第21話 修学旅行3

「昌高さん、早く服を脱いでください」

「え、でも……。じゃぁ、せめて電気を消して、暗くして……」

『キミがそれを言うの? いったい、どこの乙女よ』


 利子に腕を引かれて、強引に連れ込まれたのは交差点の角にあったラブホテル。

 あまりにも好都合な場所にあるところをみると、智樹はこの展開を計画していたとしか思えない。ラブホテルに連れ込もうなんて考える男子高校生はキミだけじゃなかったね。


 けれども、今の利用者はキミと利子。そしてその利子の積極的な言葉に、あたしはドキドキ……ちがう! ハラハラと不安を募らせた。

 利子はキミの手を引いてお風呂場へと向かう。そしてキミに振り返ると、呆れた口調でキミを諭した。


「冗談を言ってる場合ですか? 昌高さんは服を脱いで、早くシャワーを浴びてください。頭のてっぺんからコーヒーまみれなんですからね?」

「いや、恥ずかしいのは本当のことで……。場所も場所だし」

「あ、すみません! じゃぁ、私は後ろを向いてるので、脱いだら渡してください。昌高さんがシャワーを浴びてる間に、私が服を洗いますから」


 キミは服を脱ぐと、利子の背後からおずおずと差し出す。それを受け取った利子は、洗面所で服を洗うために浴室から出て行った。

 あたしとリコもそれに続いて浴室を出る。さすがに、キミがシャワーを浴びているところを覗くわけにはいかない。キミに示しがつかないもんね。



『樫井さんの言葉は、今回もひどくないですか? あんな言い方しなくてもいいじゃないですか。私を選んだ方がきっと幸せですよ、昌高さんは』

『あたしたちは状況が見えてたから、そんなことが言えるんであって……』


 キミがシャワーを浴び始めた浴室の隣の洗面所で、あたしとリコはさっきの出来事を話し合う。

 あたしは三都美の擁護をしてみたけれど、やっぱり歯切れが悪い。いくら咄嗟の状況とはいっても、こんな目に遭っているキミに疑いの言葉をかけたのは、あまりにもひどいとあたしも思った。

 キミの幸せを考えるなら、リコの言う通りかもしれない。

 あたしはどうしたらいいのか、わからなくなっちゃったよ。自分の存在理由も含めてね……。


「バスタオルとバスローブ、ここに置いておきますね」


 利子はいそいそと、手際よくキミの世話を焼く。

 キミの着替えの準備を済ませた利子は、今度はドライヤーのスイッチを入れて、あたしとリコのいる洗面所で手洗いした服を乾かし始めた。

 鼻歌まで聞こえてきそうな利子の振る舞い。その姿はまるで、新婚家庭の奥さんみたいだった……。



 ドライヤーのやかましい音が続く中、浴室のシャワーの音が止まった。

 わずかに開いた扉の隙間から、ヌッと現れたキミの手がバスタオルとバスローブを引っ掴んで消えていく。そしてしばらくすると浴室の扉がしっかりと開いて、バスローブに身を包んだキミが姿を現す。

 キミは服を乾かす利子の背後に立つと、洗面台の大鏡越しに彼女と見つめ合う格好になった。そしてキミが何か言いたげな表情を浮かべると、利子は気を利かせて賑やかすぎるドライヤーのスイッチをオフにした。


「ごめん、咲良さん。せっかく協力までしてくれたっていうのに、こんなことになっちゃって……」

「本当ですよ。私の一生の思い出を犠牲にしてまでお手伝いしたのに……。本当に困った人ですね、昌高さんは」


 真剣に謝るキミの姿を鏡に映し見ながら、呆れたように冗談ぽく返す利子。

 キミはまだ誠意が足りないと感じたのか、なおも真剣に謝り続ける。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。この埋め合わせは必ずします」


 すると利子はクルリと後ろを振り返って、キミを上目遣いで見つめ上げた。その表情は、打って変わって真剣そのもの。

 利子はいつも、体型も仕草も子供っぽさしか感じない。

 それなのに今目の前にいる利子は、女のあたしから見てもゾクゾクするほどの妖艶さを漂わせている。


「じゃぁ……。今ここで、その埋め合わせをしてくれませんか?」


 キミの肩にそっと手を掛け、じっと目を見つめて、やや首を傾げる利子。声には出さないものの、その仕草は「ダメですか?」と追い打ちをかけてるみたい。

 利子を見つめるキミは、完全に直立不動のまま硬直中。きっと頭の中では、様々な想いが交錯しているに違いない……。


 きっとこのままじゃ、キミは利子の誘惑に負けてしまう。そんな危機的な状況なのに、あたしはキミの決断に委ねてしまった。目を覚ましてと、キミに声をかけることができなかった……。

 時が止まる。それはきっとほんの一瞬。でも間違いなくこの一室では、随分と長い時間が流れた。そしてキミは決断を口にした……。


「ごめん、咲良さん。僕は――」

「何言ってるんですか。冗談に決まってるじゃないですか、昌高さん」

「え、だって……」

「でも今日、ラブホテルに一緒に入ったっていう事実は消えませんからね? ふっふっふー、私は初恋の人とラブホテルに入ってしまったー。あ、そういう意味じゃ、私は樫井さんに勝ったかもしれないー。良くやった、私。おめでとう、私」


 キミが声をかける隙を与えないほどに、はしゃいでみせる利子。鼻息荒く、拳を握り締めてガッツポーズを作っている。

 さっきの言葉は本当に冗談だったの?

 隣を見ると、リコが顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた……。



 メインイベントの自由時間を終えた修学旅行は、粛々と予定が消化されていく。

 また三都美との距離を縮めるどころか、さらに離れてしまったキミ。けれどもそんなキミに、帰りの飛行機で隣の席になった利子が朗報をもたらした。


「昌高さん、いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたいですか?」

『咲良さんもアメリカンジョークなの……?』

『「も」って……他に誰が?』


 すでに三都美との距離は、見ず知らずの他人以上に開いてる気がするっていうのに、さらに悪いニュースって聞いてあたしはうんざりする。

 底の見えないキミの不遇さに同情しながら、あたしは二人の会話に耳を傾けた。


「じゃぁ、先に悪い方からお願い」

「ミトンさんと蕪良木君は、もうお付き合いしてるみたいです」


 キミが写真を撮った後、三都美はもう大丈夫って言った。その言葉にあたしは嫌な予感しかしなかったけど、やっぱりその通りだった。

 あれは写真撮影を、キミが二人の仲を取り持とうとしてると誤解した三都美が、もうその必要はないから大丈夫って言う意味で放った言葉だったね。


「そっか……」

「だからあの男が蕪良木君の差し金で、ミトンさんを襲おうとしてたんですって言っても、そんなことをする理由がわからないって信じてもらえませんでした」

「実際にコーヒーを被ったのは僕だしね。それに今思えば、智樹は樫井さんにあの男の顔を見られないように、上手く逃がしたような気がするよ……」


 キミが懸命に涙をこらえているのは、誰の目にも明らか。だから当然、隣の利子も気付いているはず。

 そんなキミを見ていられなかったのか、利子は肩に手をかけて静かに謝った。


「私の説得力不足でした。ごめんなさい」

「…………」


 利子はどうしてここまでできるんだろう……。

 純粋に疑問を持ったあたしは、きっとその理由がわかっているはずのリコに質問を投げかけた。コッソリと、キミに聞かれないように内緒で。


『……ねぇ、リコ。どうして咲良さんは、自分を振った男のためにここまでしてあげられるの? あたしにはきっと無理だよ……』

『……それはもちろん、大好きな昌高さんに喜んでもらいたいからですよ……』

『そっか……』


 こんなに尊い利子の愛に触れたら、あたしは自分の行動に自信が持てなくなる。

 いくらキミが望んでるからって、三都美との仲を応援しててもいいのかな?

 でもあたしは、怖くてキミに聞くことができない。もしも利子を選ばれてしまったら、あたしの存在価値がなくなってしまいそうだから……。


 やがて、ずっしりと落ち込んでいたキミは少し落ち着いたらしく、利子にもう一つの答えを求めた。


「ごめん、間が開いちゃって。それで良い方のニュースは何?」

「ミトンさんと蕪良木君の仲は、あんまり上手くいってないみたいですよ」

「そうなの? 仲良さそうに見えたけど」

「私の口からはあんまり詳しく話せないですけど、ミトンさんなりに色々と思うところがあるみたいです」

「そうなんだ……」


 樫井さんと呼んでいた利子が、ミトンさんと呼ぶようになった。

 きっとあの後で、三都美と利子はかなり親しくなったに違いない。そんな利子が不仲と言うのなら、まだキミが諦めるのは早すぎるかもしれないね。


「そうそう。昌高さんの誤解も、ちゃんと解いておいてあげましたからね」

「誤解?」

「昌高さんは自由行動の間あたしとずっと一緒だったから、ミトンさんをつけ回したりなんてしてませんって言っときました」

「ありがとう。咲良さん、恩に着るよ。きっと僕がいくら話しても、樫井さんには信じてもらえそうもなかったからね」


 そのままにしておけば、間違いなく利子にチャンスが巡ってくるのに……。

 利子の好意を冒涜するつもりはないけれど、やっぱりあたしには理解不能だ。でもその疑問の答えを、リコがつぶやいた。


『お人好しすぎです、私。自分の幸せよりも、好きな人の幸せを願うなんて……』

『そうだね、あたしには間違ってもできないよ、そんなすごいこと』

『ほんと、自分が嫌になります。そして私は、この先きっと……』


 リコはとっても淋しそうな表情で、利子のことを見つめ続けていた……。

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