第4話 運命の鎖
――新しい教室の席は出席番号順。
しかし、そんなものは仮初めの席。運命の絆が描き出す、真の座席表が決定するのはこれからだ。
「じゃぁ、この箱の中のクジを順番に引いてくれー。書かれている番号が一学期の席だ。黒板の字が見えない人は調整するから申し出ろよー」
先生の言葉に教室は騒然となる。
自分の席がどこになるのか。
隣は誰になるのか。
次の席替えは、去年のパターンならば夏休み明け。それまでのモチベーションがかかっているのだから、みんな気合いが入るのは当然だ。
(ふっ……。俺は掴んでみせるぞ三都美の隣の席を、この神の宿る右腕で!)
昌高には狙っている席がある。それは、既に確定している三都美の隣、窓際の最後尾だ。
静かに目を閉じた昌高は、細く長い呼気で精神の安定を図る。
そして次の瞬間、カッと目を見開くと同時に、夢の詰まった安っぽい箱の中に右手を突っ込んだ。
「そこだっ!」
昌高が掴んだクジは、運命の鎖でつながる必然。手にした四つ折りの紙切れを丁寧に開くと、昌高はニヤリと笑みを浮かべてそれを掲げた。
示された番号は狙い通り、窓際の最後尾。隣の席は三都美。
その約束された特等席に、昌高は悠々と腰を下ろしてつぶやく。
「よろしくな――」
『何が、よろしくな、よ。あたしが昨夜言ったこと、全然わかってないじゃない!』
キミが小説用のノートに書き記したのは、ついさっき行われた席替えを元にしたエピソード。その内容に、あたしはついついため息が漏れる。
あたしはキミ以外の誰からも見えないし、声だって聞かれることはない。身体も通り抜けてしまう幽霊みたいな存在だから、教室でも堂々とキミの隣に立つ。まさに人畜無害。
(自ら掴み取ったじゃないですか、樫井さんの隣の席を。自分で運命を切り開いたでしょ?)
『掴み取ったって……クジでしょ。これじゃ、ただの運任せじゃない』
(それにしても、小説に書いたのに現実にならないんですけど……)
『当たり前でしょ。キミは別に、能力者でもなんでもないんだよ?』
(わかってますよ。でも昨夜、小説を書き換えたらミトンの容姿が変わったから、ひょっとして……って気になっただけです)
『それはあたしが、キミの小説の登場人物だからでしょ。キミが書き換えられるのは小説の中だけ。現実は書き換えられないよ、当り前だけど』
「わかってますって、そんなこと……」
キミが無意識に言葉を吐き捨てた次の瞬間、その脳天に出席簿が振り下ろされる。
内心の愚痴が、キミも気づかないうちに声に出ていたせいだ。
頭を押さえつつ顔を上げたキミの正面には、冷ややかな視線で見下す先生が立っていた。
「お前は何をブツブツつぶやいてんだ。まだホームルームは終わってないぞー」
「す、すみません。独り言です」
「まったく、最前列の席で独り言とはいい度胸だな」
「気を付けます……」
新学年早々に、キミは悪目立ち。それでも書き記していた小説が見つからないように、キミは先生に謝りながらそっと身体でノートを覆い隠していた。
『どこら辺が、自力で窓際の最後尾を……なのよ。キミの席は教壇の目の前。そして隣に座ってるはずのあたしの席は、現実にはキミの列の一番後ろじゃないの』
(そこはフィクションですから!)
『振り返っても、姿も見えない最悪の席じゃない。それに学校に来てみて知ったけど、小説のキミもあたしも本名だったんだね。ほんと、いい度胸してるわ』
「そこはノンフィクションの方が気分が乗るんです!」
『あぁ、もう、バカ……』
たった今注意されたばっかりだっていうのに、どうしてすぐさま同じ過ちを犯すかなぁ……。
またしてもあたしへの返事を声に出したキミは、今度は容赦する気のなさそうな先生にギロリと睨みつけられる。あたし、しーらないっと……。
「おい、那珂根! 少し廊下で頭でも冷やしてみるか?」
「す、すみません」
立て続けに先生に叱られたキミに、クラス中から忍び笑いが向けられる。
キミの名前は那珂根 昌高(なかね まさたか)、憧れの彼女は樫井 三都美(かしい みとみ)、どっちも小説と全く同じ。あたしは三都美の席に歩み寄って、まじまじとその容姿を観察してみることにした。
ふーん、あたしってこんな顔してるんだね……。
キミが小説で書いたように、セミロングの黒髪、一重まぶたで愛嬌のある顔。そして十人中、七人ぐらいが可愛いっていうのも、なかなか上手い表現じゃないの。
だけど気になるのはその体型。あたしの方が一回り細くて、胸も少し大きくないかい? これはキミの目には、三都美がそう映ってるってこと? それとも願望?
「で、ホームルーム中だっていうのに、なんでお前はノートを広げてるんだ? ちょっと見せてみろー」
「いや、これはですね……。大事な話があったら書き留めようかと……」
「大事な話もなにも、席替えしてクラスの委員を決めるだけだぞ? いいから、とにかく見せてみろー」
『うひゃー、これってちょっとまずくない?』
あたしの視界の先にいるキミは絶体絶命のピンチ。
何しろあのノートに書かれているのは、実名で綴られた小説。さすがに読み上げられはしないだろうけど、万が一ってこともあり得る。
必死に抗うキミに、伸ばされる先生の手。強権発動されたらキミは黙ってノートを差し出すしかない。
そこへ、天使のような声があたしの隣から響く。別に美声っていうほどじゃない。キミにとっては救いの声っていう意味だ。
「あのー、あたし視力が落ちたみたいで、黒板の字が見えないんですけど」
声の主は、ただいま絶賛観察中だった三都美その人。
あたしの声質って、こんな風に聞こえるんだね。耳に絡みつくような、ちょっとマッタリした感じで心地いいそんな声。
だけどそのしゃべり方は、ゆったりと落ち着いてて優しい感じ。あたしと違ってなんだかちょっと大人びた雰囲気。この差は一体……。
三都美は右手をピンと天井に向かって挙げて、先生をしっかりと見つめている。
「おう、わかった、樫井はちょっと待ってろー。こっちを先に片付けるから。ほれ、那珂根、早くノートを見せてみろー」
救われたかと思ったけど、現実はそんなに甘くない。さらに強い口調で迫る先生に、キミは渋々とノートを差し出した。
受け取った先生はノートを手に取ると、パラパラとページをめくっていく。
心配になったあたしも駆け寄って、先生の開くノートを覗き込んだ。
「おい那珂根、なんだ? これは」
先生はノートを広げたまま、キミに突き付ける。
そこには意味不明な記号が、ノートいっぱいに書き殴られていた。
「それは……サインです、僕の」
クラス中から笑いが巻き起こる。キミは赤面しながらも、その顔には安堵が浮かんでいた。
「サインの練習なんて、芸能人にでもなったつもりか? まぁいい、落書きばっかりしてんじゃないぞー。独り言もな」
先生はノートを閉じると、軽くキミの頭をそれではたいて、そのまま返却する。
どうして小説に気付かれなかったんだろう? その謎にあたしが気付くのに、そう時間はかからなかった。
感心したあたしは、その答えをキミの耳元で囁いてみる。さっき仕入れたばっかりの、三都美のしゃべり方を真似て。
『注意が逸れた一瞬でノートをすり替えたの? キミ、手品師の素質があるかもね』
(か、樫井さん!? って……、脅かさないでくださいよ)
『お、びっくりした? びっくりした? しゃべり方を本物に似せてみたんだよ。ちょっと落ち着いた感じにね』
キミは未だにドキドキしているらしくて、胸に手を当てて息を整えている。
そこに椅子を裏返しに載せた机を抱えて、黒板の文字が見えないという三都美が、一歩また一歩と前方に歩いてきた。
「ごめんね、ちょっと通りまーす」
(!? 今度は本物……。同じ雰囲気だと落ち着かないから、ミトンは今まで通りのテンション高めでお願いしますよ……)
『アハハ、わかった、わかった』
キミが落ち着く間もなく、再度の席替え。
結局、三都美が最前列に。それ以降は順繰りに、後ろにずれることになった。
『目の前が憧れのあたしなんて、ついてるねキミ』
(ついてるんじゃない。運命なんですよ、これは。必然なんです)
『よく言うよ、軽々しく運命とか。それにしても、キミが小説の中で座ってる席は、実際には智樹クンの席になっちゃったね』
あたしは窓際の最後尾に目を向ける。そこには、今朝すれ違った時に一瞬で目を奪われた智樹クンの姿。やっぱりかっこいい。
こんな場所であたし好みの人物に出会えるなんて、これはもう運命かもしれない。
(さっきからチラチラとあいつばっかり見てますね。まさか気に入ったんですか?)
『いやいやいや、キミは……その、いったい、なにを言ってくれちゃってるのかな? 悪い冗談だよ?』
(理由もなく人を好きにならないミトンが、まさか一目惚れなんてしちゃいないと思いますけど……一応忠告しておきます。あいつは、お勧めできませんよ)
『なに、嫌味? そして、さらに妬み?』
(違います! あいつ、要領だけはいいんです。世渡り上手ってやつですよ。でもその陰で、泣いてる女の子も数知れずいるみたいですよ。噂ですけど)
智樹クンの話をする度に、キミは不機嫌になる。キミは否定したけれど、それを妬みって言うんだよ。
そしてキミの言葉にこもった悪意は、あたしの好みにケチをつけられたみたいで、ちょっと腹が立つ。なのであたしは、キミに本音をぶちまけることにした。
『世渡り上手の何が悪いのよ。まともにコミュニケーションも取れずに悶々として、妬ましさから嫌悪感抱くよりもずっとマシだよ』
(ぐりぐりと心を抉ってくれるなぁ……。だったら、こっちにも考えがあります)
そう心に念じたキミは、机の中から小説用のノートを取り出す。
そしてそれを開くと、ニヤリと口角を上げながらペンを握りしめた。
――三都美は急に席を立つと、ホームルームの真っ最中だというのに制服のまま踊りだした。高く足を上げて、まるでチアリーディングのように……。
けれど結果は、あたしの服装が制服に変わっただけ。
どうやらキミは、まだわかってないみたいだね。キミがいくら小説に書いたとしても、それが実際に起こるのは小説の中の世界でしかないことを。
『ふ、ふふん、無意味なことはやめるんだね。だから消した方がいいよ、そんな文章は。いくらそんなことを書いても、キミはあたしのパンツを見ることはできないよ』
(なに言ってるんですか、これは下準備ですよ。シチュエーションはしっかり書いておかないと、気分が盛り上がらないじゃないですか。謝るなら今のうちですよ?)
キミはあたしに警告すると、その目を輝かせる。っていうことは、ここからが本番ってこと!?
どうやらあたしは、キミを甘くみていたらしい。やっぱりキミはわかってた。小説内でのあたしの変化は、しっかりこの身体に反映されることを。
――踊って暑くなった三都美は、制服の上着を脱いだ。
キミがノートに文章を書き記すなり、制服姿のあたしから上着がなくなった。あたしは顔が青ざめる。
『コ、コラ、何をするんだ、この卑怯者ー!』
(ちゃんと謝ってくれたらやめますよ)
謝ってなんてやるもんか。あたしの言ったことは間違ってないんだから。
『だって本当のことじゃないかー。このバカー』
するとキミは、さらに小説に続きを書き足す。
――さらに三都美はスカートのファスナーに指をかけると、ゆっくりとその手を……。
『ごめんなさい、ごめんなさい。あたしが言い過ぎたから許してください』
このままじゃキミは、この場であたしを全裸にだってしかねない。慌ててあたしは謝罪した。それでもキミはペンを置いてくれない。
『謝ったじゃない、約束が違うでしょ!』
――引き上げた。激しく踊ったせいで、ファスナーが下がっていたらしい……。
『キミのバカぁ……。スカート脱がされちゃうかと思ったじゃないかぁ』
どうしてくれるんだよ。涙が出てきちゃったじゃないか……。
そんなあたしを見て、さすがにキミも反省したらしく謝罪した。
(いくら僕でも、そこまではしませんよ。でも、ちょっとやりすぎちゃいましたね、ごめんなさい。だけどミトンの言葉で、僕だって傷ついたんですからね?)
『もう、いじわる……』
「ミトンのせいです」
キッパリと言い切ったキミの言葉は、またしても声に出ていた。
すると目の前の椅子がガタリと音を立て、三都美が振り返る。
「あたし、キミになにか悪いことしちゃったかな?」
「あ、あわわ、あわわわわ」
「突然あわあわ言い出して、どうしたの? なにかのモノマネ?」
「だ、だって……。突然のことで、な、なにを話せばいいのか……」
「呼ばれた気がしたんだけど、ひょっとして気のせいだった? 驚かせてごめんね、そしてよろしくね。那珂根クン」
「ひゃい!」
返事の声が裏返るキミ。顔を真っ赤にしたキミの表情は、あたしまで幸せな気分になりそうなほどに、嬉しそうな笑顔だった……。
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