第3話 始まる俺の物語
『――今日からあなたは生まれ変わるのです』
まばゆい光の中から、神々しい声が掛かる。
そんな神の啓示にも似た夢と共に、那珂根 昌高(なかね まさたか)は眠りから覚めた。
きっと今日は、俺の人生の転換点となる。そんな予感がした。
「なんだか大層な夢だったな……。これは予知夢か?」
朝食を済ませると、シャワーを浴びて髪をとかす。
鏡の中には、ひ弱そうな身体に眼鏡、そして決していいとは言えない顔。その両頬を手のひらではたき、昌高は気合を入れた。
「さぁ、迎えに行こうか。俺の運命を」
昌高は高校二年に上がったばかり、今日はその一学期の始業式だ。
少し早めに家を出た昌高の足取りは軽い。いつもより身体が軽く感じるほどに。起きがけに見た夢のお陰かもしれない。
そして学校も近づくと、周囲は同じ高校の生徒の姿ばかりになる。そしてその視線は、余すところなく人気者の昌高へと注がれる。
それにしても今日は新学期初日のせいなのか、いつも以上に視線が熱い。昌高は少し辟易とした。
「やれやれ、入り過ぎた気合いを悟られて、注目を集めちまったかな? 少しは放っておいてもらいたいもんだぜ」
そして学校。そして昇降口。運命の瞬間が近づく。
下駄箱はクラスごと。そして一年に一度の新年度初日の今日だけは、そこに名前の書かれた紙が張り出される。それが今年一年を共に過ごすクラスメイトたちだ。
A組……昌高はいきなり、自分の名前をそこに見つけた。
だがこれで終わりじゃない。むしろ、この次こそが最重要課題。同じ紙に、思いを寄せる樫井 三都美(かしい みとみ)の名前を見つけること、これが今日の完遂しなければならないミッションだ。
あ、い、う、え、お……。クラスメイトの女子の名を順に追っていく。
その時、昌高はとんでもないことに気がついた。
「しまった、俺ってば服を着てない。だからみんなの視線が――」
『コラ、コラ、コラ。誰得なのよ、この展開は!』
「あ……。まだ寝ぼけてるみたいです」
昨夜キミは夜更かしをしたっていうのに、朝早くに目覚めるとパソコンに向かって小説を新たに書き始めた。だけど、このありさま。
睡眠不足で頭が回ってないなら、無理して書かなくてもいいのに……。
それでもあたしのアドバイス通り、主人公を自分にしてくれたみたいだね。そして小説を読んでみると、今日の始業式に期待を寄せてるようだ。
『で? キミは人気者なの?』
「すいません、そこは小説の嘘ってやつです」
『だよね……。ついでに主人公を格好良くしてくれてもいいんだよ?』
「すいません、それだけはできません」
そりゃそうだよね。現実で上手くいかないから、せめて小説の中であたしと仲良くなりたいっていうのが、キミの目的だもんね……。
だけど、あたしだって言い寄られるならイケメンの方がいいよ!
こんなエッチでスケベな変態の自己中じゃなくて、気遣いのできる優しいお金持ちの人がいいな。
でもそこを否定すると、小説がボツになってあたしの存在が消えちゃうから、せめてキミを惚れる価値のある人物に更生するしかないね。
「まだ寝てるのー? 早く起きて朝ごはん食べなさーい」
「起きてるよー」
ドアの外から聞こえてきたのはキミのお母さんの声。
キミはノートパソコンをパタンと閉じると、大きなあくびを一つしてドアから出ていく。
あたしは後ろを付いて歩きながら、キミに提案した。
『これから学校でしょ? あたしもついていくよ』
「え? どうしてまた……」
『だって、キミと一緒に行動しないと、アドバイスだってできないじゃない』
「ダメですよ。ミトンを連れて歩いてたら、周りからどんな目で見られるか……」
『あたしのことが見えるのは、多分キミだけだよ。試してみようか?』
あたしは台所で朝食の用意をするキミの母親の前に立って、手を振ってみせる。
そのまま呼びかけたり、その身体を通り抜けたりしてみせるけれど、キミの母親は何の反応も示さなかった。
その様子を見ていたキミは、あたしの言葉が嘘じゃないって納得したみたいだ。
(へぇ……本当だ。まてよ、他の人に姿が見えないってことは……)
あれ? なんだろ、これってキミの声?
いや、違うね。キミはしゃべってない。どうやらこれはキミの心の声。作者のキミの考えが、地の文みたいにあたしに届いたみたい。
これはさっそく更生させないと。あたしはキッパリと言い放つ。
『盗撮の依頼ならお断りだよ』
「え、ちょっと、な、何を言ってるんですか。ぼ、僕はそんなこと……」
「ほらー、ぶつぶつ言ってないで、早く朝ご飯食べちゃいなさーい」
母親に促されるままに朝食を食べ始めたキミ。
心の声があたしに伝わるとわかって、気が気じゃないらしい。だけど食事をしながらでも、あたしと会話ができるのはちょっと便利かもね。
(これもひょっとして伝わってるんですか? でも、一体どうして……)
『さぁ、作者の考えが小説内に影響するんじゃない? あたしは中の人だから』
(ほんとに? じゃぁ、〇〇〇は……? XXXも……?)
『ちょ、ちょっと、お願いだからやめてよ、この変態! セクハラだよ、セクハラ! もう、最低!』
あたしはみるみるうちに、恥ずかしさで顔が火照っていく。
それにしても高校生の男子って、いっつもそんなこと考えてんの?
キミ以外の心の声は聞こえないから、あたしに確かめる術はない。だけど、朝食中だよ? こんなに恥ずかしいこと考えてるのは、さすがにキミだけだよね?
あたしはたまらずに耳を塞いだ。でもキミの心の声は耳から聞こえるわけじゃないから、こんなことをしても無意味なんだけど……。
「行ってきます」
朝食を済ませたキミはシャワーを浴びて、身支度を整えると気合いを入れて家を出る。さすがに裸じゃなくて、ちゃんと制服を着て。
そして通学。あたしはキミの隣を歩く。こうしてみると、あたしとキミの背格好は同じぐらいだね。うーん……彼氏の隣を歩くときは、やっぱりちょっと見上げるぐらいの方がいいかな。
『ねぇ、ねぇ、あたしの身長って実物と同じぐらい?』
(正確にはわからないですけど、寄り掛かってた壁を測ったらそれぐらいでした)
『うわ……引くわ、それ』
それにしても学校が近づいて、周囲はキミの高校の制服ばっかりになったのに、誰一人としてキミに声を掛ける人はいないんだね。キミは小説の嘘なんて言ってたけれど、ここまでくると詐欺レベルだよ。
それどころか、周りの人にはキミが見えてないほどの空気感。まぁ、そういうタイプだよね、キミは……。
『ねぇ、ねぇ、学校で小説のアイデアが浮かんだらどうするの?』
(さすがにノートパソコンを学校に持っていくわけにはいかないんで、小説用のノートを作りました。家に帰ったら、それをパソコンに打ち込みますよ)
あたしと心の会話をしながら、キミは学校への道を歩く。
その時背後から近寄って、キミの背中に一撃を食らわせた人物がいた。
「ゴフッ……」
その衝撃で、キミは激しく咳き込む。そんなキミに彼は「じゃぁな、昌高。お先」と爽やかな声を掛けて、あっという間に小走りで去ってしまった。
『へぇ、キミにも挨拶してくれる人がいるんだね』
(今のが挨拶に見えましたか? あれはどついたっていうんです。しかもグーだし)
『え、そうだったの?』
(ちゃんと見てたんですか?)
『もちろん見てたよ』
見てた、見てた、むしろ見とれてた。なにしろあたしのタイプ、どストライク。
緩くかかったパーマに、細身の顔立ち。目つきは少し悪いけど、そこがまたかっこいい。芸能人ほどじゃないにしても、その整った風貌にあたしは一瞬で目が釘付けになったよ。
彼が主人公だったなら、あの書き出しでも文句はつけなかったね、きっと。
それどころか、喜んで「いやぁん」と上目遣いではにかんだ上に、さらに石にでも躓いて抱きつくアドリブまでしてたかもしれない。
でも彼を主人公にしようなんて持ちかけたって、キミが応じるはずがない。それにあたしは、いつかは小説の中に帰る身。この気持ちは胸の中にしまっておくことにしよう……。
『さっきの彼、親しげだったけど知り合いなの?』
(あいつは
『へぇ、智樹クンか。それにしても小学校から一緒なんて、幼馴染ってやつ?』
(全然違いますよ。学校がずっと一緒ってだけです。さっきだって見たでしょ? あいつは何かと嫌がらせをしてくるんです。あんな奴は幼馴染じゃないですよ)
『そんな風には見えなかったけどなー』
イケメン無罪ってわけじゃないけど、あたしにはキミの言葉が信じられない。
本当に彼は、キミの背中をどついたのかな? それに、立ち去った時の爽やかな言葉や表情は、朝の挨拶にしか見えなかったよ。
きっとキミは彼に嫉妬してるんだね。羨む気持ちはわかるけど、現実は受け入れなきゃ。自分の短所を卑下するんじゃなくて、長所を伸ばす……って、キミに長所はあるのかな……。
学校に到着。そしてそのまま昇降口へ。
ここにはいよいよ運命の張り紙が待ち構えている。キミは少し手前で立ち止まると、二度、三度と大きく深呼吸を始めた。
キミが緊張してるのがハッキリとわかる。そんなに表情を強張らせるから、あたしまで緊張してきちゃったじゃないの……。
だけど、ここで立ち止まってちゃ物語は始まらない。
あたしはキミを急き立てるように、そっと声を掛けた。
『大丈夫? 落ち着いたら、そろそろ行こ?』
(はい。それじゃ行きましょうか、僕の運命を迎えに)
『おーい、ここは小説の中じゃないぞー』
ゆっくりとキミは踏み出す。新しいクラス割りが書かれた、その張り紙に向けて。
だけどその第一歩目で、早くもキミは歩みを阻まれた。キミの首に回された、智樹の腕によって……。
智樹はプロレスの技を掛けるように、回した腕を引き寄せてキミの頭を小脇に抱えると、盛大にネタバレをした。
「また一緒のクラスだな。A組だってよ、俺たち」
「自分で確認するんだから言うなよ……」
「あぁん? なんか言ったか?」
そう言って智樹は、腕にさらに力を籠めてみせる。けれども別な友人から声がかかると、あっさりとキミの首から腕を外してそっちに走っていった。
うーん……やっぱり仲睦まじい、ただのじゃれ合いじゃないか。
智樹から解放されたキミは、またしても激しく咳き込んでいる。首を絞められたわけでもなかろうに……。
智樹にネタバレされて、二年のクラスはA組だと知ってしまったキミ。
でもキミにとっては、自分が何組かなんてどうでもいいことだよね。
うつむいたまま張り紙の前に立ったキミは、意を決して顔を持ち上げる。まるで合格発表で、自分の受験番号を探すように……。
祈るような、泣き出しそうな表情で、キミは必死にお目当ての名前を探している。
呼吸が止まって、体はピクリとも動かない。ただ眼球だけが文字を追う。
そして次の瞬間、キミの目がキラキラと輝きだす。ひょっとして潤んでるのかな?
「…………あった……」
どうやらキミは、無事に合格できたみたいだ……。
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