第11話 特訓のご褒美

 約束の日曜日。キミは待ち合わせ場所に一時間も前に到着すると、みんなを待ち続けた。


(遅いですね、みんな)

『キミが早すぎなんだよ。これだけ待っても、まだ約束の十五分も前じゃない』


 あたしが不満を漏らしていると、キミに呼びかける声が聞こえてくる。この喉の奥から耳に絡みつくような独特の声は三都美だ。

 三都美はクリーム色のトレーナー、そして下はデニムのミニスカート。その裾から覗く健康的な脚を見せつけながら、キミの所へと駆け寄ってくる。


「ごめんね、待たせちゃったかな? 今日はセッティングしてくれてどうもありがとう。今日の映画、あたしも興味があったんだよ。いいセンスしてるね、キミ」

(いや、それほどでもないですよ……)

『あたしに話しかけてどうする。声に出てないよ』

「あ、しまった……」

「ん? どうしたの?」

『もう……。今度は声に出ちゃってるっての……』


 学校と変わらず落ち着いた様子の三都美とは対照的に、キミは緊張のせいか支離滅裂。顔もだらしなく緩み切ってる。

 無理もないか。憧れの三都美が、キミの誘いに応じて来てくれたんだもんね。

 だけどそこから先はあたしの想像通り。何一つ進展がない。


『なんで黙ってるの、話しかけなってば。智樹クンを出し抜くチャンスなんだよ?』

(でも、何を話したらいいのか……)

『服装とか髪型とか、何でもいいから褒めてあげて。あたしなんか適当に褒めておけば、それだけでご機嫌になるんだから』

(そう言われても。もしも気に入らないところを褒めちゃったら逆効果ですし)


 あたしがいくらけしかけても、言葉を詰まらせたままのキミ。貴重な二人きりのチャンスタイムが、刻一刻となくなっていく。

 それでもキミは恍惚とした表情で、この二人きりの空間を満喫しているみたい。まるでキミの世界の中では、隣の三都美以外は誰もいなくなってしまったように。

 もちろん、そんな夢のような時間はあっという間に終わりを告げる。


「お待たせ、樫井さんも一緒なんだね。今日の服いいね、とっても似合ってる」

「ほんと? ありがとう」


 智樹クン登場。あたしのテンションもちょっと上がる。

 そして智樹クンはさっそく三都美のファッションを褒めた。わかってるなぁ、やっぱり。そして三都美もその言葉に素直に反応して、ポッと頬を赤らめて嬉しそう。

 ほら、あたしの言った通りにしておけば、この微笑みはキミに向けられたのに。


「こんにちは」


 そこへもう一人現れた。あれ? 今日の映画は三人で行くはずじゃ……。

 四人目として現れたのは保健委員のあの子、咲良利子。

 想定外の人物の登場に驚いたキミは、すぐさま張本人の彼女に問いかける。


「えーっと、どうして咲良さんがここに?」

「咲良さんは酷くないですか? リコって呼んでくださいよぉ」

「えーっ!? どうしてそうなるの」

「なに言ってるんです。私は昌高さんの彼女なんだから、当然じゃないですかぁ」

「えーっ!?」


 驚きの声を上げて固まるキミ。その硬直したキミの左腕にゴスロリ風のファッションに身を包んだ利子が、自分の右腕を絡ませてきた。

 けれどもそれを振り払いもせずに、キミは利子のなすがまま。

 その積極的な行動に、利子以外の待ち合わせた全員が一様に驚く。もちろんキミもあたしも含めて。


「おー、昌高。お前も隅に置けねーな」

「えっ? そうだったの? あたし知らなかったよ」

『えっ? そうだったの? あたし知らなかったよ』

(なんでミトンまで驚いてるんですか。ずっと一緒に行動してるんだから、そんなはずがないことはわかってるでしょ?)


 そりゃそうだけど、小説を書き始める前のキミのことは知らないしね。

 それよりもキミはいつまで利子に腕を組ませてるの。このスケベの浮気者!

 ……って一瞬思ったけど、どうやらそうじゃないみたい。ただ単にキミは気が動転していて、対処できずにいるだけだった。

 なにしろ、利子がキミの腕に胸を押し付けても困惑の表情を浮かべるだけで、鼻の下を伸ばしもしないんだから。

 もっとも利子の胸がポヨンポヨンだったら、どうなってたかわかんないけどね。


『で、いつまで腕組んでるの? このままじゃ、こじれていく一方だよ? ひょっとして、まんざらでもないわけ?』

(じょ、冗談じゃないですよ。今日は樫井さんとの距離を縮めるために来たのに、これじゃ遠ざかる一方です。でも、いまさら腕を振りほどくのも不自然だし……)

『咲良さんに気を使ってる場合じゃないでしょ。誤解されたままでいいの?』

(そ、そうですよね。わかりました、ここはガツンと――)


 やっとキミは冷静さを取り戻したのか、組まれた腕を振り解こうとする。

 けれどもそれより先に、利子の方が先手を打ってきた。


「ちょっと早いですけど、このまま映画館に行きませんか? 私、上映前の雰囲気が大好きなんですよ」


 そう言って利子はキミの腕を強く引き寄せると、映画館に向かって先導を始めた。

 勢いにつられて他の二人もそれに続く。当然あたしも続く。


「わかるなぁ。あたしもあの空気感、大好きだよ」

「ロビーでも一息は入れられるし、向こうでのんびりしようか」


 先を行く腕を組んだキミと利子。一歩遅れて三都美と智樹クン。これはまさに、二組のカップルのダブルデートの図だよ。

 完全にペースを乱されたキミは、組まれた腕をほどくきっかけを失ってしまった。

 今や利子はどう見てもキミの彼女。きっと三都美だって、そう思ってるはず。

 ここは毅然とした態度を取らないといけないのに、優柔不断なキミにそんなことが出来るわけないか……。


『やれやれ、あの保健室での言葉はそういう意味だったかー』

「ちょ、それってどういう」

「誰と話してるんですか? やっぱり昌高さんには、何かが見えてるんですか?」

「あ、いや、独り言。ただの独り言だから」


 やっぱりキミは気にも留めてなかった、あの時の利子の「付き合って」の本当の意味を。もっとも今の今まで、あたしも忘れてたんだけど……。

 今なおキツネにつままれた表情で利子にされるがままのキミに、どうしてこうなっているのかあたしは教えてあげることにした。


『キミが保健室で咲良さんに「付き合って」って言われた時に、「いいですよ」って答えたからだよ。そのままうやむやになっちゃったけど』

(えーっ、そんなの詐欺じゃないですか)

『まぁ、キミにその気がないのなら、ハッキリと迷惑だって伝えるんだね』

(わかりました。映画館に着いたら、ちゃんと言ってやる!)


 今すぐに言えっつーの……。

 まもなく映画館に到着。キミは組まれていた腕をさりげなく振りほどくと、真剣な表情で利子と向き合った。

 そして緊張した様子で、ゆっくりと諭すように話し始める。


「あのさ、咲良さん。キミの気持ちは嬉しいよ。でもね――」

「はい! 私もこうして昌高さんとデートできて、とっても嬉しいです。そうだ、私パンフレット買ってきますね!」

「おぉ、熱いね、ご両人」

「ラブラブなんだね、二人は」


 智樹クンと三都美に冷やかされて、キミは完全に委縮した。そんなキミを置き去りにして、利子はタッタカと売店に向かって駆け出して行く。


『どうすんの? 完全に誤解されちゃってるよ?』

(帰ってきたら、今度こそ言ってやります)


 ダッシュで追いかけて言えっつーの……。

 そんなことができないキミは、利子を待ちながらメラメラと闘志を燃やす。

 だけど嫌な予感がするんだよね。この利子って子、きっと相当にしたたかだよ。

 そこへパンフレットを抱えながら、利子がニコニコと戻ってきた。キミは気合を入れ直して、再び利子を諭し始める。


「ちょっと話を聞いてもらえるかな? あの時、付き合うって言ったのは――」

「あ、上映前に私、おトイレ行っておかないと……。ちょっと行ってきます」

「あ、あたしも。一緒に行きましょ」


 またしても話の最中に利子に逃げられたキミ。利子は三都美と一緒にトイレへと消えていった。


『ねえ。これ、咲良さんはわざとやってるよ。三都美さんと智樹クンに見せつけて、既成事実を作っちゃう作戦だよ、きっと』

(そんな感じですね……)


 取り残されたキミはロビーの長椅子に腰掛けて、大きなため息を漏らす。

 すると隣に、トイレに向かう二人を見送った智樹クンが腰を下ろした。そして智樹クンはキミの肩を激しく叩きながら、愉快そうに笑いだした。


「ハッハッハ。昌高、良かったじゃねぇか、かわいい彼女ができてよ。俺はてっきりお前のことだから、樫井狙いなのかと思ってたんだけどな」

「そ、そうだよ。僕が好きなのは樫井さんで、咲良さんとは何ともないんだよ」

「ふーん、やっぱりな。お前が必死な形相で俺に映画に付き合えなんていうから、おかしいと思ったんだ。んで、来てみれば樫井がいるしよ。どうせ俺と一緒にとか条件を付けて、やっとの思いでデートを取り付けたんだろ?」

「そ、そうなんだよ! だから、できれば――」

「わかってる、わかってる、俺とお前の仲じゃねぇか。ちゃんと二人のことを応援してやるから心配すんなよ」


 全部見抜かれてる。まぁ、智樹クンは女の子の扱いには慣れてそうだもんね。

 やっぱり智樹クンはかっこいい。キミはずっと嫌がらせをしてくるだの、幼馴染なんかじゃないだのって否定的だったけど、こんなにいい人じゃないの。

 これで立ち塞がってた難題もあっさりと突破できた。もっとも、三都美本人に気に入られるっていうのが、キミにとっては最大の難関なんだけどね。


 ちょうど話が片付いたところに、向こうからタイミング良く三都美と利子が手を振りながら戻ってきた。すると智樹クンもすっくと立ちあがって、キミに向かって激励の言葉をコッソリ掛ける。


「ほら昌高、かわいい彼女が戻ってきたぜ。咲良との仲はしっかり取り持ってやるから心配すんな。俺は樫井をいただくからよ」

「え?」

『え?』


 冷淡な目、吊り上がった口角、智樹の表情には明らかな悪意が滲み出ていた。

 その冷ややかな空気に、キミは凍り付いてしまったように茫然とする。

 そのまま智樹はスタスタと三都美の元へ。そして智樹が立ち上がって空いたキミの隣には、チョコンと利子が腰を下ろした。


「お待たせしました。ボーっとしちゃって、どうしました? 昌高さん」

「あっ……あのさ、咲良さん。保健室の件は――」

「そうだ、私、ポップコーン買ってこないと! あれがないと、映画館に来た気がしないんですよ。ちょっと買ってきますね」

「ちょっと待って……。はぁ……」


 不穏な空気を察知すると、すぐさま逃げ出す利子。

 そんな利子に手を焼くキミは、上映前だっていうのに疲労困憊。すでにどうでもいいほどに、投げやりになっているのが見て取れる。


「さぁ、始まりますよ。行きましょう」


 利子は、自分の顔ぐらいのサイズのポップコーンを抱えて帰ってくると、映画館の中へとキミを促す。今度こそ言ってやろうとキミは意気込んだみたいだけど、そこへ三都美と智樹も合流した。

 キミは利子に向かって開きかけた口をすぐにつぐむ。


『どうしたの? 言わないの?』

(樫井さんのあんな顔見たら言えないですよ。絶対に楽しませますって言っちゃいましたしね。だから、映画が終わってからにします……)


 映画が始まる直前の期待感に、三都美は目を輝かせている。

 あたしが選んだこの映画、三都美も興味があるって言ってたっけ。キミは誤解を解くよりも、三都美を楽しませる方を優先したってわけか。

 感心するけど、それでいいの? 大丈夫なの? 今回のキミの行動はどっちが正しい選択なのか、あたしにも判断がつけられなかった。

 そんなキミは、肩を落としながら劇場の中へと吸い込まれていく。


「ほら、ここ空いてますよ。昌高さん、先に入って、入って」

「咲良さんって気がつくタイプだったんだな。昌高にお似合いじゃねぇか」

「ほんと、いい雰囲気だよね。あたしも素敵な彼氏欲しいなー」

「いや、これは――」

「ほら、昌高さん。早く入ってくれないと、後ろつっかえてますよ」

「あ、あぁ……」


 通路から座席へと最初に押し込まれるキミ。こうなると隣は利子で確定。そして三都美、智樹の順に着席、あとは上映を待つばかり……。

 もはやお手上げ。この雰囲気をぶち壊すわけにもいかないキミは、少なくとも上映終了まではどうすることもできない。


(疲れた。もう帰りたい……)

『完全にタイミングを逸しちゃったね。侮れないな、咲良利子』

(それに智樹の奴もですよ。絶対、許せない)

『キミの気持ちをわかった上であの態度じゃ、間違っても譲る気はないね』

(智樹は全力で樫井さんを狙い始めましたよ、きっと。それが僕に対する一番の嫌がらせですからね。はぁ……なんであの時、本心をしゃべっちゃったんだろ……)


 思ったほど混んでなかった映画館。あたしもキミの隣で映画をタダ見。

 でも、内容なんて全然頭に入ってこない。なにしろ、先行きが不安で仕方がない。

 三都美は智樹クンに気がある。そして、智樹クンも「樫井をいただく」って言ってた。だから交際開始は時間の問題。当然キミは失恋一直線……となると、あたしはどうなっちゃうんだろう。

 それに智樹クン自身は、三都美にそれほど好意がなさそうに見えたのも気がかり。ひょっとしてキミが言うように、これは嫌がらせなの?

 今まではキミの言葉が信じられなかったけど、さっきの智樹クンの冷ややかな表情を見たら、そうなのかもしれないって思えてきた……。


『キミは智樹クンが嫌がらせをしてくるって言うけど、何か心当たりでもあるの?』

(たぶん、小学校五年の時のアレが原因でしょうね。それまでは普通に遊んだりしてましたから)

『そんなに昔からの因縁なの!? 話してみてよ』


 頭に入ってこない映画なんかより、今のあたしにはこっちの方が興味深い。

 あたしはキミの昔話に耳を傾けた。


(あいつは当時からモテてたんですけど、誰々から告られたとか自慢ばっかりしてたんですよ。でもまぁ、注意したところで誰かみたいに『妬んでる』とか言われそうだから黙ってたんですけどね)

『あれあれ。その誰かって、ひょっとしてあたしのこと言ってる? キミも結構根に持つタイプ?』

(今はそういうのいいですから。それである時、あいつが下駄箱にこんなものが入ってたって、クラス全員の前でラブレターを見せびらかしたんですよ。そして続けて、あいつは手紙の内容を読み上げ始めたんです)

『えっ? クラス全員の前で? ラブレターの内容を? 智樹クンって見かけによらず、ひどいことするんだね』


 あたしって、ひょっとして男を見る目ないのかな? 智樹クン、いや智樹が、そんなひどいことをする人だったなんて……。

 あれ? あたしってば、キミの言葉を素直に信じちゃってる?

 そうだよね、キミはスケベで変態で自己中な女の敵だけど嘘はつかないもんね、小説を書くとき以外は。


(さすがに僕もそれは許せなくって、あいつに言ってやったんです「それ書いたの僕だけど、そんなに嬉しいか?」って。そしたらあいつラブレターをビリビリに破り捨てて、顔を真っ赤にして怒り出したんですよ)

『それで? ケンカになったの?』

(あれはケンカって言いません。僕が一方的にボコボコにされて終わりました)


 うーん、その光景が目に浮かぶよ。運動神経抜群の智樹に、生物部幽霊部員のキミが太刀打ちできるはずがない。

 きっとあたしがその現場に居合わせたら……コッソリと先生を呼びに行くぐらいのことはしてあげたと思うよ。


(それ以来ですね、あいつが僕に嫌がらせを仕掛けてくるようになったのは。ついでに、クラスのみんなからシカトされるようになったのもその頃からです)

『え? どうして?』

(僕が嘘のラブレターを書いて、智樹の純真な心を踏みにじったことになっちゃったらしいです。智樹ファンの女子グループからそんな噂がジワジワとね)

『それは誤解だって言えば良かったじゃない』

(言えるわけないじゃないですか。言ったら、じゃぁあのラブレターは誰が書いたって話になっちゃうでしょ)


 確かにそうだね。差出人は、傷つきながら智樹にラブレターを読み上げられてたかもしれないもんね。

 どうやらあたしは、キミのことを誤解してたらしい。

 キミは自分のことよりも、ラブレターを読み上げられて傷ついてる誰かを思いやれる、優しい心の持ち主だったんだね。

 それに引き換え、さっきの智樹の悪意のこもった目。あたしは信用する相手を間違えてたみたいだ。

 ごめんね、これからはキミの言葉を信じることにするよ……。



 映画が終わっても、その後はずっと四人一緒のまま。三都美がトイレに行けば利子も付き合うから、キミは話をつけられないままに一日が終わってしまった。

 そして最寄り駅で解散。失意のうちにキミは帰途に就く。


(今日のミトンは、目が輝いてましたよね。智樹を見てる時は)

『そ、そんなことないって。最初だけ……いや、気のせいだよ』

(はぁ……いいですよ、無理しなくても。樫井さんも、ミトンと同じ目をしてました。やっぱりこれは、脈なしなのかな……)


 行きは希望に満ち溢れた力強い足取りだったのに、帰りはとぼとぼと背中まで丸まって夢破れた感じ。

 そんなキミの帰り道に、あたしは励ます言葉を見つけられなかった……。

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