22 絶体絶命!

「……いた」

 理科準備室──通常、先生しか入ってはいけないらしい教室。亜矢瀬曰く、「この準備室は鍵がかかっていなくて、先生も滅多に来ない、ほぼ空き教室状態」とのこと。

 黒いカーテンの向こう側、日当たりが良さげな床に足が転がっていた──亜矢瀬がカーテンにくるまって、すやすや寝ているようだ。

「亜矢瀬!」

「んにゃっ!?」

 シャッと勢いよくカーテンを開ける。惰眠を貪っていた亜矢瀬はすぐに起き上がった。

「……なんだ、乙女ちゃんか。なぁに、今日は呼んでないでしょ」

「お前、日直なんだって?」

「……うげ」

 俺が何しにここまで来たのか察したのか、亜矢瀬はあからさまに嫌そうな顔をした──まさか、黙っていなくなれば、綾小路が日直の仕事を代わってくれるとわかった上で、ここまで来たんじゃないだろうな……?

「綾小路の負担が増えて困ってたぞ! 早く戻れ!」

「……やだ」

「はぁ!? 何言ってんだ! 綾小路が可哀想だろ!」

「やだったら、やだもーん」

 そう言って、亜矢瀬は再びカーテンにくるまった。

 こいつ……!

「亜矢瀬! 教室戻るぞ!」

「いーやーだー」

 カーテンをめくって、亜矢瀬のワイシャツを引っ張るがびくともしない──くそ、こんな甘えたなこと言ってても男か……!

 か弱そうな見た目のくせに、女の俺では力で敵わないと思い知らされる。

「えー、ここ入れるの?」

「大丈夫、大丈夫」

 亜矢瀬との戦いも束の間、男女生徒の二人組が入ってきた。

 俺は咄嗟に亜矢瀬を引っ張って、近くの用具ロッカーに隠れた──その拍子に、亜矢瀬のスマホが彼のポケットから零れ落ちる。

「な? 誰もいないだろ」

「そーだけどぉ……」

 見つかったら怒られると思ってロッカーに入ってしまったが──口ぶりからして、二人はどうやら生徒会や見回りの先生じゃないようだ。

 さっさとロッカーから出よう──

「んっ、ちょっと、人来たらやばいよ」

「いいだろ、少しだけ」

 ……………………ん?

 …………こいつら、まさか…………。

 俺は身を捩ってロッカーの隙間から、男女二人の様子を伺う──そこには、信じたくない光景が繰り広げられていた。

 カップルが、めっちゃチューしてたのだ。

 ……マジかよ。

 前世の俺の高校生活で、可愛い彼女と文化祭を回ったり、空き教室でイチャイチャしたりなんて青春はなかった。血の涙が流れそうだ。今からでも殴り込んでやりたい──なお、実行する勇気はない。

 カップルを引き裂きたい気持ちをグッと堪えて、イチャイチャが早く終わるのを待っていたのだが──

「んっ、あっ……、だめっ」

 女子の甘い声が、ロッカーの中にまで漂ってきた。

 …………おいおいおいおい。

 こいつら、おっ始めやがった!!!

 血の涙どころではない。怒りが沸々と湧き上がってくる。

 クッソ、マジでロッカーから飛び出して空気ぶち壊してやろうか……!?

 カップルが醸し出すピンク色の雰囲気に、俺たちは余計に出るに出られなくなってしまう。早く綾小路の元に戻らなければいけないのに。

 俺の焦りをよそに、用具ロッカーの狭い暗闇で視界が奪われた中、女子の喘ぎ声が無駄に響き渡った。

「んぁ……っ、は……」

 瞼の裏にあられもない格好の女の子が浮かび上がり、やらしい声に引きずられるようにピンク色の妄想が捗る。

「…………っ」

 このままじゃ、勃────……………………つモノはもう無いんだった。

 女の体っていいなぁ、としみじみ思った。うたた寝していたせいか、学校のチャイムの音で誤作動してテントを張ってしまった、前世の苦い記憶が蘇る。

 女であることを再確認したことで下半身への焦りも消え、もうカップルの気が済むまで待つしかない、と腹をくくったとき──


 ゴリ。


 ……腹に、硬いものが当たった。

 恐る恐る、自分の腹部に、視線を移す。


 亜矢瀬の亜矢瀬がstand upしていた。


「────────っっっ!!!」

 こぅっっっっっっっっわ!!!

 臨戦態勢になったブツが、女の立場になった途端、こんなに恐ろしいモノだとは思わなかった。

 男と女じゃ物理的に力の差があるのは、ついさっき思い知ったばかりだ──嫌な想像が脳裏を駆け巡る。

 つまり、こいつがその気になれば、俺は、俺は…………!


 犯されちまう!!


 もうだめだ。真っ最中のカップルの中に突っ込むしかない──!

「……乙女ちゃん」

「ん!? なんだ!?」

 俺が腹を括っている横で、亜矢瀬が小声で話しかけてきた。もはや突入姿勢の俺に、亜矢瀬にかまっている暇はないのだが。

 亜矢瀬を無視して、俺はロッカーのドアを蹴破ってやろうと、足を上げようとした。

「……ごめん」

 と、亜矢瀬が、小さく謝った。

 そこで、ようやく亜矢瀬自身に注意が向いた──今まで、亜矢瀬の亜矢瀬ばかりに目が向いていた。

 ……こいつ、俺をどうにかする気はないのか?

 亜矢瀬を見上げると、彼は申し訳なさそうに顔を歪めている。

 ……そうだよな、苦しいよな。

 俺は思い直した。女子の目の前で意図せず臨戦態勢になってしまった気まずさを、察してあげようと。すぐに抜くこともできない、収まるまで時間もかかる。その間、一人にもなれない。

 ……俺も中身は男だから、気持ちは分かるよ。

 中学時代に、公園の裏で拾ったエロ本にも、こんなシチュエーションあったな、とふと思い出す。クラスの女子とロッカーに閉じ込められて、亜矢瀬みたいな状態になってしまった主人公に、女子がこう言うんだ。


『……抜いてあげよっか?』


 ──だが、しかし!! ここはエロ本の世界ではないのである!!

 何かないか……! この状況を打開する一発逆転の何か……!

 ロッカーの隙間から目を凝らす。乱雑とした亜矢瀬のスマホが床に放り投げられているのが見えた──そうか、ロッカーに入ったときに落としたのか……!

 俺はスカートからスマホを取り出す。主従関係が出来上がった当初に交換した亜矢瀬の連絡先に、電話をかけた──目と鼻の先で寝転んでいる亜矢瀬のスマホが、音を奏でて震える。

 ティロリロリン♪ ティロリロリン♪

「え!? なに!?」

「やば、いくぞ!」

 カップルはスマホの着信音にビビって、すぐに服装を正した──ドタドタと足早に理科準備室から出て行く。

 二人分の足音が遠のいたのを確認して、

「っぷはあ!」

 俺たちはようやく、息苦しいロッカーから脱出することに成功した。

「お、乙女ちゃん……。ご、ごめん……」

 股間を隠しながら、普段むにゃむにゃしている亜矢瀬が恥ずかしそうにしていた──こいつにもこんな顔があるのか。

 しかし、亜矢瀬の意外な一面を見て驚いている場合ではない。

「いいか! とにかくそれ収めてから教室戻ってこい! 適当に誤魔化しておくから!」

「……怒ってないの?」

「怒るも何も生理現象なんだから仕方ないだろ! 手足ぶらぶらしてたら、血がそっちに流れるから!」

「いや、さすがに詳しすぎない?」

「どうでもいいだろ、そんなこと! いいから収まったら教室来いよ!」

 俺は乱暴にドアを閉めて、理科準備室を後にした。

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