少女漫画のヒロインに転生した男子高校生は恋愛フラグをへし折りたい

２８ 恋愛フラグが一つ折れた

　昼休みは、どこを歩いても視線が痛かった。

「あの人が、噂の……」

「ご主人様っていう……」

「早乙女乙女……」

　指名手配でもされたんか？

　俺の顔と名前が一致している人間が多過ぎる──先に屋上で待つ亜矢瀬のもとへ、ご主人様として、否、パシリとして飲み物を調達してから向かう道のりで、こんなに精神的ダメージを喰らうとは。

　ただでさえ、伊集院や鬼塚に彼氏できたのか？　とあらぬ疑いをかけられて、壁ドンまでかまされたっていうのに……。ご主人様やってるなんてバレたら、今度はなにをされるか……。

　屋上へ続く扉を開けて、給水塔の裏に回り込む。本日晴天。屋上でなく裏庭であったら、日向ぼっこに興じる猫だまりができていそうな日当たりの良さ──そこに、問題を作り上げた当の本人があぐらをかいたまま、立っている俺を見上げた。

「おそ〜い」

　亜矢瀬は、相変わらず呑気に文句をつけてきた。遅いもなにも、毎回同じ時間のはずだ。亜矢瀬の小言は無視に限る。

　ペットボトルのお茶を渡して、俺は亜矢瀬の隣に座り込んだ。

「……ここが少女漫画の世界だとしてさ」

　お茶を受け取りながら、亜矢瀬が語り出す。

「乙女ちゃんが主人公でヒロインだとして、ライバルヒロインはいなかったの？」

　ライバルヒロイン……？

「生徒会長と不良少年の恋路を邪魔する、もしくは乙女ちゃんと、生徒会長か不良少年を取り合う女の子のこと」

　それがライバルヒロインの定義なら、伊集院と鬼塚の共通の知り合いってことになる──あの有名人で近寄り難そうな二人の共通の友人……？

　思い浮かぶのは一人しかいなかった。

「綾小路……？」

　男二人と旧知の中だからこそ、俺が仲良くなろうと企てている、まさにその人──綾小路が、少女漫画のライバルヒロインだっていうのか！

　あんなに性格が良くて、お淑やかな美少女がライバル……？

　むしろメインヒロインでは……？

　にわかには信じがたい俺だったが、でも確かに、言われてみれば、彼女は縦ロールの金髪に金持ちで美少女──一昔前の少女漫画のライバルに相応しい設定だ。

　ライバルヒロインが登場するページまで読み進めていなかった、前世の自分が悔やまれる。

　綾小路、という回答に対して、亜矢瀬は真顔で頷いた──どうやら、思い当たる節があるらしい。

「……生徒会長って、昔、綾小路さんのこと好きだったらしいんだよね」

　え？

　伊集院が、綾小路を好きだった？

　どこ情報だよ、と問い詰めたくなったが、亜矢瀬が持ってきてくれるのは所詮噂話の域を出ない。根拠や確証がないのが前提だ──嘘だろうが本当だろうが、今はこの情報に縋ろう。そもそも、人の気持ちなんてあやふやなもの、確認しようがない。

　そこから、恋愛フラグをへし折るための別の立ち回りが立案できるなら、それに越したことはない。別プランはいくつあっても困らないのだから。

　亜矢瀬は真剣な表情を崩さずに続ける。

「だから、伊集院くんにもう一度綾小路さんを好きになってもらって、ついでに不良少年にも綾小路さんを意識してもらえば……」

「恋愛フラグをへし折れるかも！」

　要は、ライバルヒロインたる綾小路を、本物のメインヒロインに仕立て上げるって作戦か！　ついでに、当初の予定通り、伊集院と鬼塚も仲直りさせちまおう！

　……うん、なかなか良いかもしれない！

「じゃあ俺は、伊集院と鬼塚に、綾小路を勧めるなり囃し立てるなりすれば良いんだな！？」

　前世で、雰囲気の良さげな男女を「お似合いだね〜」などと囃し立てた経験はある。結局、二人がどうなったかは知らないが。

　とにかく、やることは案外シンプルだった。簡単そうだが、悪くない解決策に俺は意気込むが、亜矢瀬は弁当を食い始めた。

「それであっさりその気になってくれたら良いけどね〜」

　そう簡単にいくかな〜、と意外と現実的なコメント。

「やってみなきゃ、わからないだろ！」

　綾小路をオススメするには、それこそ、綾小路をよく知らなければならない──なんだ、やることは変わらないじゃないか。

　これからすべき行動を整理すると、

　ステップ一、綾小路と仲良くなる！

　ステップ二、伊集院と鬼塚を仲直りさせる！

　ステップ三、彼女をメインヒロインに仕立て上げる！

　──完璧な作戦だ！

　これで俺は誰とも恋愛フラグを立たせない、無敵状態になれる！

「ちなみに、亜矢瀬的にはどう思う？　綾小路のこと？」

「えぇ？　僕？」

「亜矢瀬と綾小路、相性良いと思うけどな〜」

　実際には全然良くないだろう。綾小路がバチバチに苦労する未来が目に見える。

　俺の浅はかな意図を読んだ亜矢瀬は、軽くため息をついた。

「……僕で、勧める練習しないでよ。……でも、そうだな、僕は別に、なんとも」

「え！？」

　亜矢瀬は本当に興味がなさそうに、白米の塊を口に放り込む。

「なんでだよ！？」

「乙女ちゃんは、綾小路さんがタイプなんだね」

　そうだが！？

　男だったら、会話どころか挨拶すらできずに、遠くから目の保養として見守る気持ち悪いクラスメイトに成り果てていそうなレベルで好みだ。綾小路と気軽に話せるのは、女の体でよかったことの一つに入る。

「……僕は、どっちかって言うと、乙女ちゃんのほうが好みだな」

「うん？　俺？」

「うん」

　中身が男だと知っていて、なお、俺が好みだということは──見た目の問題かな？　金髪よりピンクヘアのほうが好きなのか、亜矢瀬は。随分ニッチだな。

　……いや、もしくは、男っぽい、やんちゃ系がタイプなのか。

　いるいる、そういうやつ。

　俺が勝手に納得して、一人でうんうん頷いていると、

「……わかってなさそう」

　亜矢瀬がボソリと呟いた。

　なんのことだ？

「ねぇ、乙女ちゃん。僕は君の話は全部信じるし、協力もするけど──報酬を求めても、文句言わないでね」

　亜矢瀬は箸と弁当を横に置いて、俺の正面に移動してきた。

「報酬？　なんだよ、バイトもしてないし、金持ってないの、知ってんだろ」

「違うよ、例えば──」

　亜矢瀬の細い指が、俺の顎をつまむ。

　そのまま、亜矢瀬の顔が近づいてきて──

「えー、屋上結構いいね！」

「ね！　開放してるって、さっき知ってさ〜」

　女子たちの歓声で、亜矢瀬は動きを止めた。

　互いの息が顔にかかる距離で、色素の薄いふさふさのまつ毛が上下に揺れる。

「……なんてね」

　ふわりと笑ってから、亜矢瀬は離れていった。

「明日の昼休み、綾小路さんもここに呼びなよ。それで、僕たちが付き合ってないってこととか、あの二人のこととか、色々話してみよう」

　どこまで教えてくれるかは博打だけど、と亜矢瀬は再び弁当をつつき始める──何事も無かったかのように。

「お前、今──」

　──お前、今、キスしようとしなかったか？

「ん？　どうしたの？　何かあった？」

　いつも通りの、なにを考えているのか読めない笑顔を向けてくる亜矢瀬。

　……とぼけやがって。

　俺の疑問には一切答えない、どころか、無かったことにしようとしている──お前がそうしたいって言うなら、そのほうが、こっちとしても好都合だ。

「……いや、なんでもない」

　俺はなんとかそう返事をして、箸を動かす──いつも美味しいはずの、お母さん特製弁当は、なぜか味がしなかった。

　一本多く立っている気がした、恋愛フラグを見なかったことに──無かったことにして、その日はつつがなく終了した。