24 だから僕は健康に生きる
「あっはっは! 卒業式に撥ねられて気がついたら女子高生に転生してたって!? 何それ! 運が良いんだか悪いんだか! 爆笑〜!」
亜矢瀬はとんでもない大嘘つきだった──約束はいとも容易く反故にされ、やつは涙を滲ませ、腹を抱える有様である。
「笑わないで真剣に聞くって言ったじゃねぇか……!」
「うん、だから、真剣に聞いてるって、ぷくく……!」
堪えきれていない笑いを隠すでもなく、亜矢瀬は頷いた──どこをどう見たら真剣に聞いてるって言えるんだ。
「嘘つくんじゃねぇ! 散々笑いやがって……! お前に話した俺が馬鹿だった!」
無言で屋上まで引っ張られたときから腹を立てていたのに、ちゃんと話した末に爆笑されて──とことん自分勝手な亜矢瀬に呆れ果てた。
くるりと踵を返す俺の手首を、亜矢瀬が掴む。
「待って、嘘じゃないよ」
「離せよ」
俺は教室に戻って、綾小路と親睦を深めるんだ。
振り解こうとしたが、力の入った亜矢瀬の手は、簡単には離れない。
「いい加減に……!」
「だって、僕、乙女ちゃんの話、信じてるもん」
「……は?」
信じてる、だって?
転生なんていう突拍子もない話を?
「……あんだけ笑い倒しておいて?」
「笑ったのは……その、悪かったよ、謝る、ごめん」
意外と素直に、すんなり、亜矢瀬は謝罪の言葉を口にした。
マイペース、自分勝手、悠々自適──人に嫌われるのがおおよそ怖くなさそうなワードばかりが似合いそうな亜矢瀬が、己の非を認めている。調子が狂う。
「でも、僕は本当に、君が転生したって話を信じるよ。体は女の子なんだけど、中身は完全に男ってことなんでしょ?」
「……そ、そうだよ、そうなんだよ!」
俺の話を完全に理解した亜矢瀬の要約に、俺は興奮する──この世界で初めて、俺の身の上を信じてくれる人が現れた!
「あ、あと、この世界についてなんだけど……」
「この世界について? 転生ってだけでも面白いのに、まだあるの?」
転生した経緯はあらかた説明したが、まだ語っていない部分がある。
「……ここ、少女漫画の世界なんだ」
「……少女漫画の世界?」
クエスチョンマークが亜矢瀬の頭上に、数えきれないほど浮かび上がっているのが見える。
……さすがに、今度こそ信じてもらえないかもな。
「この世界は、俺が前世で読んだことのある少女漫画の世界で──俺は主人公でヒロイン。伊集院と鬼塚から迫られて、どっちかと付き合う羽目になるんだ!」
「…………」
「俺はその運命を変えたい……! どっちとも付き合うことなく、高校生活を無事に終えたい!」
熱がこもった俺の野望を、亜矢瀬は無言で聞いていた。今度こそ笑いもせず、真剣に。
「生徒会長と不良少年が、絶対に乙女ちゃんを好きになるのか……」
顎をつまんで、思案する亜矢瀬。
「え……、これも、信じてくれるのか……?」
びっくりする俺に、亜矢瀬はにこりと笑いかける。
「言ったでしょ、乙女ちゃんの話、信じてるって」
「だって……、転生した話より馬鹿げてるだろ……? 自分の生きてる世界が少女漫画なんて……」
「信用度で話すなら、正直、どっちもどっちだよ」
……確かに。
亜矢瀬は続ける。
「転生したっていうのも、生徒会長と不良少年に絶対恋をされるっていうのも、全部僕の疑問に答えてくれるから、信じるしかないよね」
「亜矢瀬の疑問?」
「うん。乙女ちゃんが男らしすぎるとか、学年もクラスも違うイケメンたちと、偶然にしては接点が多すぎるとか」
ほ、ほんとだ……!
言われてみれば、クラスメイトでも昔からの知り合いでも親族でもないあいつらと、不自然なくらいエンカウントしてやがる……!
くっ、これが少女漫画の力か……!
「その割には、乙女ちゃん全然嬉しそうじゃないし、むしろ嫌がってる感じすらあるし。でも、転生して、中身が男で、少女漫画のヒロインだっていうなら納得。僕としても、恋愛したくないタイプの友達ができて嬉しい」
「そ、そうか……」
亜矢瀬の事情は知らないが、本人が嬉しそうにしているからオールオッケーだな。
「じゃ、じゃあ、教室戻ろうぜ。弁当も持たずにこんなところで話し込んでたら、昼飯食いっぱぐれる……」
「僕さぁ、お母さんがいないんだぁ」
……なんか始まったぞ。
しかも導入からして、めちゃくちゃ重たいぞ。
亜矢瀬は空を仰ぐが、春の青空に似つかわしくなさそうな身の上話を披露しようとしていた。
「あ、亜矢瀬……、教室に……」
「僕のお母さんはね、家事もこなしながら働いてたんだけど……、職場がとんだブラック企業だったみたいで」
俺の声は届かないのだろうか、それとも、俺の身の上話を聞いたんだから、今度は亜矢瀬の番ということだろうか。
確かに、散々自分の話ばかり聞かせておいて、亜矢瀬の話は聞かないというのは理屈が通らない。
俺は昼飯も綾小路も諦めて、亜矢瀬の語りに耳を傾けた。
「家事と仕事を両立させようとして、無理して……、死んじゃった。睡眠不足と過労だってさ。それで、死ぬ直前にお母さん、僕に言ったんだ」
青空から、俺に視線を落とす亜矢瀬。
「健康に生きてって」
……健康。
俺たち高校生が健康なんて、言われなくても当たり前なほど、前提条件だ。みんな、その上で何をするか悩み学び、遊ぶのが高校だろう──それを、遺言として亜矢瀬のお母さんはわざわざ残したのか。
「だから、僕はどこでもいつだって寝るんだ」
亜矢瀬がやたら昼寝をする理由はここにあった──睡眠不足で亡くなったお母さんからの遺言を、彼は律儀にも強く守っているのだ。
こんなに母思いの亜矢瀬からお母さんを奪うなんて、
「……ねぇ、お母さんはなんで死んじゃったと思う?」
「……え」
「結婚なんてしたからだよ」
……決めつけが過ぎないか、なんて他人の俺が口を出すわけにはいかない。
「だから、僕は母さんをあんな目に遭わせた父さんを絶対に許さない……!」
ぎゅう、と亜矢瀬の拳が強く握られた。震えている。
恋愛を毛嫌いしていたのは、大好きだったお母さんが奪われたと思っているからか……。両親が結ばれなければ、そもそも亜矢瀬だって生まれていないのだが──そういう問題じゃないだろう。
「亜矢瀬のお父さんが全面的に悪いわけじゃ……」
「お父さんは、衰弱していくお母さんを見殺しにしたんだよ」
強い視線に、俺は怯んだ。もう亜矢瀬の視野は、完全に狭まってしまっている。
「おかしいんだよ、どうしてお母さんだけが家事も仕事もしなきゃいけなかったの? お父さんは今だって仕事しかしないでさぁ……!」
お母さんが亡くなったということは、現在、亜矢瀬は父子家庭なのか。片親しかいなければ、金を稼げない亜矢瀬に、生活するための負担が回ってくるだろう。
母親がいたときも、いなくなってさえも、家事をやろうとしない仕事人間の父親に、亜矢瀬は腹の虫が収まらないようだった──もはや、恨みにも見える。
これから先、親子で二人三脚で生きていかなきゃいけないのに、片方に怨恨を抱えているだなんて、そんなの、悲しすぎるだろ。
「……なぁ、お前のお父さんは、本当にお母さんを見捨てたのかな」
「見捨てたに決まってるよ! だって、僕はお父さんが家事をしているところを、一度だって……!」
「……お前のお父さんにも、何か事情があったかもしれないだろ」
「……なんでそんなこと、父さんに会ったこともない乙女ちゃんにわかるのさ」
「わかんねぇよ。だから、聞きに行こう──今から」
亜矢瀬が俺を屋上に連れてきたときのように、俺は亜矢瀬の手を取って駆け出した。屋上の出入り口をくぐり抜け、できる限りのスピードで階段を降りる。
「い、今から!?」
予想だにしない俺の行動に目を丸くしつつも、亜矢瀬は大人しく引っ張られ、俺たちは学校を抜け出した。
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