第19話 修学旅行1
――修学旅行は三泊四日。
とはいえ、お楽しみは三日目の半日自由行動に集約される。
昌高は班行動を抜け出し、事前に練っておいたコースを一緒に回るために三都美を探す。しかし三都美の姿はどこにも見当たらず、携帯電話もつながらない。
昌高が不安に駆られていると、そこへ利子から電話がかかってきた。
「もしもし、昌高さんですか? 樫井さんが知らない男の人に連れていかれました。大変です、すぐ来てください」
「本当か? わかった、すぐ行く」
昌高は利子の告げた住所に、タクシーを拾って大急ぎで向かった。
しかしタクシーから降りると、目の前にあるのはラブホテル。そして利子の姿も見当たらない。不思議に思った昌高は利子に電話をかけてみることにした。
「言われた通りに来たけど、ラブホテルしかないぞ」
「そこです、樫井さんはそこに連れ込まれたんです。私はコッソリ追跡して、部屋番号を確認しました。307号室です。急いでください、手遅れになっちゃう」
鬼気迫る利子の声に、昌高は不審に思いつつもホテルに飛び込んだ。
エレベーターに乗り三階へ。そして307と書かれた部屋をノックしてみる。
応答はない……。
躊躇したものの、三都美への心配が勝る昌高はドアノブを静かに下げる。オートロックじゃない安っぽいドアは、昌高を簡単に招き入れた。
人気のない、静まり返った部屋。
奥へと踏み込むと、いつの間にか誰かに背後に回り込まれていたらしい。人の気配に昌高が振り返ると、ドアの前に立ち塞がっていたのは利子だった。
利子は昌高を逃がさないように、両手両足を広げて大の字で通せんぼをする。
その身体は、一糸纏わぬ透き通るような素肌だった……。
『ちょっと……、さすがにこれはまずいです、昌高さん』
その声にハッとしたキミが、リコの方へと顔を向ける。
けれどもあたしはリコをギュッと抱きしめて、その柔肌をキミの視線から覆い隠した。小さく縮こまったリコの温もりを堪能しつつ、あたしはキミを咎める。
『まったく、キミってやつは……。欲求不満なの? 早くリコに服を着せてあげて』
「すいません。眠れなくてテンション上がっちゃって……。でも閃いたエピソードに必要なシーンなんですよ」
『……わかりました。昌高さんが望むなら……』
『甘い顔したらつけあがるって、こいつは。キミも早く最後の行消しなさーい!』
渋々とキミが小説の最後の一行を消したので、利子の身体に服が戻る。
修学旅行中にラブホテルとか……。キミのせいで、男子高校生はみんなこんなこと考えてるように思えてきたじゃないの、まったく……。
それにしても明日から修学旅行だっていうのに、こんなシーンを書いたキミ。あたしはキミの真意がわからなくなってきた。
三都美と一緒に行動したいはずなのに利子とラブホテル、しかも全裸なんて。単純にストーリーに山場を作ろうとしてるだよね……?。
だけどキミの気持ちが変わってしまって、利子に乗り換えた可能性も否めない。
あたしはキミに答えを聞くのが怖くて、小説の内容については様子を見ることにした。続き次第じゃ容赦しないけどね……。
「参ったな……。全然眠れない」
『じゃぁ、私が添い寝してあげましょうか? 昌高さん』
「いやいや、余計眠れなくなるから。それに添えないでしょ」
眠れないキミは、仕方なく再度持ち物の点検を始めた。
着替えに洗面道具、苦い思い出のあるエチケット袋。小説執筆用のノートに筆記用具。さらには写真なんて携帯で充分なのに、気合いを入れて購入したデジカメ。
何度も何度も見直した荷物だから、忘れ物なんてあるはずもない。むしろこうして点検したせいで詰め忘れる方が心配なぐらい。
それを済ませたキミは、眠れるかわからないままにベッドへと潜り込んだ……。
いつものキミらしく、集合場所の空港には早すぎるほどに早く到着した。
それでも周囲を見渡すと、地元かと思うほどに見慣れた制服ばかり。修学旅行シーズンの公立高校なんて、日程も行き先も似たようなもの。向こうの方では利子も、偶然再会した他校の旧友と雑談をしている雰囲気。
そんな中、キミは眠い目をこすりながら、キョロキョロと三都美を探している。
けれどいくら探しても、キミは三都美を見つけられない。それもそのはず、どこにもいなかったのだから……。
三都美は集合時刻ギリギリに智樹と一緒に現れた。キミが三都美に話しかける隙なんてない。結局キミは三都美に声をかけることもかなわず、そのまま整列となってしまった。
一班の三都美と智樹はずっと前の方、そして六班のキミと利子はずっと後ろの方。
班によって決まったその隊列は、いくらクラス委員のキミでも変えられない。キミの右腕には神なんて宿ってなかったんだから仕方がない。
『背の順だったら、近いのにね』
(やっぱり席運は、二学期に取っておくべきだった……)
『でも、一学期があたしの後ろだったから、ここまでお近づきになれたのかもよ?』
『いいじゃないですか。二学期は私がすぐ後ろの席なんですから。ついでにもっともっと、お近づきになりましょうよ』
修学旅行は基本的に団体行動。そしてその最小単位は班。飛行機の座席も班、バスの席順も班、そして移動の隊列までもが班単位。引っ込み思案なキミには、その分子構造のような強大な壁を打ち壊すのは至難の業。
そしてここ、初日の長崎市内観光もやっぱり例外なし。長く連なる隊列は、集合の時と同じ並び順だ。
『ねぇ、すっとぼけて前に行っちゃおうよ。このままじゃ、話す機会が全然ないよ』
(そんな、智樹みたいなことができたら苦労しませんよ)
『そうそう、ダメですよ。列は乱さずに進まないと』
次々と巡っていく観光名所の数々も、その隊列は崩されることがない。
スケジュールだって分単位、束の間の休憩時間もそばには智樹がいる。そして時折訪れるチャンスも、キッチリと利子が寄り添って三都美との接近は阻まれた。
キミは三都美に話しかける機会を見つけられないままに、次々と予定が消化されていく。
『ねぇ、ここまで会話ゼロだよ? 長崎市内観光はもう終わりだよ?』
(大丈夫です、明日があります。きっとチャンスだって……)
キミは根拠もなく、明日に希望を見出す。
ここ数日、キミが夜中までガイドブックを読みふけっていたことを、あたしは知ってるよ。そして旅行中にその知識を披露して、三都美と会話のきっかけを作ろうと考えてたこともね。けれどそんな労力も、キミが三都美に声をかけられなきゃ無駄な努力。今日できなかったことが明日できるとは、あたしには到底思えなかった……。
二日目はオランダの街並みを模したテーマパーク。ここでは多少の自由時間も与えられた。そのわずかなチャンスに望みをかけて、キミは話しかける機会をうかがうために三都美の後をつける。
そしてそれは唐突に訪れた。一緒に歩いていた智樹に手を振って別れ、コスモス畑をウットリ眺めながら三都美が一人たたずんでいる。
『ほら、チャンスだよ。今しかないよ』
(わ、わかってます。い、行ってきます)
キミは国を代表してオリンピックに出るほどの決意を持って、三都美の元へと足を踏み出した。そしておずおずと話しかける。
「あ、あの、写真どうですか?」
「デジカメなんだね。やっぱり綺麗に撮れる?」
「まだあんまり撮ってなくて……。でも携帯より綺麗に写るんじゃないかと……」
頑張ってる、キミは頑張ってるよ。自分から率先して声をかけるなんて、すごい進歩だ。そんな妙な感動を覚えてしまうあたし。
けれど、それほどまでに頑張っているキミの努力は、あっけなく打ち砕かれる。
「おう、飲み物買ってきたぞ、三都美。ん? なんだ、デジカメか?」
「あ、写真でも撮ってあげようかと思って……」
「おう、そうか、悪いな。じゃぁ頼むわ」
三都美の肩に手を回し、ピースサインを作る智樹。三都美もそれに合わせて、人差し指と中指で智樹と同じポーズをとる。
「は、はい、チーズ」
キミが覗くファインダーは涙で歪んでいるんじゃないかと、あたしは心配になる。
するとそこへやってきたのは利子。どうやらキミを探して呼びに来たらしい。
「あ、こんなところにいた。もうすぐ集合の時間ですよ、行きましょう」
「……はい」
利子に連れられて集合場所へ戻ろうとするキミに、三都美から声がかかる。
「ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」
利子に手を引かれながら、キミは不思議そうな表情を浮かべた。
キミには三都美の言葉の意味がわからないらしい。
(さっきの大丈夫ってどういう意味ですかね?)
『さ、さぁ……』
あたしはとっさに、キミにとぼけてみせる。
今の一言は、キミの夢を打ち砕くほどの絶望の言葉かもしれない……なんて、あたしがキミに言えるはずがない。
あたしはお茶を濁して、キミには黙っておくことにした。
それにしても、そのデジカメを買うために親にお小遣いを前借りまでしたっていうのにね。こんなお膳立てで終わったら、キミが可哀そうすぎるよ。
でもきっと、まだ出番はあるさ……。
結局二日目が終わっても収穫なし。しかも三都美と智樹のラブラブな写真まで撮らされて、相当に落ち込んでいることだろう。
『まだチャンスはきっとあるよ。元気出そう』
『いいんですよ、無理しなくても。それに昌高さんには、私がいるじゃないですか』
(やだなぁ、別に落ち込んでないですよ)
夕食後のフリータイム。思ったよりもキミは元気そう。
あたしは不思議に思って、その理由を尋ねてみた。
『どうしてそんなに元気なの?』
(だって、樫井さんの写真が撮れましたからね)
触れてはいけない気がしていた日中の写真。思いがけずキミの方から、その話題がもたらされた。
話題解禁ならばと、あたしはキミの上機嫌の理由を探ってみる。
『でも、それってツーショット写真だよね? それでもいいの?』
(邪魔者は消してしまえばいいんですよ。こうやって……ねっ! と)
『あ、すごいです。昌高さん』
スマートホンに転送したデジカメの写真を、加工アプリを使って智樹の姿を消してみせるキミ。三都美が一人、ピースサインで写る写真に早変わりした。
『これなら確かに、あたしだけを撮った写真だわ』
(でしょ? だから、全然落ち込んでないですよ)
キミはあたしたちに答えると、ウットリと携帯に映る三都美の写真を眺め始める。
でもあたしには、その写真に一つだけ気がかりがあった。
『でも……あたしの肩に乗せられた手が消えてないよ』
『昌高さん、これじゃ心霊写真みたいで気味が悪いですよ……』
残念ながら、これがキミの写真加工技術の限界らしい。
二人が放った率直な感想は、浮かれていたキミを現実に引き戻すには充分すぎる言葉だった……。
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