第一章 死王⑧
「はい?」
延明はあっけにとられた。
「桃花さん、なにを急に。あなたも遺体検分には立ち会ったではありませんか。傷害をうけた
あの遺体状況、しかも女性の裸体ともなるとほとんど視線はそらしぎみだったが、遺体検分を行った
毒や外傷などの不審点がなく、病であったとの証言がある場合は病死とされるのが通常だ。
言うと、桃花は右手の小指を立てて見せた。
「いいえ。彼女の右手小指には小さな傷がありました」
「あれは……非常に小さなものでしたでしょう」
遺体の
「だいたい、人ひとり死ぬようなものでは──」
「いいえ。死ぬのですわ」
まっすぐなまなざしが延明を射た。
「傷の大小は関係がありません。わずかでも皮膚がやぶれたところから、
「風?」
「土壌にある毒です。これを
延明は、碧林の異常な遺体状況を思い出した。たしかに、
「碧林の
「ええ……もちろん」
妃嬪は労働などしない。たとえそれが労働ではなく趣味なのだとしても、磨いて手入れをしている爪が汚れ、手が荒れる行為を
「つまり、苔玉づくりを行っていたのは亡くなった碧林で、彼女はその際、あの小さな傷から病を得たと? しかし」
──ならば、やはり病死ではないか。
そう指摘しようとした延明を、桃花は手をかざして制止した。
そのまま、立てた小指をのこしてにぎりこむ。
「問題はあれが、
「
「掖廷官に確認いただければたしかかと。獣ではなく、人の歯形です。出血、治ろうとした形跡があることから、生前にうけた傷であるとわかります。そして、ほかに
桃花はさらに先をつづける。たたみかけるようなしゃべり方ではないが、最早、ぼんやりと眠たげな彼女はそこに存在しなかった。
「咬傷は他物──すなわち『刃物以外の凶器である』と定義されていますので、歯によって他人を傷つければ『他物による傷害罪』となります。さらに、その傷をもととした病で期間内に亡くなれば殺人を
「しかし、あの嚙みあとがだれかからの傷害とはかぎりませんよ。碧林本人のものであるやも知れません」
「いいえ。前歯のかたちがちがいました」
あの場でそんなところまで見ていたのか、と延明はあぜんとした。
「…………なるほど、参りました」
力をぬくと、こみあげてくるのは妙な
延明が肩をふるわせて忍び笑うのを見て、桃花はふしぎそうに小首をかしげる。そのしぐさだけを見れば、後宮に咲く百花のひとつであるというのに。そう思うとなお可笑しい。
「せっかくですから、確認といきましょうか」
「あの?」
歩き出した延明に、桃花が
「乗りかかった舟です。どうせ寝られず起きているのでしょうから、高莉莉に話を
女官たちとケンカのようなものがあり、その際に嚙まれたのだろう。ちょっと訊きこめば、この場で嫌疑がだれにあるのか特定できる。
しかし桃花は延明の衣をつかんで引きとめた。
「──おそらく、だれも知らないのだと」
「え?」
「……碧林も言えなかったのではないか、と思うのです」
それこそ言いにくそうに、桃花は視線を伏せた。
「おそらく、あれは……その、情事のときについたものではないか、と」
「……は?」
ぽかん、とあごが落ちた。
あまりに予想外の答えで思考が一瞬止まってしまったが、ゆっくりと回りはじめた頭で考えると、おのずと答えは導かれた。
咬傷、情事。これらがあらわすのは、すなわち。
「──相手は
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