15 めそめそしてんじゃねぇ!

「……面倒かけて、ごめん」

 ベッドに横たわり、ようやく落ち着いた伊集院は、熱を測っている俺に、謝罪と感謝が入り混じった台詞を投げかけた。

「別に大したことしてねぇよ」

 保健室には、あいにく、誰もいなかった。出入り口の扉には、『先生不在』と書かれた小さなホワイトボードがぶら下がっていたし、他に寝ている生徒もいない。

 脇に挟んでいた体温計が、計測終了の音を鳴らす。三十七度ちょい──倦怠感からしてもっとあるかと思ったが、案外微熱で済んでよかった。この調子なら、ちゃんと食べて早くベッドに入れば、明日には回復しているだろう。

「……最近、ちょっとだけ容量超えてたかも……。体調管理も自己責任のうちだし、次から気をつける」

 仰向けに寝転がって天井を見つめる伊集院は、俺に言っているというより、自分に言い聞かせているように呟いた。

「キャパオーバーってことか? 何してたんだよ?」

「……生徒会の仕事が、ちょっと、ね……」

 俺の問いかけに、伊集院は律儀に答え始めた──生徒会の仕事内容のうち、直近で伊集院が担当したものを部外者の俺にもわかりやすく。ただ、それらは、生徒会に入った経験のない俺でも「生徒会長の仕事か?」と疑いたくなるような種類も多くあった。

 加えて、伊集院は三年生、受験生だ。受験勉強と生徒会長の両立に四苦八苦しているようだった。

 そこまで頑張ってるやつが体調崩すまで放っておいて、周りは何をしているんだ?

「他の生徒会のやつらは、誰も手伝ってくれないのか?」

「……これくらい、俺がやったほうが早いし」

「それでぶっ倒れてたら、意味ねーじゃん」

「…………」

 正論に、伊集院は黙り込んだ──他人に頼るとか弱音を吐くとか、そういうことがとことん苦手なタイプか、と俺は推察する。まともに歩けない状態なのに、助けを呼ばなかったあたりもそうだ。

 影ながらの努力は素晴らしいとは思うが──面倒なやつだな。

「あまり一人で抱え込むなよ」

「え……」

 俺は伊集院の寝るベッドに腰掛けた。ぎしり、とベッドが鳴る。

「なんかあったら、俺が手伝ってやるから」

 生徒会じゃないから、直接手伝えることはそう多くはないだろうけど。

 伊集院の髪を撫でる──傷みを知らない髪は、俺の指の間を流れた。

「……ありがとう」

「おう」

 意外と素直に礼を言う伊集院に、俺は笑って返す。

 伊集院との恋愛フラグを立てたくないなら、こうやって自分から近づくような真似はするべきではない──頭でわかってはいるが、不器用なこの男を見捨てる気分には、どうしてもなれなかった。

 それに、伊集院との仲が近づいたのなら、それはそれで、踏み込んだ情報が得られる可能性も高まる。

「……なぁ、伊集院と鬼塚って、昔は仲良かったのか?」

 先日、鬼塚には一蹴されてしまった疑問に、こいつなら答えてくれそうな気がした。

「あぁ……、れい……綾小路から聞いた?」

 伊集院は何かを察した風な顔をして、上半身だけ起き上がらせた。

「俺たちは幼馴染で、小さい頃は、三人でよく遊んでいたよ──アレが起きるまではね」

「あれ?」

「…………」

 俺が突っ込むと、伊集院は口を閉ざしてしまった。よっぽど思い出したくないことがあるのだろうか──鬼塚が、話題自体に触れられたがらなかったように。

 回答を待つ俺に、しばしの沈黙のあと、伊集院は負けたように口を開いた。

「……鬼塚が、俺を裏切ったんだ」

 ……裏切った?

 約束を破った、とかではない。幼少期の少年の言葉選びにしては、あまりにもインパクトの強いワードだ。

 しかし、俺はなまじそれを信じられなかった。鬼塚が優しいことを知っているからだ──雨の中、猫を拾い、俺に自身のブレザーを掛けるほどの気遣いができるあいつが、裏切りなんて言われるような悪行をするとは、どうしても思えないのだ。

「……ずっと友達だって、親友だって思ってた──それをきっかけに、綾小路も、みんな、バラバラになって……」

 伊集院の拳が、シーツに深いシワを作る──それほどまでに、鬼塚が憎いのか……?

 頑張り屋で真面目な伊集院が、嘘をついているようには見えない。

「で、でも、今も同じ学校に通ってるんだから、また仲良くなるチャンスはあるんじゃないのか? 伊集院は、また仲良しだった頃に戻りたくはねぇのかよ?」

 鬼塚をフォローするわけではないが、俺は取り繕うように言った。

 バラバラのままだから、少女漫画では、拗れた関係性の潤滑剤兼癒しとなる存在のヒロインこと俺が、二人の間で取り争われる事になるのだ。

 二人が、いや綾小路を含めた三人が、また仲良くなれば、少女漫画のストーリー自体を破綻させ、俺への好意の矢印が明後日の方向に向くかもしれない──何なら、もはや俺の入る隙間などなくなるかもしれない。

「戻りたい、か……」

 俺の希望的観測とは反対に、伊集院は遠い目をした。

「戻れるものなら、ね……。でも、無理だよ。俺たちはもう、元には戻れないんだよ……」

 段々と俯いてしまう伊集院──その姿には、初対面、鬼塚の前で自信満々だった面影はどこにもない。

 目の前の伊集院は、ただのうじうじめそめそしているだけの、弱虫な男の子だった。

「伊集院……」

 おそらく、少女漫画のヒロインなら、俺が本物の女の子だったなら──ここで優しく抱きしめたり、慰めたりするんだろう。そして、恋愛フラグが確立するんだろう。

 だが、俺は男なので──伊集院の様子に、酷く苛立った。

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、伊集院を睨みつける。前触れもなく立ち上がった俺に、伊集院が不思議そうに顔を上げた。

「……? どうし──」

 パァン!

 伊集院のきめ細やかな肌、その頬に、平手打ちをかました。

 不意打ちの出来事に、伊集院は呆然として、ビンタされた頬を手で押さえた──俺は仁王立ちになって、腰に手を当てる。

「イラつくんだよ、いつまでもできないできないって、めそめそしやがって」

「え……」

 急になにを言われたのか、理解が追いつかない状況の伊集院を置いて、俺は怒鳴りつける。

「願望はあるのに行動もしないで、諦めてんじゃねぇぞ!!」

「…………!」

 伊集院は切長の目を、縦に見開く。

 言い切ってから、俺は我に返った──感情に任せて人をぶっ叩いてしまった。しかも説教までかまして……。

 伊集院が元気になったのち、ボコられたとて文句は言えない。それだけのことをやってのけた。

「た、叩いたのは悪かった……! じゃ、そういうことだから……!」

 いったいどういうことなのか。自分でも何を言っているのかわからない。

「あ、おい……!」

 軽く謝罪だけして、俺は光の速さで保健室から退散した。伊集院は何か言いたげにしていたが、耳を貸したところで、ろくなことにならないだろう。何より、これ以上伊集院と、引っ叩いた相手と同じ空間にいたくなかった。

 改めて思い返せば、叩く必要はどこにもなかった──ま、まぁでも、男を引っ叩く少女漫画のヒロインなんてどこにもいないだろ……!

 それに、叩いてきたやつのことを好きになんてなるわけないしな……! 良く言えば、恋愛フラグをへし折ったと言えよう。

 ……うん、結果オーライだ!

 俺は開き直って教室を目指す。昼休みはもう終わりそうだ。微熱を口実にして、今日はもう早退することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る