第一章 死王①
「実にくだらない」
「怪談に事欠かない後宮とはいえ、
「わかりません。でも孫尚書、夜
「
延明はまだ
昼でも薄暗い尚書室とは対照的に、外はまぶしくよく晴れていた。春らしいやさしい風が、唯一肌を露出した頰をなでる。植えられた紅梅は青空のもと満開だった。
「始末だなんて言いぐさ、あぁ怖い怖い。さすがは中宮尚書・孫延明、
ふり返れば、立っていたのは予想通りの人物だった。つるりとした
「狐狸妖怪ではなく
延明は狐精──美しい妖狐とたとえられるその
点青は
「狐精も妖怪も大した違いはないだろ。むしろ狐精のほうがよっぽどたちが悪い。なにせ狐精は男に化けて女性と交わり、精気を吸うという。〝
「まあそうですね。とくに『男に化けて』というところが、なんとも我ら
笑みを深めると、点青は「おー怖っ!」と楽しげに肩をすくめて見せる。
延明が「我ら」と言った通り、点青も延明自身も、そして延明につき従う童子に至るまで、性をとり払われた浄身──宦官だった。
「ところで、何用なのです? ほんとうの〝中宮娘娘のお気に入り〟であるあなたが、そんなくだらない話をするためにこちらへ?」
「ああ、
死王が生まれた。
それが現在、
いわく、先だって謀殺された後宮の
この赤子は男児であり、無事生まれていればいずれは王に冊封されたことから、だれともなく『死王』と呼びはじめたのだとか。
「だいたい、おかしいではありませんか。自身めらが
中宮、あるいは北宮とも呼ばれる皇后宮の正殿へと急ぎながら、延明は愚痴をこぼした。
「こらよせ。だれかに聞かれたら獄送りになるぞ。それに断っておくが、娘娘は怪談を恐れたりはしていない。
皇后宮の正殿・
皇后
延明は深い
「ごあいさつ申し上げます、娘娘」
「免礼。面をあげよ」
許されて顔をあげる。皇后のお気に入りである点青は、すでに皇后の脇へと侍っていた。
「昨夜、
前置きやわずらわしい
許皇后は皇太子を産んで以来の二十二年間、ほぼ
おかげで許皇后の地位は皇太子を擁しながらも不安定で、本来であれば妃嬪たちを従える立場でありながら、いまや後宮は梅婕妤にすっかり掌握されているのだが、それが、夜に皇后のもとを
「なんでも、ここ数日に広まった幽鬼の目撃談のせいで、後宮の夜警がままならぬのだそうだ。不寝番すら泣いていやがる者がいるという。よって、こちらから人手を派遣し夜警の支援をするようにとの命であった」
なんだ、と内心で延明は落胆した。
いったいそれをどんな思いで承ったのか。延明は許皇后をひっそりと
「ではそのお役目を私に、ということでございますね」
「
「もちろんでございます」
延明は表向きの命、そして言外に求められた仕事、両方に対して承諾の礼をとった。
***
春の宵は白梅の香りに満ちている。
冷たい夜風がほのかに甘く
「なぜ、我らがこのようなことを……」
部下のひとりが手提げ灯ろうを掲げて歩きながら、ぽつりとこぼす。肩をすぼめてきょろきょろと落ちつきのない歩き方をするので
前かがみで
「よいですか、幽鬼など存在しません。しゃんとなさい」
「しかし延明さま……目撃したという下級宦官や
「見まちがいでしょう。おかしなうわさが立っているから、枯れた尾花の影でさえ幽鬼に見えるのです。そもそも
死王を産んだとされる妃嬪の名を李美人という。李が姓、美人は階級をあらわす。
彼女は妊娠
子を身ごもった妃嬪が謀殺されるなど珍しくもない話ではあるが、それ以上に珍しくないのが、妊娠や出産にともなう死である。李美人は以前から妊娠中毒による全身
「おかしなうわさに惑わされてはいけません、我らはこれから後宮女官とともに夜警に臨むのですよ。娘娘の期待に沿わなくてはなりません。わかっていますね?」
部下たちひとりひとりの顔を見て、念を押す。みな宦官だが、どれもよく整ったきれいな顔立ちをしていた。そういう者を厳選した。
「これは好機です。大家に泣きついたのはあの梅
さえざえとした月影のもと、延明は
暗闇に乗じて女官を誘惑し、後宮の
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