第22話 埋め合わせ
高校生活最大のイベントである修学旅行が終わってしまうと、二年の学校行事なんて大したものは残っていない。
そんな放課後、帰ろうとするキミを呼び止める声がする。
誰だろうとキミが振り返ると、それは息を切らした利子だった。
「待って、待ってください、昌高さん。ご迷惑でなければ一緒に帰りませんか?」
「迷惑ってことはないけど……」
そのまま一緒に下校を始める二人。
そして利子はソワソワと、何か言いたげな雰囲気。でもきっと、キミは全然気付いていない。そういうところが鈍感すぎる。
あれ以来おとなしい利子だったけど、いつ感情がぶり返すかもわからない。あたしがキミに警戒を促そうとすると、その前に利子が話しかけてきた。
面倒なことにならないといいんだけど……。
「……できれば、修学旅行の時に言ってた埋め合わせ、今日お願いできませんか?」
「え? 今日? これから? でも、何をすればいいの?」
「家に来てくれるだけでいいんです。お時間は取らせません。だから、絶対に今日お願いします」
「今日か……」
積極的な利子の言葉。諦めた風なことを言ってたはずなのに、やっぱりまだ吹っ切れてないのかな……?
不安になったあたしは、キミに苦言を呈した。
『家はやっぱりまずいんじゃない? 何かの罠かもしれないし』
『きっと大丈夫ですよ。心配するようなことはないと思います』
『うーん、でも保健室での前科もあるし……』
『あ、あれは……確かに……』
リコも断言しきれないほどの危険度。
だけどあたしの忠告なんて、風でも通り過ぎたかのように聞き流したキミは、あっさりと利子に返事をする。あたしはキミのためを思って言ってるのに……。
「わかった。今日、お邪魔させてもらうよ」
「ありがとうございます、昌高さん」
利子はお礼の言葉とともに、キミに深々と頭を下げた。
利子の家に着くと庭をぐるっと回って、そのまま裏庭に案内された。
そこにはこじんまりとした、石碑のようなものが建てられている。花が供えられているところをみると、何かのお墓かもしれない。
その正面に立ったキミは神妙な面持ちでしゃがむと、静かに手を合わせた。
『これって、何かのお墓?』
あたしの質問にキミは答えてくれない。
けれどその直後、キミに話しかけた利子の言葉にその答えを見つけた。
「寒い雨の中、川に飛び込んでうちの子のことを拾い上げてくれた時は、本当にありがとうございました。今日が命日なので、昌高さんに来てもらっちゃいました」
「お礼なんて言われるほどのことは……」
「あの日以来ずっと思い続けてたんです、昌高さんのこと。だけどなかなか言い出せなくて……。そしてクラスが一緒になったから、今年こそはって勇気を振り絞ったんです。気付いてましたか? 私の気持ち」
「いや、全然。面と向かって告白されるまでは信じられなかったよ。あれ以来、言葉を交わす機会もなかったしね」
あまりの空気の重さに、あたしはキミに話しかけられずにいる。リコも黙ってるところをみると、きっとあたしと同じ気持ちなんだろう。
でもあたしは、すぐにでも聞きたい。問いただしたい。
これは間違いなく、以前キミが書いた小説のエピソード。あの時のキミは実話じゃないって言ったけど、あれは嘘だったの?
とりあえず今は静かに、二人の話に耳を傾けることしかできない雰囲気。問い詰めるのは、二人の話が落ち着いてからにしよう……。
「やっぱりあの時、私はすぐに想いを伝えれば良かった。あの時だったら、まだ間に合ってましたか?」
「どうかな。でも今さら、もしもの話をしても意味ないでしょ」
「ですね。それに私は、ずるい女です。昌高さんに相応しいとは思えません」
「そんなことないでしょ。僕の方がひどいことをしてるよ、咲良さんに対しては」
お互いに卑下しあう二人。どことなく似た者同士。
けれども、性格が似てればお似合いのカップルっていうわけじゃない。あたしには今の二人が、カップルっていうより親友に見えた。
「実は私、知ってたんです。昌高さんが樫井さんを好きなことも、樫井さんが蕪良木君を好きなことも。そして樫井さんのために、昌高さんが仲を取り持ってたことも」
「いったい、いつから?」
「体育倉庫の裏で、昌高さんが独り言を言ってるのを聞いちゃったんです。なんだか独り言っていうより、お芝居の練習でもしてるみたいでしたけど」
『見られてたんだ、あれ。あたしの姿が見えない咲良さんには、どう映ったんだろうね? あの姿』
(やめてください。想像したくないです……)
あの時のキミはあたしに迫られて、腰を抜かして、後ずさりをして……。そういえば反撃されたんだった。あたしも思い出さない方が良かったかもしれない。
「あれを見られてたのか……」
「だから私は、蕪良木君に恋愛相談を持ち掛けることにしたんです。三人で会うときに、一緒に連れていってもらうために」
「なるほどね。映画や海で、なぜか咲良さんも現れた謎が解けたよ」
「ごめんなさい。きっと嫌われるだろうと思って、これだけはずっと言えずにいたんです。でも、ペロのお墓の前で全部打ち明けられてスッキリしました」
胸のつかえが完全に取れたように、自然と穏やかな表情になる利子。けれどそれを見ていたリコは、逆にさめざめと泣き始めた。
『どうしたの? リコ』
『ごめんなさい。やっぱり、私の予想通りの結末になってしまったんだなって……』
『予想って?』
『どうやら私は、昌高さんのことを諦めてしまったみたいです。だから何もかも、正直に全部話したんだと思います』
リコの言葉に耳を傾けていたキミは、曇りのない笑顔で利子に声を掛ける。リコをちらりと横目で見ながら……。
「ありがとう、打ち明けてくれて。でも僕は、嫌いになんてならないよ。これからも今まで通りだ。改めてよろしく、リコ」
そう言ってキミは、利子にそっと右手を差し出した。
利子は、その手を握り返しながら不思議そうな表情を浮かべる。けれどそれは、すぐにとっても嬉しそうな笑顔に変わった。
「どうしちゃったんですか? 昌高さん。リコなんて呼んじゃって変ですよ?」
「ごめん、おかしかったかな? じゃぁ、やっぱり――」
「いいえ、リコで! 私、このあだ名は昌高さんだけに呼んでもらいたくて、ずーっと取っておいたんですから。ふふふ、今日は昌高さんに、充分すぎる埋め合わせをしてもらっちゃいました」
無邪気に喜んだ利子は、キミに背を向けたまま振り返ることなく歩き出す。そのまま利子はキミを家の外まで案内すると、笑顔を絶やさずに見送った。
でも利子の目は真っ赤。気付かれないようにコッソリと涙を拭っていた苦労も、それじゃ台無しだよ……。
「もしも昌高さんがミトンさんを諦めたときは、いつでも戻ってきてくれていいんですからね。私はずっと待ってますんで」
最後に冗談ぽくそう言うと、利子はいつまでもキミに手を振り続けていた。
でもその言葉は、まんざら冗談でもないよね。きっと……。
家への帰り道、キミはフラリと途中にある公園に立ち寄ると、ベンチに腰掛けて空を見上げた。茜色の夕暮れ、雲が黄金色に輝いて見える。
きっとキミは、真っ直ぐ家に帰る気分じゃなかったんだね。
でも質問を胸に秘めたままモヤモヤしていたあたしは、我慢しきれずにキミに向かって吠え立てた。
『ねえキミ! 前に、子犬を助けた話は実話じゃないって言ったよね? あれは嘘だったの?』
「嘘じゃないですよ。本当の部分なんて、流される子犬を咲良さんが泣きながら追いかけてたことぐらいです」
『でも、キミは飛び込んだんでしょ? だったらやっぱり実話じゃないの』
「あれは飛び込んだんじゃない、飛び降りただけです。学校の近くの川は増水なんてしてなかったし、水深だって膝ぐらい。なんの危険もなかったですよ」
遊具もろくにない公園は、人の気配も全くない。
キミはぽつりぽつりと独り言でもつぶやくように、あたしの質問に答えていく。
『あの川って、まさか……』
「そう、あのドブ川です。ヘドロまみれになっちゃって、そのまま家に帰ったら親に怒鳴り散らされましたよ」
学校の近くを流れるドブ川は、いつも乳白色に濁って異臭を放っている。
そんなところに飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない。ましてや、行動力皆無のはずのキミがそんなことをするなんてと、あたしはにわかには信じられなかった。
でも近所には、他に川なんてない。そしてさっきの利子の言葉と併せて考えれば、やっぱりこの話は本当なんだろう。
『でも飛び込んで子犬を助けたなら、やっぱり実話だよ。増水だの溺れかけただのっていうのは、小説なら当然の誇張だし』
「今日が何の日だかわかりますか?」
『さっき咲良さんも言ってたじゃない。飼い犬の命日でしょ?』
「でもね、僕が川に飛び降りた日でもあるんですよ。二年前に」
『え? でも、あの話じゃ……』
「助けてないんです、僕は。子犬を抱きかかえた時には、もう息絶えてました。だから実話じゃないんです。やっぱり僕って、間が悪いんですよね。もう少し飛び込むのが早ければ、子犬を救ったかっこいいヒーローだったのに……」
『なに言ってんの。彼女にとってのキミは、かっこいいヒーローだよ。だからキミのことを好きになったんじゃない』
「息絶えた子犬を手渡した後も、彼女はずっと泣きじゃくってました。僕も居たたまれなくなって、そのままその場を離れました。笑顔をあげられない僕がヒーローなんて、とてもとても……。むしろ恨まれてるんじゃないかって思ってたぐらいです」
あたしの質問に答えたキミは、実話じゃないと言ったあの時と同じように、少し寂しそうな作り笑いを浮かべた。
あたしは思わず涙をこぼす。そしてキミを抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいになった。でもそれは叶わない、あたしの身体はキミをすり抜けてしまうから……。
キミと利子の間にこんなに深い物語があったと知って、またあたしは自分に自信がなくなってしまった。
修学旅行の帰路と同じ感じ。でも今回は、ハッキリとキミに尋ねることにした。
もしもあたしを選んでくれなかったら、その時はあたしも覚悟を決めるよ……。
『ねえ、キミ。本当にこれで良かった? 後悔してない?』
「何を後悔するんですか?」
『咲良さんだよ。やっぱり気が変わったって言えば、今ならまだきっと間に合うよ』
「なに言ってるんですか、僕が好きなのは樫井さんなんですよ。後悔っていうなら、このまま諦める方が後悔すると思います。ミトンの言葉を借りるなら、僕が樫井さんのヒーローになりたいっていう気持ちは、今も変わってませんからね」
キミの言葉を聞いてホッとするあたし。でも、心のどこかで利子を選んでもらいたかったような気もする、不思議な気分。
しばらくしみじみと物思いにふけっていたキミも、やがてベンチから立ち上がって家路に就く。自分の奇妙な気持ちの正体を突き止めようと考え込んでいたあたしも、慌ててキミの後に続いた。
けれどもリコだけは、その場に留まって淋しそうにうつむき続ける。
『私も、そろそろ潮時ですかね……』
そうつぶやいて、寂しげな表情を浮かべるリコ。
思い詰めた様子に胸騒ぎがしたあたしは、その言葉の意味をリコに尋ねた。
『どうしたの? リコ。私もってどういうこと?』
『ここで昌高さんとはお別れってことです。今までありがとうございました。昌高さんが現実の私のことをリコって呼んでくれて、本当に嬉しかったです。これで現実の私にも、ちょっとは贈り物ができたかな……なんて』
「え? ちょっとどういうこと? 待ってよ、お別れってどういう意味?」
あたしもキミも、突然のリコの言葉に戸惑うばかり。
けれどもリコは、落ち着いた様子で理由を話し始める。きっと以前からこうなることを、リコは覚悟していたのかもしれない。
『私は、小説のヒロインになるために抜け出してきたんです。現実で昌高さんが私と付き合えば、きっと小説もそうなるだろうと。でも現実の私が諦めた今、私がここにいる意味もなくなってしまいましたから』
「でもリコはリコでしょ。もっと一緒にいようよ」
『まったく……昌高さんは困った人ですね。そもそも私を振ったのは、昌高さんなんですよ? ですから聞き分けてください。もうお別れの時なんです』
「でもそんな、急に……」
『急じゃないですよ。修学旅行で昌高さんが樫井さんを選んだ時点で、今日のことは決まってたんです。一人を選ぶっていうのは、そういうことなんですよ』
キミは身勝手だ。三都美を選んだくせに、リコも手元に残しておきたいという。
でもこれで、少しはキミも思い知るかもしれない。キミが憧れる、誰も傷つかないハーレムなんて、現実にはないことを……。
『リコはもう決心したんだよ。だから笑顔で見送ってあげようよ』
「そんなこと言ったって……」
『ミトンさんの言う通りです。それに私は、消滅しちゃうわけじゃありません。昌高さんの小説を読み返せば、私はそこにいますから。だから絶対、素晴らしいお話にしてくださいよ。完結を楽しみにしてます、それじゃ……』
黄昏の公園でそう言い残して、リコは二人の目の前から姿を消した……。
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