第一章 死王②

 後宮の門内に到着すると、すでに夜警を担当する下級女官たちが集っていた。だれもが青ざめた顔色をして、ささえ合うようにして身をよせている。彼女たちが逃げ出さぬようにと目を光らせているのは、ひょろりとした体格の後宮宦官だった。

「お待ちしておりました、孫中宮尚書。自分は後宮門番のしようしようと申します」

 彼もよほど夜を恐れていた様子で、あからさまにほっとした顔で延明たちを迎え入れる。しかし延明は厳しい目で彼らを見やった。

「女官七名ですか。十四名のところ、八名はくるのだと聞いていたのですが」

「すみません、先ほど一名倒れてしまいまして……」

 後宮は十四の主要殿舎をもとに、十四区に区分けされている。本来であれば二人を一組として七組をつくり、一組当たり二区をまわることになっているのだが、これでは延明の連れてきた部下を足しても一人足りない。怪談が出まわって以来、欠席者が多いとはきいていたが、まさか当夜に脱落者が出るほどとは思わなかった。

「しかたがありません。では、あなたも参加してください」

「えっ、自分がですか!?」

 小少と名乗った門番に命じると、とたんに顔色を変えて上ずった声をあげた。

「他にだれがいる、と?」

 おびえきった彼の目はいかにも「あなただっているじゃないですか」とでも言いたげだったが、延明はこれを無言の笑顔で切り捨てた。

 部下たちはそれぞれ夜警女官を誘惑する手はずとなっているが、延明はこのあと梅婕妤のくらす一区へと向かい、手ごろな女官を誘いだして誘惑しなくてはならないのだ。梅婕妤は皇后にとって一番の敵対相手なので、ここをぬかるわけにはいかない。

「さあ、組分けと担当区の割りふりをしますよ。まず、か弱い女性だけでは不安でしょうから、女性一人に対して我らから一人をつけましょう。我らとて、佳人を守るくらいの力はありますので安心を」

 甘い笑みを見せ、女官の反応を見る。女ばかりの後宮でくらす女官たちは、たいがいがで恋をしたがっている。それは性を切りとられたかんがんであろうと対象になることもしばしばだった。

 案の定、ほぼ全員の視線が『ようの微笑み』にくぎけになったが、一名だけ反応の悪い女官がいた。これはわりと多く存在する女色家なのかもしれないと判断して、小少と組ませることとする。

「では次に、担当する区ですが、まずは一区とそこに隣接する三区から──」

 と、手短かに決めようとしたところで、金切り声があがった。

「あ、あの、どうか……どうか婕妤さまのところだけはご勘弁くださいませ!」

「わたくしも、どんなに遠くてもかまいません、しかし一区だけは……!」

 延明は面食らった。女官たちは怯えた顔で首を横にふっている。

「どうかお慈悲を……。死王の目撃情報は、一区がもっとも多いのです……!」

「ほかのどこでも文句は申しません、しかし、どうか婕妤さまのところだけは!」

 なるほど、と延明はあきれ半分に彼女たちを眺めた。

 うわさでは、死王は謀殺の首謀者をさがして後宮内をさまよっているのだという。そして、その首謀者だと勝手に目算をつけられているのが、一区の梅婕妤なわけだ。だからこそ皆、一区におびえている。

 たしかに梅婕妤は亡くなった李美人をいじめていたことで有名だから、そう思われても無理もないかもしれない。実際、梅婕妤本人ですら「助けてほしい」とみかどに泣きつくほどに死王を恐れている。

 ちなみにこの際、強がりを見せたのか、それともふくしゆうされる心あたりなどないと帝に対して示したかったのか、彼女は「死王の手から助けてほしい」「幽鬼をはらってほしい」とは言わなかった。もっともらしくとり澄まし、「女官たちが死王を恐れるあまり夜警がままならない。後宮のためにもこれを助けてほしい」などとのたまったのだという。

 おかげで帝は言葉をそのままに受け止め、梅しようの殿舎からの帰りに中宮へと立ち寄り、皇后に後宮の夜警支援を命じたというわけだ。幽鬼を祓う、あるいは鎮めるためのや道士の手配は一切していない。

 ──さて、どうしたものか。

 延明としては、皇后の敵対勢力である梅婕妤がおびえているというだけで、小気味のよい事態だ。怪談に尾ひれがついて、彼女が恐怖のあまり大人しくなってくれれば大歓迎とすら思っている。むしろほんとうに死王などというものが存在して、梅婕妤をめいへと連れ去ってくれるのならば、それに越したことはないくらいだ。

 しかし、帝が皇后に夜警の支援を命じた以上、そうも言ってはいられない。夜警でなにか不手際があれば、評価が落ちるのは皇后である。

 夜警はかんぺきに実施されなくてはならない。途中で女官が倒れたり、逃げ出したりするなどもってのほかだ。

 いまにも卒倒しそうな女官たちからだれを行かせたらよいものか──思案しつつ人員を見渡したところで、ふと、ひとりに目が留まった。

 さきほど女色家だろうと判断した若い女官が、じっとうつむいている。

 夜警への恐怖をこらえているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

 ──まさか……寝てる……?

 その女官は立ったまま目を閉じて、こっくりこっくりと小さく舟をこいでいた。

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