第20話 修学旅行2
「――何をしてるんだ、咲良さん。どういうつもりだ」
「私……私、昌高さんのことが好きなんです。大好きなんです。でも昌高さんは樫井さんのことが好きで、私どうしたらいいのか……」
利子はドアの前でそのまま座り込み、さめざめと泣き始める。
昌高はひざまずくと、泣き続ける利子の肩へと手を掛けた。
「ごめん。咲良さんがこれだけのことをしてくれても、俺の気持ちが変わることは絶対にないよ」
「やっぱり、私に魅力がないからですか?」
涙で顔をくしゃくしゃにした利子は、昌高を見上げて上目遣いで尋ねる。
そんな利子に昌高は優しく微笑みかけながら、静かに首を横に振った。
「まさか。とっても魅力的だよ。でも俺には他に好きな人がいる、それだけだ」
「そうですか……。そうですよね。こんなズルい手を使う私が、樫井さんに勝てるはずがありませんよね。男なんてこうすれば簡単に落ちるって言われたけど、みんながみんなそんなに単純じゃないですよね……」
「誰がそんなことを言ったんだ?」
「蕪良木君です。俺の言う通りにすれば、絶対に昌高さんを落とせるって……」
昌高は涙を拭う利子を見て、握りしめた拳を震わせた。
利子の恋心を利用した智樹を許せない。その目には怒りの炎がメラメラと――。
『ダウト! キミがこの状況で、性欲を抑えられるはずがないでしょ』
あたしはキミをからかいつつも、内心はホッとした。この間の内容だと、利子に惹かれつつあるかもって心配したけど、こういう展開だったんだね。
だけど、やっぱりリコは納得がいかないらしい……。
『ひどいです、ひどいです、ひどいですー。ひどいですよ、昌高さん。私にあそこまでさせておきながら、やっぱり振るんですか?』
(ごめん……)
『謝るぐらいなら、私の気持ちを受け取ってくださいよぉ、昌高さん』
『それにしても、修学旅行の最中にこんなもの書いちゃって……。誰かさんに見つかったら、また大変なことになるよ?』
(明日の自由行動のことを考えてたら、全然眠れなくて……)
みんなが寝静まる部屋をコッソリと抜け出し、旅館のロビーでノートにペンを走らせるキミ。海での失敗に全然懲りてない。
だけど明日は、大事な大事な自由行動の日。ひょっとしたら明日次第で、キミと三都美の運命だって決まっちゃうかもしれない。
っていうことは、あたしにとっても運命の一日。そう思ったら、あたしも緊張してきた。これは眠れないかもしれない……ふぁぁ……。
博多駅までは全体行動。そしてここから先は、いよいよお待ちかねの自由行動。
自由行動って言っても、行動は班単位。単独行動を許したら収拾がつかなくなるのを見越した、学校行事ならではの制約事項。
だけど三都美の班の様子が、なんだかおかしい。
しばらくはまとまって行動してたけど、やがてそれぞれが手を振って散り散りになっていく。そして三都美と智樹は、二人きりで行動を開始した。
『あれって、班を解散して単独行動を始めたよね』
『規則を破るなんて、許せませんね』
その様子はもちろん、キミもしっかりと見てたよね。
特に暑くもないのにしきりに汗を拭いつつ、視線だけは三都美たちを追いかけてるキミ。そのわかり易すぎる態度が動かぬ証拠だよ。
そんなキミの焦燥をよそに、班員たちは揉め始めた。
「なぁ、俺らどうする?」
「うちら、カラオケに行きてぇんだけど」
「どうするもなにも、事前に申請したコースを回るに決まってるじゃないですか」
『さすが私ですね。当然です』
リコ同様に、真面目に規則を遵守しようとする利子。
けれどもその言葉に、班員たちは不満の声を上げた。
「えー、マジでー」
「あれって、形だけの提出じゃねぇの?」
「ダメですよ。コースを外れて何かあったら、先生に迷惑がかかるんですから」
好き勝手言い始める班員たちを、利子が手厳しくたしなめる。うーん真面目。
だけどソワソワと落ち着かないキミは、はやる気持ちを抑えきれずにみんなに宣言した。
「僕たちも、各自で好きなところを回ろう。その代わり、自由時間終了の十五分前にここで集合だ」
「おー、話せるじゃん。クラス委員の前だから、単独行動にしようって言い出しにくかったんだよね。チクられたら困るし」
「クラス委員の許可なら問題ねーよな。じゃぁ俺、ゲーセン行ってくるわ」
あっという間にクモの子を散らしたキミの班員たち。慌てて集合って叫んだとしても、もう誰も戻っては来ないだろうね。
そしてキミも、すぐさま三都美と智樹を追いかける。けれども、その腕を利子が掴んだ。
「ちょっと、何やってるんですか、昌高さん。単独行動なんて規則違反ですよ」
「でも、今はちょっと時間が……」
三都美と智樹はガイドブックを手に、まだ少し先で話し合っている。けれど、いつ見失ってもおかしくない状況。
そんな三都美たちを目で追い続けているキミに、利子が叫び声をあげた。
「もう、そんなに樫井さんたちが気になるんですか! 私だって、昌高さんとどこを回ろうかっていっぱいいっぱい悩んで、今日のコースを考えたんです。昌高さんの好きな食べ物はとか、興味のあるものはとか……。それなのに、それなのに……勝手に単独行動を決めちゃって、しかも他の班の人を追いかけようとしてるなんて……。ひどいです、ひどすぎますよ、こんなの……」
利子はキミへの不満を一気にぶちまけると、両手で顔を覆って人目もはばからずに泣き出した。
キミは遠目の三都美と、目の前で泣き続ける利子を見比べる。
いつもは優柔不断なキミだけど、今日に限ってはすぐに結論を出した。
「ごめん。ごめんよ、咲良さん。後でいくらでも謝るし、一生恨んでくれてもかまわない。でも今は行かないとダメなんだ。行かないと一生後悔するんだ」
泣きじゃくる利子の両肩を掴み、必死に説得するキミ。
けれど時間のないキミは、仕方なく利子を残して立ち去ろうとした。
すると利子は再び腕を掴んでそれを阻止する。そして、泣き腫らした真っ赤な目のままで顔を上げると、キミに苦々しく笑い掛けた。
「まったく……。ひどい人ですね、昌高さんは。私の名演技にも、ちっとも戸惑ってくれないんですから……」
「演技……だったの?」
「どうでしたか? 私、役者の素質ありますか?」
そう言って一転、利子はケラケラと笑い出す。おまけに意地悪そうに、ペロリと舌まで出してみせた。
けれどもそんな利子とは対照的に、リコがポロポロと大粒の涙を流しながら、あたしの胸に顔を埋めた。
『私……見てられないです。こんな自分の姿、辛すぎる……』
そっか、リコには利子の気持ちがわかるんだね。
そしてそんなリコを見れば、利子がどんな思いで目一杯の強がりを演じているのかも、手に取るようにわかる。
今のあたしにできるのは、利子が必死に隠している気持ちを悟られないように、リコの姿をキミの目から覆い隠してやることだけだった。
「ごめんよ、僕はもう行くから……あっ!」
三都美を追いかけようとキミは振り返ったけど、すでにその姿はなかった。
するとキミは気が抜けたように、力なくガードレールにもたれかかる。そして小さく、ため息をついた。
そんなキミに、利子は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい……。私が引き留めてしまったばっかりに」
「…………」
「あ、私、樫井さんに電話して、今どこにいるか聞いてみますね」
携帯電話を取り出そうと、利子は肩に掛けたバッグを開く。けれどもそれを、キミは制止した。
「いいよ」
「でも私なら、それとなく居場所を聞いても怪しまれないと思いますよ」
「いいんだ。どうせ僕が後をつけ回したところで、二人の邪魔をするぐらいしかできないよ。そして迷惑がられて、余計に嫌われるのがオチさ」
「本当にごめんなさい」
「それよりも、咲良さんが考えてくれた自由行動のコースを見て回ろうよ、二人で」
「昌高さんはいいんですか? それで」
「せっかくの機会だし、一生の思い出を作りに行こうか」
「はい!」
利子はニッコリ微笑むと、再び一筋の涙を頬に伝わらせた……。
キミと利子は、博多駅から運河の流れる商業施設を目指す。
ガイドブックを片手に目抜き通りを闊歩する二人は、傍から見れば仲のいいカップルにしか見えない。
「ごめんよ、咲良さん。さんざん返事を引き延ばした上に、さっきはひどい態度をとっちゃって……」
「いいですよ。きっと昌高さんのことだから、私を傷つけるのが怖くて返事ができなかったんでしょ? 答えを迫れば振られるのはわかってたんで、わざと返事を催促しなかった私も同罪です。おあいこなんですよ」
「そっか……。そう言ってもらえると助かるよ」
「もう、つまらないお話はおしまい! 今日だけでいいんで、ここからは彼氏として私の一生の思い出作りに協力してください。その代わり、修学旅行が終わったら昌高さんの想いが実るように、私もきっと協力させてもらいますから」
「ありがとう。感謝するよ、咲良さん」
二人の会話を聞いて、あたしは言葉が出ない……キミの態度が残酷すぎて。
あたしから見れば、グズグズと返事ができずにいた優柔不断男が、告白してくれた女の子を態度でふって、しかもさらにその好意に甘えようとしている図。
この会話が成り立ってるのは、ぜーんぶ利子の精一杯の強がりのたまもの。あたしはそんな利子の姿に、ライバルながらに目が潤むほどに感動した。
そんな気持ち痛いほど理解してるリコも、堪えきれずに涙を拭っている。
『もう……私ったら、お人好しにもほどがあります』
(あれ、リコどうしたの? 目が真っ赤だけど)
『キミって、無意識のうちにみんなを傷つけていくよね……』
キミと利子はウィンドウショッピングや、アミューズメント施設を楽しむ。そしてラーメン屋が集まっているコーナーで昼食をとり始めた。
二人が食事に夢中になっている間、あたしは暇で仕方がない。この世界じゃ、ご飯なんて食べられないからね……。
店内を何気なく見回していると、あたしは見覚えのある人物を見つけた。
『ねぇ、あれ。あいつどっかで見た覚えがあるんだけど』
『あれって……文化祭で樫井さんに絡んだ、ガラの悪いお客さんですよね?』
(……なにっ!?)
すすっていたラーメンを口に入れたまま、慌てて顔を上げるキミ。
そしてあたしの指差した先を見て、キミも大きく頷いた。やっぱり間違いない、あいつは文化祭で三都美に絡んだ人相の悪い客だ。
『これって、どういうことなんでしょう?』
『さぁ? あの時恥をかかされた腹いせに、智樹を追いかけてきたとか?』
(まさか……腹いせだったら、地元で闇討ちにでもすれば済むでしょ)
三人で声のない密談をしながら、気付かれない程度に男の様子をうかがうキミ。その姿を不審に思ったのか、利子がキミに声を掛けた。
「どうかしたんですか?」
「いや、文化祭で迷惑客が乱入した事件があったろ? なぜだかわかんないけど、そいつがそこにいるんだよ」
「まさか、別人じゃないんですか? ……って、あれは」
「わかるの? 咲良さんって、あの時いなかったよね?」
少し驚いた表情を見せた利子の口から、あたしたちをもっと驚かせる言葉が飛び出した。
「あの人、私の中学の同級生ですよ。当時から蕪良木君とよく一緒でした。わざわざよそから遊びに来るなんて仲がいいんだなって思ってたから、よく覚えてます」
『あの見た目で、私たちと同学年なんですか? 信じられないです』
『今はそこじゃないでしょ! あれが智樹と知り合いってことは……えーと……どういうこと?』
あたしは混乱して、とっさに考えがまとまらない。
けれどもキミは、冷静沈着に答えを導き出した。
「間違いなく、樫井さんが危ない」
「え、そうなんですか? それじゃ早く何とかしないと……」
突然、不穏な空気が流れ始めた。
利子もそれを感じ取ったらしくて、つられるように心配そうな表情を浮かべる。
キミはしばらく頭を悩ませていたけど、すぐに利子に指示を出した。
「咲良さんは、樫井さんの電話番号知ってるんだよね? 怪しまれないように今いる場所を聞いて、彼女をコッソリ見守ってあげてくれないかな。僕はこのまま、あの男を尾行するから」
「…………」
利子は黙って考え込んでいる。
『咲良さんに手伝わせるなんて、あんまりだよ。キミ……』
(そっか、それじゃぁ僕たちだけでも。今は一刻を争う事態だし……)
『私にそんな心配は無用ですよ。ほら、見てください』
安心感を与える言葉と共にリコが指差した先には、さっそく電話を掛ける利子の姿があった。
「あ、樫井さんですか? 私です、利子です。今休憩中なんで、そっちはどうしてるかなーって思いまして。樫井さんは、今どこを回ってるんですか?」
さすが利子。違和感のない会話で、さりげなく三都美の居場所を聞き出してる。
その様子を、キミとあたしとリコの三人で心配そうに見つめていると、利子が突然指をさしてキミに注意を促した。
振り向いた先には、店を出ようとする男の姿。キミは後ろ髪を引かれながら、男の尾行を開始する。
最後にもう一度キミが利子に振り返ると、彼女は大きく頷いて小さく手を振り、ニッコリと微笑み返した……。
コッソリ男の後をつけていくと、公園のベンチで暇そうにしている。
でも時間を気にしているところを見るとあれは暇つぶし、その時男の携帯電話の着信音が鳴りだした。
「おう……わかった」
そんな二言だけの返事で電話を切ると、男はベンチから立ち上がった。
男はコンビニに立ち寄ってドリップ式のコーヒーを買うと、それを持ったまま街を歩く。距離を取って尾行すること五分、男は信号もない小さな交差点の手前で立ち止まると、壁に寄りかかって携帯電話を取り出した。
コーヒーでも飲むのかと思ったけど、その様子もない。
「準備完了だ」
男は一言だけ告げて、電話を切った。
キミは男の後方で、電柱に潜んで様子をうかがう。リコは交差点のど真ん中、あたしは男のすぐそばで待機。あたしとリコの利点を活かした、万全のフォーメーションで周辺を監視する。
『来ましたよ。やっぱり樫井さんと蕪良木君です。そしてその向こうには、挙動不審な尾行をしてる私もいます』
『どうやらこの男の電話の相手は、智樹だったみたいだね』
想像はついてたけど、男が待っていたのは三都美と智樹。何が目的かはわからないけど、このコーヒーはきっと三都美にぶっ掛けるつもりなんだろう。
(ありがとう。あとは僕が阻止する)
男に気付かれないようにソロリソロリと近付くと、コーヒーをコッソリ奪い取るためにキミは恐る恐る手を伸ばす。
その時キミの携帯電話が、やかましい着メロで鳴り出した。
『あぁ、もう、何やってるんですか、私!』
着信は利子から。きっと三都美たちの動向を、報告しようと思ったんだろう。
男に気付かれたキミは、実力行使でコーヒーに手を伸ばす。
そして次の瞬間、キミは三都美にぶちまけられるのを阻止する代わりに、そのコーヒーを自ら全身で浴びる破目になった。
「熱っちゃちゃちゃ……!」
「この野郎、邪魔しやがって」
激高する男はキミに殴りかかる。二発、三発と、顔面を殴りつけられるキミ。
そこに三都美と智樹が通りかかった。
「キャッ。何? 何してるの?」
三都美はキミに気付くと、驚いた表情で小さな悲鳴をあげる。
すると智樹は素早く、あたしが思ってたのとは違う行動を取る。
脇目も振らずに男に襲い掛かった智樹は、襟首を掴んでキミから引き剥がした。そして鋭い目つきで睨みつけると、威勢のいい言葉で凄む。
「てめぇ、俺の友達に何しやがる」
「智樹クン、やめて。暴力はダメだよ」
「いや、許さねえ。あっ、待ちやがれ」
隙を見つけて男は逃げ出す。それを智樹が懸命に追いかけていった。
取り残されたのはキミと三都美。三都美はコーヒーまみれになったキミを心配そうに見つめながらも、その表情を曇らせた。
「まさか、キミ……。あたしたちをつけ回してたわけじゃないよね?」
そう言い残すと、三都美は智樹の後を追いかけるように駆け出していった。
そして三都美と入れ替わるように、利子がキミの元へと駆けつける。
「昌高さん、何があったんですか? こんなにびしょ濡れになっちゃって。それに、血も出てるじゃないですか……」
「いや、僕はいいから、咲良さんだけでもあいつらを追ってくれ」
「何言ってるんですか。今から追いかけても間に合いませんよ。諦めてください」
利子はキミを引き起こすと、ハンカチを取り出してそっと顔の血を拭う。その献身的な姿は、まるで母親みたい。続けてコーヒーまみれの身体も拭き始めたけれど、そんなハンカチ一枚じゃ全然足りるはずがなかった。
他に体を拭けそうな物はないかとバッグを漁る利子。その表情が次第次第に思いつめていく。
そして利子は後ろを振り返ると、そびえ立つラブホテルを睨みつけて、決心したようにキミの手を引いた……。
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