぎゅっと目を閉じていたら……
ベッドが軋み、彼が隣に座った事が分かった。
それも真隣と言うほどでもなく、手を出せば触れ合えるほどのやや離れた距離だ。またも肩すかしと言うか予想に反する行動だった。
テーブルの脇に置いていた子テーブルを寄せて二人の前に置いた。この上にはヘクトールの好きな酒やつまみが集められているはずだ。
「何か、飲まれますか?」
「いいや。止めておこう」
「左様ですか……」
「ほぉ昼と違ってずいぶんと緊張している様だな」
「……そうですね」
普段のヘクトールならば決して先ほどの様な事を言わないから、きっと見透かされたのだろう。
私は少し悔しくて下唇を軽く噛みしめた。
「緊張をほぐす為と言う訳ではないが、今のうちに持ってきた品を渡そう」
そう言うとヘクトールは
「っ!?」
私がそれを見間違う訳が無い。
奪うように箱を受け取り返事も聞かずに蓋を開ける。箱の中にはいくつもの
やはりこれは、あの日泣く泣く売り払ったお母様の想いでの詰まった宝石だわ……
「これを……、どう、されたのです……」
「お前が使う商人、エルミーラと言ったか。あやつは随分とやり手だな。
あの商人はこの品が一番高く売れる相手に、一番高く売れる時期を見計らって持って来たぞ」
どうやら私が売ったこの宝石は、市場に売り払われることなく彼女の金庫で約二年眠っていたらしい。そして先日、私に曰くある品としてヘクトールに売りに行った。
ヘクトールはそれを、私が売った額の約三倍で買い戻しただけ。
あの日私が呪詛の様に吐いた、〝思い出が代金に反映されれば〟の言葉通り。
つまり想い出さえも商売の道具としたエルミーラは確かに有能であったと言う事ね。
でもこのやり口は決して褒められたことじゃない。
だけど彼女には何度も助けられている。それにヘクトールは謝罪と言ったのだからきっと五倍の値であっても買い戻しただろう事を思えば、まだ良心的な話だろうか?
私は一つの欠損もなくすべてが元通りに帰って来たことが確認でき、宝石の入った蓋を閉じるとほぅと安堵のため息が漏れた。
「それは祝いの品ではなく謝罪の品のつもりだ。
だがそれで今までの事をそれで全て水に流せと言うつもりは無い。ほんの少しのきっかけや足がかりになればと思っての事だ。
本当に済まなかった」
「いいえ、あなたにも立場がおありでしたでしょうから仕方がないと思っています」
「謝罪を受けてくれるのか?」
少しだけ願望の混じった明るい声色を聞き思わず失笑が漏れた。
「ハッまさか。先ほどのはただの感想です。
もしやそれほど簡単に許されると、本気で思っておいでですか?」
「いいや、思ってはいないな」
「そうですか勘違いなさっておいででなくて良かったですわ」
「手厳しいな。どうやら俺は想像以上に嫌われている様だな」
「いいえそれは違います。嫌ってはいません。
ただ関心が無いだけですわ」
これは嘘ではない。なんせ彼に対しての感情は嫌悪ではなく、あったのは怒り。しかしそれももはや通り越し今は関心を失った。
「その物言いは卑怯だな。
好きか嫌いか、二つに一つならばどちらだ」
「ならば、……嫌いです」
「ハハハッこの国で最大の権力を持つ俺に随分とハッキリ言うのだな」
「そう言えるのが妻の特権だと思っております」
「ほぉ妻の自覚はあるのだな」
「残念ですがございます」
「では抱いても構わないのだな」
「ええ、構いませんわ」
話している間にキスで口を塞がれてしまったから、私が最後までそれを言えたかはよく分からなかった……
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