16 親にも叩かれたことないのに

 真っ白なベッドの上で、伊集院は叩かれた頬をそっと撫でた。もう痛みはない。そもそも、そんなに痛くなかった。

 伊集院の親は、息子に対して厳しかった──特に父は。

 思い出される父の姿は、電子媒体でニュースを読んでいる背中ばかりだ。

 小学生時代、伊集院はテストの点数を父親に自慢しに行ったことがあった。

『お父さん! 苦手だった理科が八十点取れたよ!』

『……八十点? 百点以外は報告してこなくていいぞ』

『……はい』

 見向きもされなかった。テスト用紙は握りしめたせいで、ぐちゃぐちゃになった。

 幼い伊集院は幼いなりに頑張った。睡眠時間を削ってまで──その結果、熱を出したときもあった。

『……大丈夫? おかゆ食べれる?』

『……ありがとう、お母さん。……お父さんは?』

『……お父さんは、お部屋でお仕事しているわ』

 看病してくれたのは母で、父は様子を見に来ることすらなかった。そんな母も病弱で、中学生のときにこの世を去った。

 弱音を吐くことも、体調不良も許されない──伊集院はそう思った。

 高校三年生になった現在、生徒会長を務めつつも、成績も維持。塾にも休まず通っている。

 しかし、これから、さらに難易度が高まっていく──通常時の学校の成績に加え、受験勉強の日々が始まるのだ。

 学校の勉強に加え、志望大学の過去問を解く時間も確保しなければならない──だが、それを言い訳に、生徒会の仕事を疎かにはできない。

 潰れそうだった──でも、そうでもしなきゃ、親は自分のことなど見てくれない。

 体調不良だとか、頑張りすぎているだとか、マイナス面に関しては一貫して無視を貫かれてしまう。自分はいないかのように、扱われてしまう。

 女々しい自分、弱々しい自分を見てくれる人はもういない。

 ──母以外で、初めてだった。

 体調不良の自分を、おぶってまで心配してくれた人は。

 自分を引っ叩いてまで、怒ってきた人は。

 感情を昂らせてまで、うじうじしている自分に向き合ってくれた人は。

「親は厳しかったけど……、暴力だけは絶対に振るわなかったのに……」

 伊集院の表情は、どこかうっとりとしていた。

「俺を叩いたのは──お前が初めてだよ、早乙女」

 頬を叩かれたことを、伊集院は怒っていなかった──どころか、感謝していた。

 自分に喝を入れてくれた、そう捉えたのだ。

 弱虫な自分、嫌いだった自分──誰にも見てもらえない自分。

 伊集院の中で、親にすら見向きもされてこなかった本音を、認めてもらえた気分だった。

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