第10話 タイムリミット

 ――我が校では春に体育祭、秋には文化祭、これが全校挙げての一大イベントだ。

 遠足の盛り上がりが冷めやらぬ中、あっという間に時は来た。


 赤、白、黄、青と四チームに分けての体育の祭典。いやが上にも血が湧き、肉が躍る。しかし昌高の活躍をもってしても、属する白組は目下僅差で三位。そして最終競技を残すのみとなっている。

 体育祭のラストを飾るのは、花形である選抜リレー。すでに夕暮れで校庭は赤く染まり、ピストルの号砲を今や遅しと待ち構えていた。

 その順位がそのまま最終結果となりそうなこの状況。

 各学年から二人ずつの選りすぐり。各チームの想いは、それぞれの六人の出場メンバーに託される。


 号砲一発、いよいよ幕が切って落とされた。

 白組の第一走者は昌高のクラスメイト、智樹(ともき)。彼は無難な立ち上がりの二位、まずまずの好位置。しかしその後、じりじりと順位を落としていく。アンカーの昌高がバトンを受け取った時には、すでに最下位となっていた。


「……昌高クン、白組の優勝はキミにかかってる。もしも優勝できたら一つだけ、キミの望みをなんでも聞いてあげるから頑張って……」


 これは、競技に向かう昌高を呼び止めて懇願した三都美の言葉。その想いをバトンと共に握り締め、昌高は一周二百メートルのトラックへと飛び出していく。


(この程度の差なら、余裕で勝てるさ。でもあんな言葉で送り出されたら、まるでそのために勝利するみたいじゃないかよ……)


 思わずニヤリと口角が上がる昌高。しかし最初のコーナーを回り始めたところで、突然のアクシデントが昌高を襲う。

 昌高、まさかの転倒。靴紐がほどけ、シューズが宙を舞う。スピードに乗りかけていた昌高は、激しく地面に身体を打ち付けることとなった。

 捻った足首や強打した肘の痛みに耐えながら、昌高は目の前に転がるシューズに手を伸ばす。それを見た昌高は目を疑った。


(この靴紐は解けたんじゃない、切れたんだ。しかも自然に千切れたわけじゃない。鋭利な刃物で切れ目を入れて、加速した衝撃で千切れるように細工がしてある……)


 昌高の脳裏に、ついさっきの記憶が浮かび上がる。それは第三走者が三位に転落した辺りの出来事……。


「……なんだ昌高、靴紐が解けかかってるぞ。俺が結び直してやるよ。なにしろお前は、うちのチームの大事なアンカーだからな……」

(あの時か、あの時しか考えられない。またしても、智樹の嫌がらせか……)


 昌高は昔から再三、智樹から嫌がらせを受けている。いつも難なくそれを退けてきた昌高だったが、今回はついにその術中に嵌められてしまった。


(全校生徒の前で、俺に無様な姿を晒させようっていう魂胆か。智樹らしい卑怯な作戦だな。でも、そうはいかない。このリレー、絶対に勝ってみせる)


 もうシューズは役に立たない。履いていたもう片方も脱ぎ捨てると、昌高は裸足で駆け出す。本気を出した昌高は髪を逆立て、鬼のような形相で追い上げていく。

 昌高の鬼神のような走り。一人、また一人と抜いて、ついにトップへと――。




『ねえこれ、途中で殺人事件でも起きたの? 他のアンカーたちは待っててくれたわけ? この状況で追い抜くなんて、世界新記録出てるんじゃないの?』


 体育祭もそろそろ終盤。佳境を迎えて、外では応援の声が飛び交っている。

 だけどキミが小説ノートにペンを走らせているのは、保健室のベッドの上。棒倒しで飛び蹴りを食らって昏倒したキミは、校庭の賑わいから隔離されていた。


『どうせキミが逆転して勝つ展開なんだよね? それでキミは優勝のご褒美に、あたしに何をさせるつもりなのかな?』

「ミトンには、特にしてもらいたいことはないですよ」

『小説の中じゃあたしがすることになるんだから、聞いておいたっていいでしょ!』


 あたしの質問に、キミの表情がニヤケ始める。

 あぁ、やっぱり聞くんじゃなかった。この後あたしは、一体どんな目に遭わされるんだろう……。考えただけでも背筋が凍る。


「別に樫井さんに変なことなんてしませんよ。この話の続きは、デートに誘ってオッケーをもらう予定です」


 あぁ、なるほど、そういう風に現実と話がつながるんだね。予定だけど。

 キミは今日が何の日か忘れたわけじゃなかった。だけど今一つ緊迫感に欠けるキミを、あたしは苛立ちながら急き立てる。


『小説は相変わらずやりたい放題だけど、現実は大丈夫なの? 今日が約束の最終日だよ? デートはどこに誘うか決めた?』

「デートは映画にしようかなー、と……」

『ふんふん、まぁ無難な選択だね。悪くないと思うよ』

「だけど、声を掛ける勇気が出ないですよ。上手く誘えると思えない……」


 あれあれ? あたしが毎晩キミの会話練習に付き合ってあげたのは何のため?

 あたしが目の下のホクロを隠しても、キミは動じなくなったっていうのに……。

 見た目やしゃべり方をいくら似せても、やっぱりあたしはキミにとって、三都美の偽物でしかないのかな……?


『別に無理しなくてもいいんだよ? 今日中にキミがあたしをデートに誘えなかったら、小説があたしと智樹クンの恋愛話になるだけのことだからね』

「そんな話、書きませんよ! この後で絶対に樫井さんをデートに誘いますから」

『じゃぁ、最後の予行演習しよっか。このホクロも、もう消しちゃってよ』

「そうですね。じゃぁちょっと書き足します」


 そう言って、キミは小説ノートにペンを走らせる。


 ――三都美が目の下に痒みを覚え、ポリポリと掻いたら何かが落ちた。

 どうやらホクロだと思っていたのは、ただの鼻クソ――。


『コラコラ。鼻クソはないでしょ、鼻クソは』

「うーん……思いつかないな」

『かさぶたでいいじゃない。はい、決定!』


 キミはサラリと小説を書き直すと、ノートを閉じてベッドの脇に置いた。

 というわけで、あたしは泣きボクロとここでお別れ。これであたしは、三都美とそっくりの瓜二つになった……はず。

 その時、外からはピストルの音が鳴り響く。と同時に、保健室のスピーカーから放送委員の実況の声が聞こえてきた。


「――さぁ、最終種目の選抜リレー。スタートしました!」


 じゃぁ、こっちも最後の仕上げに取りかかるとしようか。


『さぁ、あたしたちも最後の練習始めるよ』

「あ、はい」


 ブツブツとセリフをつぶやきながら、キミはベッドから這い出す。左頬の青あざがちょっと痛々しい。

 その正面にあたしが立って準備は完了。相変わらずキミはうつむきながら視線を逸らしてるけど、あたしの「スタート!」の合図とともに顔を上げた。

 キミは必死な眼差しをあたしに向けながら、恐る恐る口を開く。


「樫井さん、ぼ、僕とデートしませんか?」

『えっ!? どうしてあたしがキミとデートするの?』

「あ、あぁ、いえ、智樹とデートすることになっても慌てずに済むように、その、予行演習ってやつですよ」

『あ、そういうことかー。キミが蕪良木クンの代わりになってくれるってこと?』

「ほら、僕なら智樹がしそうなリアクションも大体見当がつくんで……」


 キミは自信なさげだったけど、この滑り出しなら及第点でしょ。あたしが毎晩、練習に付き合った甲斐はあったね。

 後は三都美に声を掛けるだけ。デートなんていくら上手に誘ったって、成功するか失敗するかの二分の一の確率なんだから、当たって砕けろだよ。

 練習もこれが最後だし、今回は今までしなかった答え方をしてみようかな。


『んー、それでもデートの相手は、やっぱりキミなんだよね? そんなことしても、意味ないんじゃないかなぁ』

「うっ……確かに、そうですね……」


 「そうですね」じゃないでしょ、このバカー! ちょっと意地悪な受け答えだったとは思うけど、キミが納得しちゃってどうすんの。

 あたしは練習を中断して指導しようとしたけれど、キミの言葉はまだ続いた。


「無意味に終わったらごめんなさい。でも、試しでいいんでデートしてみませんか? 少なくとも、絶対に楽しませてみせますんで!」

『う、うん。キミが、そこまで言うなら……』


 あれ? 思わず素で返事しちゃったよ、あたし……。

 もちろん格好良かったわけじゃなくて、キミの必死さに同情した感じだけど。それでも、あたしを頷かせたんだから文句なしで合格。


「本物相手にこれが言えるかなぁ……」

『偽物扱いすんなー!』


 あたしへの扱いが相変わらずひどすぎる。

 それでも、この分なら三都美をデートには誘えそうだね、成功するか失敗するかは置いておいて。失敗でもいいんだよ、まずは一歩踏み出すことが大事なんだから。

 あたしはキミの進歩に目頭が熱く……まではいかないまでも、喜ばしく感じていたら、保健室のスピーカーから絶叫が聞こえてきた。 


「――あーっと、ここで白組アンカー、バランスを崩した! でも速い、速い、今一着でゴール。今年の体育祭は選抜リレーで大逆転した白組の優勝です」


 リレーのアンカーだった智樹クンの雄姿は見られずに終わっちゃった……。

 だけど、あたしはキミに感心するよ。キミが書く小説は、いつもその内容が実現するよね。ちょっとずれてるけど……。

 ひょっとして、キミって予知能力の持ち主?

 そんなわけないね、むしろキミがいつも貧乏くじ引いてるもんね。これはきっとあれだよ、卑怯な小説書いてるからバチが当たってるんだよ。


『そろそろみんなのところに戻ろ。せっかく誘い文句まで考えたのに、あたしが帰っちゃったら意味ないよ』

「ですね。僕の最終種目はこれからです」

『おーい、セリフが臭いぞー』


 キミは軽くベッドを直すと、仕切りのカーテンをシャーッと開く。

 するとそこには一人の女子生徒が立っていた。

 彼女の名前は咲良さくら 利子としこさん……だっけ?

 キミと同じ保健委員のその子は、短めの髪を両耳の後ろで束ねた髪型。スッキリとした小顔で背も低く、かわいらしい感じ。

 だけど、こんなところで一体何を……?

 キミも当然同じことを考えたみたいで、彼女に尋ねた。


「えーっと、咲良さんは、ここで何を?」

「やだなぁ、保健委員だからに決まってるじゃないですか。先生に那珂根さんの様子を見てくるように言われてきたんですよ」

「あぁ、そういうこと。ちょっとサボりすぎちゃったかな……」

「そうだ、那珂根さん。ちょっと付き合ってもらえませんか?」

「いいよ。だけど、どこに?」


 タイミングが良すぎて怪しい……。この子、聞き耳立ててたんじゃないの?

 とは言ってもあたしの姿は見えないし、声も聞こえないはず。だから聞こえたとしても意味不明なキミの独り言だけ。まぁ、問題ないか。

 だけどキミ、普通に女子としゃべれるんじゃないの……。

 あたしは女子と話すキミの貴重な光景を、じっくりと観察することにした。


「ところで、先輩って霊感とか強い人ですか?」

「え? そんなことはないと思うけど」

「そうですか。それじゃ那珂根さんの様子も見たんで、私は戻ります」

「え? あれ? うん、それじゃぁ……」


 と思ったら、あっさり会話が終わっちゃった。

 利子はキミと噛み合ってない言葉を交わすと、そのまま保健室からタッタカと駆け出して行く。何だったんだろ、今の……。


『ねぇ、今の何?』

「僕だってわかんないですよ。それより、今日は教室で着替えなきゃいけないんで急ぎますね。モタモタしてると体操服のまま帰ることになるんで」


 そう言って、キミも慌ただしく保健室を出て行った。

 確かに今大事なのはデートのお誘いだよね。なんだかあたしまで緊張してきたよ。




 体育祭の片付けも済んで日常に戻った学校は、生徒を校門から吐き出していく。

 そこに立っているのは、着替えそこなった体操服姿のキミ。三都美を待つキミは怪しげなオーラを発して、通りかかる生徒たちに怪訝な眼差しを向けられている。

 今回は逃げ出さずにやる気だね? 気合がこっちにまで伝わってくるよ。

 あたしとしては約束が守られずに、智樹クンとの恋愛小説に変更してくれるんでも良かったんだけどな……。

 するとそこへ、三都美が女子バスケ部の仲間と一緒にやってきた。

 キミは決死の覚悟で三都美を呼び止める。


「あ、あの、か、樫井さん」


 けれども返事をしたのは目当ての三都美じゃなくて、その取り巻き連中だった。

 彼女たちはキミに敵意をむき出しにして、威嚇してみせる。


「なに? こいつ。キモいんだけど」

「同じクラスの那珂根だよ。あんたなんかが、ミットンになんの用だよ?」

「ミトンはうちらと帰るところ。邪魔だからどいて」


 キミに突き刺さるのは罵声の数々。いくらキミがスケベで変態で自己中な女の敵だからって、そこまで言うことないのに……って、なんでキミはモジモジとしながら、ちょっと嬉しそうなのよ。

 勇気を出して声を掛けただけで満足しちゃったの? まさか罵声をご褒美として受け取ったわけじゃないよね?

 とにかくこのままじゃみんな帰っちゃう。あたしは慌ててキミをけしかけた。


『ほら、友達と一緒の時に邪魔者を追い払う呪文を教えておいたでしょ?』

(わ、わかってますよ。今、言うところですから)


 あたしに返事する前に、目の前の三都美に声を掛けなよ……。

 それでも何とかキミは、あたしが授けておいた魔法の言葉を三都美に告げる。


「……れ、例の件で、だだだ大事な話があるんだ」


 キミの言葉を聞いて、三都美はハッとした表情を浮かべた。

 良かった、どうやらキミの意図はちゃんと伝わったみたいだよ。


「あ、みんなは先に帰ってて。あたしちょっと、那珂根クンと話があるから」

「大丈夫? うちらもついて行こうか?」

「平気、平気、心配しなくても大丈夫だから。ありがとうね」

「おい、那珂根。ミットンになんかしたら許さねえからな」


 こんなに心配の言葉が掛かるなんて、三都美は女子バスケ部のみんなから大事にされてるんだね。いや、単にキミの信用ランクが最低なのかな……。

 さて、この次の段取りは人気のない体育館の裏への移動。さすがに校門で話してたら、続々と下校する生徒たちの衆目の的になっちゃうからね。


(あ、ミトンはここで待っててください。視界に入ると落ち着かないんで)

『えーっ、あたしにも見守らせてよ。心配だよ』

(ダメです! お願いですから、来ないでください!)


 確かに、デートに誘うところを人に見られたくはないか……。

 仕方なくあたしはキミを見送って、少し離れた物陰から見守る。でもキミのぎこちない挙動を見ていると、自分のこと以上にハラハラと落ち着かない。

 しきりに汗を拭うキミは、やっぱりまだ緊張してるみたい。それでも特訓の成果はあったみたいだね。三都美の表情はずっと穏やかだよ。

 そしてキミは、三都美にペコリと頭を下げた。どうやら会話が終わったらしい。

 横を通り過ぎて下校していく三都美を見送ると、あたしは一直線にキミの元へと駆け寄った。


『ねえ、ねえ、どうだったの? 結果は』

「良いニュースと悪いニュースがあります。どっちから聞きますか?」

『アメリカンジョークなの……? じゃあ、良い方から聞かせてよ』

「無事オッケーもらえました。一緒に映画に行ってくれるそうです」

『おー、やったね! じゃあ、悪い方は?』

「智樹も一緒なら行くそうです」

『…………』


 あの予行演習の流れから、どうなるとそういう結末になるのかな……。

 だけど、悪い方のニュースを口にしてもなお、笑顔が絶えないキミ。二人きりじゃなくても、三都美と遊びにいけることが嬉しくてたまらないんだね。

 でもこれじゃ、智樹クンを出し抜いて三都美と先に親密になる作戦としては失敗。下手したら、本当に三都美と智樹クンの仲を取り持っちゃうかもしれないよ?

 だけど今日ぐらいは、キミにご褒美をあげようかな。だってこれほどの勇気を振り絞って、あたしとのデートの約束を勝ち取ったんだもんね。

 あ、でもエッチぃのはだめだからね……。

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