第9話 腹黒キューピット

 ――キュッキュッ。

 床に靴底が擦れる音が、体育館内にこだまする。

 パスを受けた昌高は、フェイント一つでマーカーを置き去りにすると、素早いドリブルであっという間にゴール下へ。あまりの機敏さに、ついてこれる者はいない。

 がら空きのゴール前で昌高は力強く踏み切ると、リング目がけてボールを勢い良く叩き込んだ。

 昌高はさほど身長が高いわけではないが、跳躍力は図抜けている。それによって繰り出されるダンクシュートに、体育館中から歓声があがった。


 昌高は帰宅部だというのに、大事な試合があると助っ人として借り出される。

 今日呼ばれたのは男子バスケットボール部。相手は強豪校だ。

 体育館は人で溢れかえる、もちろん昌高のプレイを見るために。その中には女子バスケットボール部の三都美も混ざり、黄色い声援を送っていた。


「昌高クン、かっこいい……」


 両手を握り合わせ、うっとりした目で昌高を見つめる三都美。

 昌高がゴールを叩きこむ度に、三都美のハートに恋の矢が突き刺さる――。




『はぁ……? あたしが一体いつ、キミをうっとりとした目で見つめたのかな?』


 まずは三都美のことを詳しく知るべきと、あたしはキミを部活見学に誘った。

 放課後の体育館で三都美の練習風景を見ながら、ノートにペンを走らせるキミ。だけどその内容が現実と合致してるのは、キミが帰宅部ってとこだけだよね。

 そもそもキミは、バスケなんて体育の授業でしかやったことがないんじゃないの?

 その証拠に、小説の試合風景の描写がどことなく怪しいよ……。


『あたしって、バスケ部だったんだ』

(そうですよ、あそこにいますね)

『思ったよりもかっこいいね、あたし。ねぇキミ、いっそのことあたしを主人公にして、女子バスケで世界一になる小説にしない?』

(まぁ、それは次回作以降にでも……)


 ちょうど休憩に入ったらしくて、三都美は体育館の中央で水分補給をしている。

 三都美の視線の先は、体育館の半面を分け合っている男子バスケ部。シュートを成功させた男子部員に向けて、元気よく声援を送っていた。


『あれ? あの人って……』

(智樹ですよ。あいつ、男子バスケ部なんです)


 これじゃまるで、たった今の小説風景。かたや男子バスケ部の人気者、かたや帰宅部でアマチュアの小説書き。どうみても太刀打ちできる状況じゃない。


『キミもなにか部活やったら?』

(一応在籍してる部はありますよ。幽霊部員ですけど)

『へぇ、何部なの?』

(生物部です)


 生物部って、一体何をする部活なの……。しかもその上、幽霊部員だなんて……。

 部活動対決は一方的に智樹クンの勝利……じゃないな、幽霊部員じゃ対決以前の問題。むしろ試合放棄レベル?

 このままじゃ、戦う前から敗北だよ。あたしは作戦会議を開くために、キミを人気のない場所へと連れ出すことにした……。



『智樹クンに目が向いてるあたしを、キミに振り向かせるには圧倒的に不利な状況だよ、これは……』

「智樹と張り合って有利になったことなんて、過去に一度もないんですけど」

『このままじゃキミが間に入るまでもなく、あたしは智樹クンに告白しかねないね』

「そんなぁ、智樹がその気になったら、その時点でカップル誕生ってことじゃないですか」


 落ち着いて話ができそうだと選んだのは体育館の裏。ここなら人気もない。だけどこの場所の雰囲気と同じように、会話の内容もジメっとしてきた。

 作戦会議だっていうのに、いきなり愚痴から始まるキミの言葉。やっぱりキミの場合、そのネガティブな考え方を改めるところから始めないとダメだね。


『別に優位に立てとまでは言わないよ。せめて不利を克服して、同じ土俵に立たないと勝負にならないって話だよ』

「だけど、樫井さんも残酷ですよ。智樹との仲を、よりにもよって僕に取り持たせるなんて……」

『だって、あたしはキミの気持ちに気付いてないんだから仕方ないでしょ。でもそのお陰で、こうしてチャンスも生まれたんだから、良い方に捉えないと。そこで……』


 あたしは三都美を攻略するために、キミに作戦を伝授する。

 自分を攻略してるみたいで妙な気分だけど、これもあたしの保身のため。キミには三都美とくっついてもらわないと、小説が打ち切られちゃうからね。


『パンパカパーン! そんなキミに秘策を授けよう。その名も……ドルルルルル』


 あたしは、鼓笛隊のドラム音を口真似しながらじっくり焦らして間を取ると、満を持して作戦名を盛大に告げる。


『予行演習と見せかけておいて、本番デートでちゃっかりハートを掴んじゃいました大作戦! パフパフ』

「長いですよ、ラノベのタイトルじゃあるまいし。でも秘策が何かは想像がつきました。つまり樫井さんに、僕が智樹の代役をするからデートの練習をしてみようって持ち掛けるんですよね?」

『お、察しがいいね、妄想少年。じゃぁ、行こうか』


 善は急げと、あたしは体育館に戻ろうとする。けれどもそれをキミが呼び止めた。


「待ってくださいよ。いつ行くかも、どこに行くかも、何も決めてないんですから」

『そんなの、話しながらノリで決めたらいいじゃない。それともキミって、マニュアル作らないと行動できないタイプ?』


 どうせ完璧なデートプランを作ったところで、思い通りに事が運ぶはずがない。だからまずはデートに誘って、場所なんて話しながら決めちゃえばいいのに……。

 キミは臆病というか、慎重というか、やっぱり行動力が足りなすぎる。


「そもそも、樫井さんをデートに誘うってことは、話しかけなきゃいけないじゃないですか」

『当たり前でしょ。黙ったままのキミを、あたしがデートに誘うわけないじゃない。自ら運命を切り開かなきゃダメなんだよ』

「それはわかってますよ。話しかけたくないわけじゃないんです。でも、樫井さんを前にしたら、緊張しちゃってまともに話せそうになくて……。遠足を思い出してもらえば想像つくでしょ?」

『そこからか……』


 遠足のバスじゃ、一声掛けて以降は良くできてたと思うんだけどな。ただ、色々と不幸が重なっただけで……。

 だけどあの一件以来、キミがより一層臆病になっているのも確か。気合だけじゃどうにもできないこともあるかもね。

 それならと、あたしはキミに提案を持ち掛けた。


『じゃぁ今日から猛特訓を始めて、その緊張しちゃう弱点を克服しようよ。そして二週間以内に、キミはあたしをデートに誘う。いいね?』

「なんで僕がミトンをデートに誘わないといけないんですか」

『あぁもう。言い方が悪かったよ、ごめんね! あたしって言っても本物の方だよ。み、三都美をデートに誘うの!』

「本物の方ですか。それならちゃんとそう言ってくださいよ」


 あぁ、なんだか屈辱的。あたしだって誕生した時から三都美だし、自分の中では本物なんだけどな……。生まれながらにしてオリジナルが別にいるっていうのは、ちょっと悲しいね。

 ちょっと滅入りかけてるあたしに気付かず、キミは続けて質問をしてきた。


「リミットの二週間後って体育祭の日ですね。でも、どうして二週間なんです?」

『だって期限を決めないと、キミは絶対に先送りしちゃうからさ』

「確かに……。でも、そんなに簡単に緊張なんて克服できるのかな……」


 心配そうなキミにあたしはニッコリと微笑んでみせると、左手で目の下のホクロをそっと覆い隠す。そして久々に三都美の口調を真似て、キミに囁き掛けた。


『これでどう? 昌高クン』

「あ、あわわ、あわわわわ」

『その、あわあわってのはなんなの? なにかのモノマネなの?』

「いや、だ、だって……。心の準備ができてなかったので……」


 いい加減に免疫がついてると思ったのに、こんなにキミが動揺するなんて予想以上だよ。だけどこれだったら、あたしを練習台にして慣らせば、きっとキミの緊張も克服できるはず。

 それにしても、期待通りの反応をしてくれるキミはなんだか可愛いね。せっかくの機会だから、もう少しキミに意地悪をしてあげちゃおうかな。


『ねぇ、あたしのことが嫌いなの? 昌高クン、そんなに逃げないでよぉ』

「か、か、樫井さんのことを、き、嫌いなわけが、な、な、ないじゃないですか」


 キミは声が裏返る。あたしはグイッとキミの目の前に歩み出ると、胸を突き出して軽く腰を折り、泣きボクロを隠したままの上目遣いでさらに意地悪を続けた。もちろん口調も三都美に似せて。


『その緊張しちゃう癖、あたしと一緒に訓練して二週間で治そうね。昌高クン』

「でも……じ、自信ないですよ、やっぱっぱり……」

『大丈夫、今夜からいっぱいしてあ・げ・る。その代わり二週間経ってもあたしをデートに誘えなかったら、小説をあたしと智樹クンの恋愛ものにする。それでどう?』

「そんな……横暴ですよ……」


 ちぇっ……勢いだけじゃ「うん」とは言ってくれないか。

 どさくさに紛れる作戦は失敗。だけどこの提案は、あたしが良い思いをしたいから言ってるんじゃじゃないよ? キミのためを思ってのこと……だからね、うん。


『キミの自主性に任せてたら、いつまで経ってもこのままでしょ? だから退路を断つためにも、それぐらいの覚悟で臨んで欲しいんだけどな……。その代わり、頑張ってくれたらご褒美だって……ね?』


 そう言って、あたしはブラウスのボタンを一つ外して、さらにキミに詰め寄る。

 この程度じゃなんのサービスにもなってないと思うんだけど、キミはさらに激しく動揺し始めた。


「え、ええっと……。が、頑張ってデートに誘いますっ!」

『できなかった時は、あたしと智樹クンの恋愛小説だよ?』

「んぐっ……。ぜ、絶対に誘うんで、そんなことにはなりませんよっ!」


 キミは唾を呑み込んで、あたしの胸元を凝視してる。スケベだなー。

 だけどそんなにドキドキするもの? あたしが外したのはボタン一つだけだよ?

 あれ? それとも何か、見えちゃいけないものが見えちゃってる!?

 あたしは慌てて胸元を確認したけど、やっぱり鎖骨すらも見えてない。

 まったく、脅かさないでよ……。だけどこの程度のことでもキミは、あたしに胸を高鳴らせてくれるんだね……。


『約束だよ? 体育祭までにあたしを……三都美をデートに誘ってね?』

「は、は、はぃい!」


 キミは素っ頓狂な声で返事をすると、腰を抜かしたようにその場にへたり込む。

 まんまと言質は取った! これで、二週間以内にキミが三都美をデートに誘えても誘えなくても、あたしにはメリットしかないね。

 今のキミは、ホクロを隠したあたしと三都美の区別もつかなくなっちゃってる。そんなジリジリと後ずさりを続けるキミの反応が面白くて、あたしも距離を保ちながら少しずつ詰め寄ってみせる。

 するとキミは怯えながらも嬉しそうな表情で、とうとう壁際まで追い詰められた。


『昌高クン。逃げ場、なくなっちゃったね』

「じょ、冗談は、や、やめましょ。今にも、心臓が破裂しそうなんですよ」

『そんなこと言わないで。ねぇ……もう、ここですぐに始めちゃおっか、訓練』

「あ、あわわ、あわわわわ」


 キミがあわあわ言うもんだから、ついつい楽しくてあたしも調子に乗っちゃう。

 あたしは目一杯に笑顔を浮かべて、ブラウスの第二ボタンに手を掛けながら、さらにキミに顔を寄せる。もちろんこれはフリだけ、このボタンは外してあげないよ?

 けれどもキミは極限状態に達したらしく、思わぬ反撃をあたしに浴びせた。


『なんで唇突き出すのよ! キスしちゃうところだったじゃないの、このバカ―!』


 思わずあたしはキミの頭をはたく。しかしその手はキミの身体をすり抜けて、ただの素振りに終わった……。

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