32:砦の陥落

 イスターツ帝国の兵士は、夜の闇に紛れて大岩に近づき大量の薪で岩が見えないほどに覆った。薪の上から念入りに黒い水ガソリンと油を撒き、遠くから火矢を放った。

 火は黒い水ガソリンで爆発的に燃えあがりすぐに薪へ燃え移っていく。

 門の前で突然大きな炎が上がったから敵軍は大層動揺しただろう。しかし燃えているのが門ではなく大岩だと解ると次第に落ち着いていく。


 黒い水ガソリンと共に撒いた油により夜通し大岩の炎は門を赤々と照らし続けた。

 数時間ほど経ち大岩が程よく燃えた頃。今度は投石機を使い水を入れた樽を大岩に向かって何度も投げつけた。


 大岩に当たり樽が壊れて中の水が飛び散ると、熱せられた岩からじゅぅぅと音が聞こえて白い水蒸気が舞う。

 途端に視界は悪くなり砦からはいったい何が起きているか分からなくなる。

 それでも何かが大岩に当たる音だけは聞こえ続けた。

 敵軍は何をしているのか?

 もしやこれは我らの眠りを妨げる作戦ではないかと砦の中の兵は思っただろう。

 朝日が昇り薄っすらと辺りが見え始めるとやっと音が止まった。すると今度は丸太を馬で引き、大岩に向かって勢いよくぶつけ始めた。

 どかんどかんと音を鳴らして一度、二度。

 三度目でついに大岩がガラガラと音を立てて崩れた。破片はまだ大きいが、あの大岩に比べれば大した話ではない。


 何のことは無い、道を作る為に石を切る方法を随分と大規模にしただけだ。

 そして道に使う石と違うのは、綺麗に真っ直ぐ切る必要が無い事。このようにただ小さく砕くだけならば職人の技術なんていらない。

 ひたすら熱し冷やせば良いだけだ。


 大岩が壊れると言うまさかの事に砦の兵は今度こそ本気で動揺を見せた。

 次の瞬間、砦の門が開いた。歓声が上がり、朝日と共にイスターツ帝国軍は砦へなだれ込んで行った。

 確かにあの大岩がある限り敵が裏切る事は無いだろう。しかし金を配る時にもしも大岩が壊れたのなら門を開けよと伝えておいたのだ。

 金を受け取った者たちはその様な事が起きる訳が無いとほくそ笑んでいただろう。そもそもあり得ない事を条件に引き受けるのだから良心もそれほど咎めることもない。

 しかし大岩は割れた。

 こうなると焦った彼らは我先にと門に向かって走りだし、そして門を開けた

 頼みの大岩が無いのだ、金を貰った者たちが、ここで抵抗して殺されるよりはと考えてその身の保身に走ったのは言うまでもないだろう。

 なんせ死ねば受け取った金がすべて無駄になるのだから……


 こうして長ったらしい名を持つシュヴァイツェルシュペルグの砦は陥落した。



 内乱が始まって三ヶ月。ついに東部の入口となっていたもんが開いた。

 ここからの道は一本ではないから東部の色々な街へ向かう事が出来る。侵攻する場所を選べると言う利点がある一方、街の制圧または解放を怠れば敵地で孤立すると言う危険をはらんでいる。

 右か左か真っ直ぐか今後の拠点となる街をどちらにするか、ヘクトールの気分で左を選んだが、何の抵抗もなく街はイスターツ帝国軍を受け入れた。

 大岩がもっと早くに破壊されていたのならば、もしくは大岩の破壊に予兆があれば、もう少し違った結果になったであろう。

 しかし大岩は三ヶ月の間、砦を護り、何の予兆もなくたったの一夜で破壊された。

 砦と常に向き合っていたイスターツ帝国軍と違い、砦から離れたこの街で三ヶ月もの間、緊張を維持したままで居られる訳が無い。

 彼らからすると大岩が壊れたと言う報告と共にイスターツ帝国軍がなだれ込んできた様な物だ。これでは組織だった抵抗が出来る訳が無い。

 こうしてイスターツ帝国軍は東部鎮圧のための貴重な拠点を手に入れた。



 ネリウス将軍が遅れを取り戻したのは、砦を抜けた五日後。

 彼はイスターツ帝国軍が拠点とした街から少し進んだ谷間に罠を張り、イスターツ帝国軍を迎え撃った。

 谷間に張った罠で出鼻を挫き、騎兵で突込み攻勢にでたが、戦上手のネリウス将軍でも兵数の差は簡単には覆せず、三日目の戦いが終わると兵を退いた。

 イスターツ帝国軍はそこで負傷者の手当てや死者の埋葬で数日を費やした。


 その後ネリウス将軍は何度か不意打ちによりイスターツ帝国軍に被害を与えている。しかしイスターツ帝国軍が警戒して、進軍の速度をさらに遅らせると徐々にその様な機会も減っていく。


 内乱が始まり半年。

 ついにイスターツ帝国軍は東部の中心にあるキュンツエル城を包囲した。この時、砦を抜けてから実に三ヶ月の刻が経っていた。



「皇帝陛下がついに東部のキュンツエル城にたどり着いたそうです」

やっと・・・と言うとまた貴方は怒るかしら?」

 そうラースに聞くと、彼は不満げに眉を寄せた。


「どのように戦われるかは分かりませんが、城をすっかり包囲している様ですからこのまま兵糧攻めとなるのではと予想しております」

「城が陥落するにはどのくらい掛かりそうなのかしら」

「二ヶ月以上三ヶ月未満ですかね」

「長いのね……」

 兵糧攻めではないのならばもう少し早いそうだが、そうなると今度は兵士の被害が増える。食糧と兵の命だとどちらが大事かと聞かれれば、後者であるのは明確だ。

 なんにしろ私が口を挟んで良い事ではないわね。


「ああそうそう。皇帝陛下からの伝言を承っておりました。

 この度の功績により皇妃様に爵位が贈られるそうです」

「私は前にトロスト将軍から聞いた、街道の話を思い出して伝えただけよ?

 原案も実行したのもトロスト将軍だわ」

「ですが……」

 普段ならば『じゃあ』とでも言って話を流すのだが、今日のラースは不満げな声を上げて難色を示した。

「あら今日は随分と圧してくるわね?」

「皇妃様に受け取って頂けないと、困る者も出ますからね」

 そこまで言われてやっと理解した。私が断れば、他に功績をあげた者も素直にそれを受け取れないと言う事だ。

「はぁ爵位なんていらないのに」

 いつも通りのお肉ならば、テーアが喜ぶから受け取るのも吝かではないのだが……

 爵位は食べられないし消えないから厄介だ。

「これは後々の事ですが、褒賞代わりに譲渡なさることも出来ますので、どうかお願いいたします」

「分かったわ。内乱が終わったら受け取ります」

「お聞き入れ下さり、ありがとうございます」



 それから五日後。私とラースは東部から届いた伝令で、ネリウス将軍の行動にとても驚かされた。


『反乱の首謀者ネリウスは降伏を宣言。

 その後、城の見張り塔から身を投げて自害した』


「負けを悟りこれ以上国に被害を出さないよう自ら幕を引いたのでしょうな」

「そう」

 引き際が良いと言うのも名将の器なのでしょうね。

 彼はきっと迷惑に思うでしょうけれど感謝するわ。これ以上、国を荒らさないでくれてありがとう。


「ところでリブッサはどこに?」

「彼女は城内で捕縛されたそうです」

「今後は?」

「独立ではなく内乱として処理されますので、恐らくは……」

 私には言葉尻りを濁したラースの気持ちがよく分かった。

 犯罪者の娘として地位を剥奪されて修道院に送られるか、もしくは国外追放か。なんにしろ最後まで語りたい内容ではない。

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