33 高校生なのに政略結婚?
善は急げと、放課後早速、綾小路を呼び止めた。
「あ、ああ、あ、綾小路!」
教室からあと一歩で廊下に出てしまう寸前、手入れの行き届いた綺麗な金髪が振り返る──伊集院とはまた違った、良い匂いが漂ってきた。女の子の匂いだ。
女同士であるとはいえ、改まってデートに誘うとなると、手汗がナイアガラの滝のように流れていった。濾過したら、きっと水道として売れる量になるだろう。
「放課後、もしよかったら、カフェ、寄らないか?」
めちゃくちゃ句読点の多い、おじさん構文で喋ってしまった。文章だったら、絵文字がついてキモさが増しているところだ。
「とても嬉しいですわ!」
綾小路はそんなおじさん構文にも関わらず、パァッと顔を明るくした──が、すぐに申し訳なさそうに、整った眉がハの字になった。
「すみません、お誘いはとても嬉しいのですが……、今日は予定があって……」
「そ、そうか、先約があるなら仕方ないな……」
断られてしまい、多少は傷つくが──誘い自体は歓迎されている素振りなのが救いだ。嫌がられている様子は感じられない。致し方ない理由らしいので、タイミングが悪かっただけだ。
「なので、また日を改めて……」
綾小路がスケジュール調整をしてくれようとしたとき──スマホの着信音が鳴り響いた。
あまりにも近くから聞こえたので、もしかしたら俺か? と自身のスマホを取り出すが、画面は真っ暗のままだ──代わりに、目の前にいる綾小路が着信音を奏でているスマホを手に持っていた。
「あ、すみません、ちょっと出ますね……」
「お、おう……」
一言断って俺に背を向け、綾小路は「もしもし」と言ってスマホを耳に当てた。
『おい! ちゃんと今日の約束を覚えているか!?』
おじさんの怒号が、綾小路のスマホから飛び出てきた──スピーカーモードにしているのか、と疑いたくなるくらいの怒鳴り声だった。
「わかっております、お父様」
『一分でも遅刻したら、婿殿に合わせる顔がなくなってしまうんだぞ! わしの顔に泥を塗るような真似はするなよ!』
「はい、大丈夫です」
誰もいない空間にペコペコ謝り倒す綾小路──お父様、だって?
こんな礼儀正しい美少女に、なんの失敗もしていないのに、突然怒鳴りつけるだなんて、どういう神経してやがんだ。
っていうか、婿殿?
女子高生で、十六歳で──婿の話を父親からされるのか?
「……ふぅ」
綾小路は通話を切って、一息ついた。くるりと俺に振り返る。
「失礼しました。お見苦しいところを……」
いや、それより……
「なぁ、綾小路、婿殿って……」
「あぁ……」
人の会話を盗み聞きしてしまった気分だが、あんなデカい音量で電話する向こうが悪い。
俺の問いに、綾小路は視線を彷徨わせた。言いにくい、というより、困った風に。
「……わたくしには、婚約者がいるのです」
「高校一年生で、婚約者? 彼氏じゃないのか?」
「……両親が、決めた方です。高校に入学する、ずっと前から──わたくしは高校卒業と同時に、その方と結婚しなければならないのです」
政略結婚、ってやつじゃないのか? 国と国が政治的に仲良くなるために、お姫様が他国に嫁入りする、みたいな、作り話の中でしか聞かないやつ──それとも、金持ちともなれば、そういうことも当たり前にあるのだろうか。
いや、思春期真っ盛りの美少女の相手を、親が無理矢理決めていいわけないだろ。
「……綾小路は、その人のこと、どう思っているんだ?」
単刀直入に言えば、好きなのか? という意味である──勝手に決められた婚約者に、いくら俺が憤慨しようと、綾小路がきちんと好きになっているのであれば、俺の出る幕はない。
「……その方は、四十歳なのです」
「おっさんじゃねぇか!」
びっくりして声を荒げてしまった。一瞬だけ、クラスの視線が俺に集まるが、すぐにみんな各々の行動に戻っていった。
好きになるとかならないとか、そういう問題じゃない。そういう次元じゃなかった。
恋愛対象になる年齢が、自分より一回り以上前後している人間のほうがそういないだろう。
しかも、高校卒業と同時に結婚って……。
「結婚したら、綾小路はどうなるんだ?」
前世の俺の常識だが、高校卒業したら大抵は大学進学していた。大学進学前に結婚しても、大学に行けるのか? それとも就職?
「……専業主婦、ということになるそうです。経済力のある方ですから……」
専業主婦……。
その言葉はなんだか、社会に出なくていい、というよりは、家に一生閉じ込められる、というニュアンスのほうが強い気がした。
「……綾小路は、それでいいのかよ?」
「……両親が決めたことですから」
諦めたように微笑む綾小路が、俺の胸をぎゅっと握り潰す──俺は思わず綾小路の両肩を掴んだ。
「親の意見じゃなくて、俺は綾小路の気持ちを聞いてるんだ」
「…………っ」
大きくてキラキラした瞳が、ふるふると震えた。綾小路は泣きそうだった──でも、涙は見せなかった。
「……わたくし、本当は──大学に進学したいのです」
志望大学は日本最難関の大学だったが、それを聞いて俺は逆に納得してしまった──成績トップの綾小路だ。卒業後もさらに勉学に励もうとしていてもおかしくないし、それくらいの目標がなければ頑張れないだろう。
むしろ──それだけのやる気と才能に満ち溢れている彼女の進路を、周りが勝手に潰そうとしていることに腹が立った。
こんなの絶対おかしいだろ。
「進学したい綾小路の結婚を、親が勝手に決めるなんて、絶対変だ」
「そうは言っても……」
綾小路は、もうどうしようもできない、とさっきからずっと諦めた表情のままだ。
自分の人生を諦める──そんなのもう、自殺と一緒じゃないか。
「子供は親の道具じゃない! 綾小路は綾小路の好きな人生を生きていいはずだ!」
「…………っ」
綾小路の瞳から、一筋の涙が零れた──俺は動揺して、ポケットのハンカチをまさぐったが、綾小路は存外男らしくセーラー服の袖で涙を拭った。
「……はい、ありがとうございます、早乙女さん」
何もしていない俺に、感謝をする綾小路──ひとまず、彼女に笑顔が戻って俺は胸を撫で下ろした。
「今日、お見合いがあるんです、午後三時から、都内の料亭で」
耳慣れない料亭の名前をスマホで検索すると、とんでもない高級料亭だった──和風の庭園までついているだと?
「こ、ここで!?」
「はい」
あまりの上流階級っぷりに驚く俺に、綾小路は当たり前のように頷いてみせた。
「わたくし、まだ一度も自分の気持ちを言ったことがありませんでしたの──だから、今日は、はっきり言ってみますわ……!」
だめかもしれないですけど、と付け加えて、綾小路は下校して行った──その後ろ姿を見送りながら、俺は決意する。
……このお見合いをなんとかして阻止しないと。
もちろん、綾小路に許嫁がいて結婚する予定のままだったら、伊集院と鬼塚を押し付けるという当初の計画も頓挫してしまうというのもあるが──なにより、泣きそうになりながらも本音を吐露してくれた彼女を、守ってあげたいと思った。
伊集院をプッシュするどころではない。
どうにかしてあげたい。
鬼塚と伊集院に相談するため、俺は教室を出た。
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