第13話 自業自得

 ――夏休み。しかも高校二年生なんだから、何も起こらないはずがない。

 一年の時は、まだ高校生活に慣れていなかった。そして来年の三年は、受験で慌ただしくなるだろう。必然的に高校二年とは、一番何かが起こる年なのだ。


 そして今、昌高は海に来ている。

 強い日差しを右手で遮りながら、ワクワクした面持ちで海を眺める三都美。昌高の目は、その三都美の水着姿に一瞬にして奪われた。

 大胆なビキニの胸元は、溢れ出しそうに豊かな胸。ウェストは部活で鍛えているせいかしっかりと引き締まり、丸みを帯びたヒップラインは色気を漂わせる。やや筋肉質の太ももにふくらはぎも、思わず頬ずりをしたくなるほどにスベスベだ。

 それだけでも強烈な破壊力なのに、抱きしめたくなるほどに愛くるしい顔まで備わっているんだから、もはや犯罪。砂浜の時を止め、今まさに女神が降臨した。


「あれ、奇遇だな。お前たちも来てたのか?」


 ここは日常生活からかけ離れた海だというのに、背後から呼びかける声がある。

 誰だろうと昌高が振り返ると、そこには智樹の姿が。しかも利子を連れている。


(本当に奇遇か……?)


 不自然ながらも、その確証を持てない昌高。しかし、赤らめた顔でモジモジする利子を智樹が肘で小突いているのを目撃した瞬間、昌高は確信した。

 今日のことは智樹に話してしまったと三都美が言っていた。でも利子は知らないはず。となれば、これは間違いなく智樹の謀略。昌高に寄せる利子の想いを利用して、このデートをぶち壊すつもりに違いない。

 となると、こうしちゃいられない――。




『ちょっとぉ……。外でも小説を書くのは構わないよ。でもね、キミが水着姿なんて描くから、その通りになっちゃったじゃない!』


 今のあたしは、布地が少なめの胸元の開いたビキニ姿。まだ待ち合わせ場所に向かう電車の中だっていうのに……。

 もちろん、この姿はキミにしか見られてないけど、気分的には海に着いてからにして欲しかったよ……。


『まったく、キミはどれだけあたしの水着を楽しみにしてるの。キミは今までに、こんなに丹念な描写なんてしたことあったっけ?』

(確かにこれは、とっても大胆なビキニですね……)

『人の話を聞けー。そして、あんまりジロジロ見るな、このバカー。だいたい、小説に大胆なビキニって書いたのはキミじゃないかー』

(でも、ここから服を着るのは不自然ですから、もうちょっと我慢してください)


 小説に描写がない以上、あたしは水着姿を隠せるような上着もバスタオルも持っていない。仕方がないので片腕で胸を、もう片方の手で下半身を懸命に隠す。

 目的地はまだまだ先。あたしは当分、羞恥と戦うことになりそうだ……。


『今日のことは、咲良さんには内緒にしたんだよね?』

(ええ、僕から話してビックリさせるからって、樫井さんも口止めしてあります)

『でも、まだ別れられてないんだよね?』

(なかなか言い出せなくて……すみません)



 そして待ち合わせ場所に到着。今日も映画の時のメンバーが勢揃い。勢揃い?

 お目当ての三都美はフレアのミニスカート。けれど、そこに注目している余裕はキミにはなかった。


『いるじゃない。咲良さん』

(いますね……。なんでだろ……)

『キミが小説に書いたからじゃないの? もはや預言書だね、あれは』


 キミの姿を見つけた利子は一直線に駆け寄って、すかさず所有権を誇示するように腕を組む。キミは特に拒む様子もなく、そんな利子を受け入れた。

 さすがに三都美の前じゃ、険悪な雰囲気は作れないね……。


 更衣室で水着に着替えて、砂浜にパラソルを設置。レジャーシートを敷いて、みんなの荷物を重しにすれば準備完了。すると智樹は、早々に三都美を誘って水辺の方へと遊びに行った。

 誰かが荷物の番をしないといけない。最初から海ではしゃぐつもりのなかったキミは、パラソルの作り出す日陰にゴロリと仰向けに寝ころんだ。

 すると利子がすぐ隣にペタリと座り、そんなキミを真上から覗き込む。


「昌高さん、私のことはリコって呼んでもらってもいいですか?」

「あだ名で呼ぶとか、僕には無理かな」

「じゃぁ、利子としこで」

「名前呼びとか、恥ずかしいよ……」


 羽織っていたパーカーは既に脱ぎ捨てている利子。その幼児体型気味のワンピースの水着姿を直視できずに、キミは寝返りを打って利子に背を向けた。

 けれども覆いかぶさるようにして、利子はキミの顔を追いかける。逃げるように反対側へと再度寝返りを打ったキミは、今度は利子の太ももが眼前に迫ってドギマギしている。

 これじゃ完全に利子のペース。この調子じゃ、キミが別れ話を切り出せるなんて到底思えない。


『どうすんの? せっかく二人きりなんだよ? 別れ話を切り出すチャンスだよ?』

(わかってますよ……。今から言いますから……)


 心を落ち着けようと必死なキミ。ついでに告げる言葉も確認しているんだろう。

 けれども利子は、そんなキミを察知したのか先手を打ってきた。


「そうだ、私なにか食べ物買ってきますね」

「じ、じゃぁ、お金は僕が出すよ」

「おごりですか? ありがとうございます。行ってきますね」


 利子はそう言い残すと、キミの財布を握り締めて海の家の方へと行ってしまった。

 まるで利子は、キミの考えていることが読み取れるかのよう……。

 そしてしばらくして、利子が良い匂いを漂わせながら帰ってくる。


「はい、焼きそばとタコ焼きです。こっちの紅生姜抜きは、昌高さんの分です」

「なんで、僕が紅生姜を嫌いなの知ってるの?」

「お昼に焼きそばパンを食べてる時、いつも紅生姜を避けてましたからね」

「そっか……」


 並んで黙々と焼きそばを食べるキミと利子。時折隣のキミに視線を送っては、利子は満足そうなウットリとした表情になる。

 そしてキミがタコ焼きに手を伸ばすと、利子は物欲しそうな表情を浮かべて、いたずらに「あー」と声を出しながら口を開いた。


「食べる?」


 キミの問いかけに、利子は口を開いたまま笑顔を浮かべてコクリと頷く。

 するとキミは爪楊枝に刺したアツアツのタコ焼きを、不器用に利子の口に放り込んだ。ハフハフと息を弾ませる利子は、熱さで涙目になりながらも喜び一杯の笑顔を輝かせた……。


 やがて、すべて食べ終えたキミがぼんやりと海を眺め始めると、隣で膝を抱える利子がポツリと話し始める。


「昌高さんは気づいてないみたいだから言っちゃいますけど……」

「ん?」

「保健委員に昌高さんを推薦したの、私なんです。ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「私は、昌高さんと少しでも一緒にいたかったから同じ委員に推薦しちゃったんですけど、やっぱり迷惑だったかなって」


 そういえば委員会を決めていた時、キミは推薦されて保健委員に決まった。そっか、利子の推薦だったんだね……。

 あの時すでに利子はキミのことが好きだったのなら、ひょっとすると……。


「どうせ何かの委員はやらされるんだし、別に……。あれ? まさか僕がクラス委員に立候補したときの一票って、咲良さんが入れてくれたの?」

「はい!」

「そうだったんだ……」


 キミの落ち込みを立ち直らせたあの一票。それは三都美のものじゃなかったと、キミが知ってしまった瞬間だった。

 あたしはキミがショックを受けるんじゃないかと心配したけど、それは杞憂に終わった。それどころか君は、嬉しそうに笑顔を浮かべている。

 怪しげな展開に、あたしの胸がざわついた。


「昌高さん、ごめんなさい! 私ってひどい女です。私と一緒に保健委員になってもらいたいからって、勝手に推薦しちゃって。それに保健室でも昌高さんを騙して、まともに告白すらしていないのに彼女面をして……」


 利子は突然キミの方に身体を向けると、強い口調で謝り始めた。

 今までの自分の行いを必死に謝罪する利子。その目には涙も溢れ始めた。

 利子の行動はキミの心を打つ。でもあたしはそれすらも演技じゃないのかと、疑いの眼差しで見ていた。


「いいよ、もう。怒ってないから涙を拭いてよ」

「許してくれるんですか? ありがとうございます……」

「怒ってないけど、僕には――」

「保健室の告白はなかったことにしてくれて構いません。でも私、昌高さんのことが好きなんです。だから私と付き合ってください。お願いします」


 キミが言いかけた言葉を遮って、利子は強引に告白をした。

 四つん這いで身を乗り出して、キミの目をじっと見つめる利子。その目からは涙を溢れさせたまま……。

 キミは目を伏せる。それが圧力に耐えきれなかったのか、はたまた利子の胸元に目を奪われたのかはわからない。けれどもキミは目を逸らしたまま、利子の哀願にポツリと返事をした。


「ちょっと、考えさせてよ」

「……わかりました。私は海の方に行ってきますね」


 涙を拭いながら、利子は海に向かって駆け出していく。

 それをぼんやりと目で追うキミに、あたしは大いなる不満をぶちまけた。


『なに? 考えさせてって。揺らいじゃってるの? 気持ち』

(そうじゃないですよ)

『だったら、なんですぐにお断りしないの?』

(あんなに必死な表情されたら、断り切れなくて……。それに、僕のことをこんなにも見ていてくれた人は初めてだったから……)

『でも、キミの答えは決まってるんだよね? 先送りするにしても、最終的には断るんでしょ? だったら無駄に辛い時間を過ごさせる方が、余計に彼女を苦しめことになるんじゃないの?』

(…………)


 無言で膝を抱えて海を眺めるキミ。視線の先では三都美と智樹が楽しそうに遊んでいる。

 あたしはキミに無視された気がして、さらに口調を荒げた。


『キミは保険をかけてるんじゃないの? あたしを智樹に取られたときのために』

(そんなんじゃないですよ!)

『本当に? 違うって言い切れる?』

(ちょっと黙っててもらえませんか?)

『黙らないよ。だってこれはキミにとっても、あたしにとっても、大事な人生の分岐点になるかもしれないんだから』

(…………)


 あたしがきつく言ったのが堪えたのか、キミは黙り込むとカバンをゴソゴソと漁り始めた。そして取り出したのは、ノートとシャーペン。まさかこんなところにまで小説ノートを持ってきてるなんて。

 キミはノートを開くと、口を尖らせたまま一心不乱にペンを走らせる。まるでノートに向かって八つ当たりをするように……。


 ――たっぷりと海を堪能した三都美はシャワーで海水や砂を落とすと、更衣室で着替え始めた。そして致命的なミスに気付く。


「……しまった。替えの下着はもう一つのバッグだった……」


 せっかくシャワーも済ませたのに、また水着を着直すのも気持ちが悪い。

 三都美は少し悩んだが、もう一つのバッグもすぐそこ。なので思い切って、下着を身に着けずに更衣室を出ることにした。


 今日の服装はTシャツにフレアのミニスカート。でも今はノーパンにノーブラ。

 三都美はドキドキしながら、荷物番をしている昌高のところに向かった――。


『ちょ、ちょっと待ってよ。なに? 何するつもり? えっ?』


 あたしの服は小説と同じく、Tシャツにフレアのミニスカートに早変わり。そしてまさかと胸に手を当ててみれば、やっぱり着けてない。もちろん下もだ。

 キミの反抗手段はあまりにも卑怯。でも、うろたえているあたしに目もくれず、キミは意地悪な笑みで小説を書き続ける……。


 ――しかし、昌高を見た三都美は愕然とする。ゴロリと昼寝をする昌高が枕にしていたのは、お目当ての三都美のもう一つのバッグだったからだ。

 昌高を起こさないように、三都美はソーっとバッグに手を伸ばす。

 この夏の暑さと冷や汗でTシャツはぐっしょり。胸も透けているに違いない。

 でも、昌高さえ目覚めなければ大丈夫……。


「……あれ。戻ったなら声をかけてくれれば……」


 昌高が目覚めてしまった。しかもその瞬間、タイミング悪く突風が吹きつけた。その一陣の風は三都美のフレアのミニスカートを――。


「ん? これ、なに?」


 キミが執筆中のノートが突然、背後からヒョイと取り上げられた。

 振り返ったキミの表情は驚きから驚愕に変わる。なぜならそこに立っていたのは、三都美だったのだから……。

 ビキニ姿の三都美は立ったまま、キミのノートに書かれた小説を黙読している。

 この程度の掌編小説なら、読み終えるのはほんの一瞬。今さら取り上げたところで手遅れに違いない。

 キミは観念したらしく、恐る恐る三都美の顔を見上げる。


「この恥ずかしい文章はなんなの……?」


 顔を真っ赤にした三都美の視線が、容赦なく足元のキミに突き刺さる。

 一瞬で顔面を蒼白にして、そのままキミは石像にでもなったかのように固まった。

 キミの長く楽しいはずの夏休みが、始まるや否や終了した瞬間だった。


『まったく何やってるの……。あたしを辱めたバチが当たったんだよ……』

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