第14話 リコメンド
「――私というものがありながら、ひどいです。昌高さん」
利子の行動は、昌高の想像以上に早かった。
身に覚えのない利子の発言。もちろん、言わせっぱなしにしておくわけにはいかない。昌高は慌てて利子の言葉に反論した。
「何を言ってるんだ、咲良さん。俺たちの間には、なんの関係もないだろ」
「お前はひどい男だな、昌高。咲良さんから聞いたぞ、お前の悪行の数々。今日だって、本当は咲良さんとここへ来る予定だったらしいじゃないか」
「ちょっと待て。何を言ってるんだ、智樹まで」
明らかなでっち上げ。それでも二対一になると、昌高に分が悪い。無実の証明というのは、思った以上に難しいものだ。
「二人が言ってるのは根も葉もない作り話だよ。樫井さんは信じてくれるよね?」
「昌高さんは、私の大切な彼氏なんです。浮気は咎めません、きっと私にも落ち度があったんです。だけど樫井さん、昌高さんからは手を引いてもらえませんか?」
昌高の言葉を上書きするように、三都美に詰め寄る利子。その迫力に、三都美の心が揺らいでいるように見える。
利子の演技は相当なもの。プロの女優としてもやっていけそうなほど。そしてこういう場合、人というのは同性の言葉を信用しがちだ。
「今日は帰るよ。さようなら、昌高クン……」
どうやら三都美は疑心暗鬼に陥ったらしく、冷ややかな言葉と共に海を後にする。
「待ってくれ、誤解なんだ。俺を信じてくれ」
「…………」
必死な昌高の呼びかけも、応じてもらえなければなすすべはない。
自分の言葉を信用してもらえなかった昌高は、そんな三都美を追うことができなかった……。
『ちょっと待って。確かにキミと咲良さんは何もない。でもキミがあたしにやったことは、無実じゃないからね? それに、あの結果も誤解じゃないから』
「いや、こっちは小説ですから。あんな失態を、正直に書けるわけないでしょ」
ノートパソコンのキーボードを叩いていたキミは、その手を止めて隣のあたしに反論した。確かにその言葉は正論かもしれない。
『映画の時に、これぐらいキッパリと咲良さんに言っておけば、きっとここまでこじれなかったよね』
「それが言えたら苦労しませんよ」
『書けるってことは、言葉は浮かんでるってことでしょ?』
「それを口に出すのが難しいんじゃないですか」
言い訳を通り越して、開き直ったか……。
あれから二週間。キミは小説を書けるぐらいには立ち直ったけど、未だに三都美とは音信不通。学校があれば嫌でも顔を合わせるけど、不運なことに今は夏休み。仲直りのきっかけも掴めなくて、キミは毎日悶々としている。
『この小説はとりあえず置いておくとして、現実問題の方はどうするの。言いすぎたあたしも悪かったけど、一番はあんなことを書いたキミが悪いんだからね』
「僕も調子に乗ってやりすぎたと思ってます。つい、筆が乗ってしまって……」
『あんなにスラスラ書けたってことは、普段から妄想してる証拠じゃない。キミはとんだド変態だよね、まったく』
「お褒めに預かり、光栄です」
『このバカー。褒めてなーい。で? キミは小説を見られちゃってから、三都美に全然口を利いてもらえてないんでしょ?』
「はい、電話も出てくれなくて、一言も……」
机に向かって肩を並べ、あたしはキミといがみ合う。すると突然、二人の背後から聞き覚えのある嬉しそうな声が、あたしの耳に届いた。
『いいこと聞いちゃいました。昌高さんが樫井さんに嫌われてしまったのなら、私とお付き合いしてくれればいいじゃないですか』
その声に、後ろを振り返ったあたしは目を疑って、思わず口を開いた。
同時に隣のキミも、椅子ごと振り返ってあんぐりと口を広げる。
『あなたもなの!?』
「……咲良さんまで、どうしてここに!?」
『私のことならリコって呼んでください。私だって恋を実らせたいんです。でも今の所、形勢が不利。だから昌高さんを説得するために、こうして小説から抜け出てきたんですよ』
そして次の瞬間、隣を向いて顔を見合わせたあたしとキミは、お互いにその間抜け面を晒し合うこととなった。
また面倒なことになっちゃった、今度は小説内の利子が出てくるなんて……。
リコと名乗った小説内の利子は、さっそく公言通りにキミの説得を始めた。
『そもそも、樫井さんは蕪良木君が好きなんですよね? そして蕪良木君も樫井さんを狙っている。そして私は昌高さんのことが好き。それだったら話は簡単じゃないですか。昌高さんが私を好きになれば、全員が丸く収まるんですよ』
「えーっと……肝心の僕の気持ちはいったいどこへ?」
『はっきり言います。昌高さんと樫井さんじゃ、吊り合いが取れないですよ。蕪良木君と樫井さんなら、クラスの人気者同士できっと上手くいく。昌高さんは私みたいな、地味同士がお似合いなんですよ』
ちょっと、ちょっと、言いたい放題言ってくれるじゃないの。
あまりに失礼なリコの物言いに、あたしは我慢ができなくなって口を挟むことにした。本来なら、キミ自身がガツンと言ってやらなきゃダメなんだよ……?
『黙って聞いてれば勝手なことばっかり。この人にだって、良いところはいっぱいあるんだよ』
「それは本当ですか? 例えば僕のどんなところが?」
『それは、それは……えーと……とにかくあるの! たぶん。今はリコと話してるんだから、キミは茶々を入れないで』
キミのために文句を言ってあげてるのに、話の腰を折ってどうするの……。
とりあえず今は、リコの言い分を打ち負かさないとあたしの気が済まない。だけどキミが割り込んだせいで出遅れたあたしは、リコから先制攻撃を食らった。
『じゃぁ、お伺いしますけど、あなたは昌高さんのことをどう思ってるんですか? あなた自身が小説に戻ったときに、昌高さんを愛せると誓えますか?』
『ちょ、ちょっと待ってよ。それは話が飛躍しすぎじゃ……』
「そうか、言葉に詰まるんだ……。やっぱりミトンも、僕のことなんて……」
『待って、待って、キミも話に入ってこないでよ、ややこしくなるから……。ちょっと、リコと二人きりで話をさせてもらえないかな?』
あたしは、キミ抜きでの話し合いを提案する。
このままリコと言い争いをしてたら、正直なあたしの気持ちをうっかり漏らしちゃうかもしれない。それをキミが聞いて、小説を書くのをやめるなんて言い出したら大変だ。
そんなあたしの事情を知ってか知らずか、キミは渋々とそれを了承した。
「わかりましたよ。でもここは僕の部屋ですからね。二人には別な場所で話し合ってもらいますよ」
キミはそう言うと、二人に話し合いの場を設けるために小説を書き始めた……。
――三都美も頭では理解していた。真実は昌高の方なのだと。
きっとあれは何かの間違い。そして真実は利子が知っているはず。
三都美はこの問題に真剣に向き合うために、利子をお風呂に誘うことに――。
『ほらほらほら。だから、そういうところだって言ってるでしょ!』
ちょっと油断するとまたこれ……。全然懲りないキミに、あたしは声を荒げた。
けれどもキミは、逆に不思議そうな顔であたしに反論する。
「でもラノベ界隈では、同性同士の大事な話はお風呂場でするのは、常識ですよ?」
『え? そうなの? 本当に? リコは知ってた? そんな常識』
『あ、あ、当たり前じゃないですか。そんなの登場人物なら、みんな知ってますよ』
キミがキッパリと言い切った常識っていう言葉に、あたしは反論できなくなってしまった。
なんだかキミに騙されてる気がするけれど、確かにお風呂場なら周囲に気を使うこともない。もっとも、あたしたちのことはキミにしか見えてないけど。
あたしが何も言い返さずにいるとキミは黙認と判断したのか、生き生きとした表情で再びキーボードを叩き始めた。
――三都美と利子は脱衣場に移動した。
そして二人はいそいそと、身に着けているものを――。
『で、どうしてキミは付いて来るのかな? ノートパソコンまで持って』
「そりゃぁ、二人の会話がわからないと小説にも活かせないし――」
『後で掻い摘んで教えてあげるから、キミは出て行きなさーい!』
あたしは脱衣場からキミを追い出すと、服を全て脱ぎ捨ててお風呂場へと入る。リコも同様に、あたしに続いた。
沸いているお風呂はとても温かそう。けれども素っ裸のあたしとリコは、ここまできて肝心なことに気が付いた。
『ねぇ……あたしたちって、この世界のお風呂に浸かれないよね……』
『ですね……』
お風呂場で裸のまま、呆然と立ちつくす二人。
あたしは大声でキミに呼びかけた。
『ねぇ、キミ! お願いだから、あたしたちを小説の中でお風呂に浸からせてー!』
――三都美と利子は二人でお風呂に浸かる。
ここまでの経緯はひとまず置いておいて、二人は湯船で雑談に花を咲かせた――
キミの世界のお風呂に浸かれないのなら、小説の中に戻ればいいじゃない。
というわけで、あたしとリコはキミの書いた小説内のお風呂に無事浸かることができた。その気持ち良さに、思わずあたしは脱力してしまう。
それにここならキミの目も届かないし、雑談の内容だってオフレコ。
お風呂で話し合いなんてってキミを怒鳴りつけちゃったけど、これは確かにいいかもしれない。のんびり落ち着いて話し合いができそう。
『それにしても、まだ近くに昌高さんがいて良かったですね』
『きっとあいつのことだから、こっそり覗こうとしてたんだよ。でもそのおかげで、こうして湯船に浸かれたから結果オーライかな』
お湯をすくい上げて、顔を洗う。二人で浸かるには狭い湯船だけれど、やっぱりお風呂は生き返る。その心地よさにウットリするあたし。だけどこのほのぼのとした雰囲気をぶち壊すように、リコの言葉から舌戦が再開された。
『樫井さんとは上手くいきそうにもない昌高さんを、これ以上けしかけるのは逆にかわいそうだと思いませんか? えーと……』
『ミトンでいいよ、あいつもそう呼んでるから』
『じゃぁ、ミトンさん。間違いなく私は昌高さんを愛してます。だから昌高さんを説得して、私に目を向けさせる方が幸せな結末だと思いませんか?』
そりゃぁ確かに利子の気持ちは本物かもしれない。それに引き替えあたしは……。
でもここで譲ったら、小説内のヒロインの座から陥落してしまう。あたしはリコの意見に真っ向から反論した。
『でも肝心の、あいつの気持ちはあたしに向いてるんだよ。だからあいつの願望を成就させてあげることが、一番のハッピーエンドに決まってるじゃない』
『でも、できるんですか?』
『う……。努力してます……』
『その成果が今の状況ですよね?』
リコの言葉に、あたしの反論は勢いをしぼませる一方。
口で勝てないのなら実力行使。あたしは反撃に出た。
『そんなリコは……こうしてやるぅ』
あたしは掴みかかって、そのままリコの顔をギュッと抱きしめた。
そして腕を締め上げて、リコの顔に胸を押し当てる。
『ちょっと、ちょっと、苦しいです、ミトンさん』
『ふふん、圧死してしまえー!』
もちろん冗談。でもさらにグリグリと、リコの顔をあたしの胸の間に埋めさせる。
そしてその体勢のまま、あたしはリコに提案を持ち掛けた。
『この小説は、あいつが主人公でしょ。だから、あいつの意志を最大限に尊重しなきゃダメだよ。ストーリーを捻じ曲げるのは良くないって』
『……わはりまひは。らはら、はなひへふらはい……。』
あたしの胸の中でモゴモゴと、なにを言ってるのかわからないリコの言葉。
ちょっとやだ、くすぐったいって……。
振動のせいで妙な気分になりかけたあたしは、抱きしめる腕を少し緩めた。
『……ぷはっ……。た、確かにここで急に私になびくのは、ストーリーとしても不自然でしょうから、しばらくは静観することにします』
『じゃぁ、正々堂々と行きましょうか』
『助言はお互いほどほどで』
これはもはや、キミの幸せを願っての喧嘩じゃない。小説のヒロインの座をかけた、女同士の熾烈な戦いだ……。
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