12 君、変わってるね
体がだるい……。
鬼塚の家に二匹の猫を無事に送り届けた翌日、控えめに言っても熱っぽかった。いや、熱があるわけではないんだけど、否定できない倦怠感が全身を覆っていた。
長時間雨に打たれ続けたツケが回ってきた。
午前授業はなんとか乗り切ったが、昼休みになった途端に、ドッと疲れが襲ってきた。
「早乙女さん……? 大丈夫ですの?」
綾小路が、お弁当片手に俺の席まで来ていた。どうやら、また女子たちの輪に誘おうとしてくれたみたいだ。
二度も断るのは気が引けたが、今の体力で数人と談笑する余裕はない。
「ごめん、ちょっと体調悪いから、一人で食べるよ」
「え、体調が……? 保健室、一緒に行きましょうか?」
「そんな大袈裟なものじゃないって」
心配そうに俺を見つめる綾小路に手を振って、俺は教室から出た。
人気のないところでゆっくり弁当を食べて、あわよくばそのまま昼休みいっぱい寝て過ごしたい。そんな絶好のスポットはないだろうか。
真っ先に閃いたのは裏庭だったが──鬼塚がいるかもしれない。俺が体調を崩していることを知れば、優しいあいつのことだから無駄に罪悪感を抱くだろう。昨日の今日で、この具合の悪さを知られるわけにはいかない。
俺は階段を登ることにした。階段を一段上がるごとに、首に下げた鬼塚からもらったネックレスがチャラ、と音を鳴らす。
目指すは、屋上。
「……さぶっ」
屋上は開放されていた。
春、とはいえ、屋上に吹き抜ける風は予想以上に冷たかった。ブレザーと違って上着のないセーラー服を、容赦無く冷風が打ちつける──逆にいえば、あまりにも寒いので人はいなかった。
俺は屋上に足を踏み出し、少しでも日当たりのいい場所を目指す。給水塔の裏が、絶妙に日が当たっていて、かろうじてこの寒さを和らげてくれそう──
「あ」
先客がいた。
あぐらをかいた足の上に弁当を乗せて、器用にうたた寝をしている──隣の席の、亜矢瀬湊がそこにいた。
……別の場所を探すか。
給水塔の裏は諦めて、亜矢瀬に背を向けようとしたとき──視界の端に、ひっくり返りそうな亜矢瀬の弁当が映った。
「……あっぶね!」
俺は慌てて亜矢瀬の膝から弁当を奪い取る。間一髪。弁当はコンクリートの地面にひっくり返ることを免れた。
「……んにゃっ!?」
俺に弁当を奪われた衝撃のせいか、亜矢瀬が目を覚ます。なんとも素っ頓狂な声をあげたかと思うと、熟睡しているところを叩き起こされた猫のように、頭を左右にぶんぶんと振った。
「……ん? 早乙女、さん? ……と、僕のお弁当……? はっ、まさか……!」
亜矢瀬は俺と俺の手の中にある自分の弁当を交互に見比べて、名探偵の名推理が始まる風の表情になった。
「早乙女さん、僕のお弁当が食べたくて盗ったんでしょ……!」
「違うわ!」
迷探偵の迷推理だった。
「そんなことしなくても、言ってくれれば、おかずの一つくらいあげるのに」
「そんな食い意地張ってねぇよ……」
「それとも、お菓子のほうがよかった?」
そう言って、亜矢瀬はどこからかスナック菓子の袋を取り出した。亜矢瀬の横を見ると、大量のお菓子が積まれていた。
「お前それ、自分で買い込んだのか? 細い体してんのによく食うな」
「違うよ。女子たちが勝手に置いていったんだよ」
「女子たちが!?」
こいつ、複数人の女子からお菓子の貢物をされているのか!? お地蔵さんのお供えでもそんな量は見たことねぇぞ!
勝手に置いていったという口ぶりからして、亜矢瀬が女子たちに頼んでいる様子はない──もしかして……女子ウケがいいタイプの男子か!
たまにいる。本人は特に女子に対して何も行動を起こしていないのに、なぜか女子の方から構われるタイプの男子が──そういうタイプはたいてい恋愛対象として扱われているわけではないことが多いけれど、その気になれば彼女くらい易々と作れるだろう。
羨ましい。
俺の中で亜矢瀬を敵認定してしまいそうになる。高校三年間、女子と話したことこそあれど、結局友達止まりで、モテ期と遭遇できなかった俺からすれば、大量のお菓子を貢がれているなんて随分なモテ期だ。
「亜矢瀬って、彼女いんの?」
「いないよ」
「じゃあ、つくんねぇの?」
「…………」
ちょっと不躾だったか……?
男同士ならなんてことない会話だが、今の俺は女子高生──亜矢瀬から見るとクラスの女子だ。クラスの女子から、彼女作んないの? と唐突に聞かれたら、多少は嫌な気持ちもするかもしれない、と言ってから思った。俺だったら、ちょっと戸惑う。
「わ、悪い……」
「恋愛とか、あんまりしたくないんだよね」
俺の謝罪に被せて、亜矢瀬が答えた。
恋愛をしたくない……だと……?
鬼塚と伊集院の三角関係から逃げ惑っている俺にとって、恋愛をしたくないと宣言する男子の存在は、神のように思えた。
「……奇遇だな、俺もだ」
──だから、少しだけ、亜矢瀬と喋ってみたくなった。
俺は亜矢瀬の許可も取らずに、隣に座り込む。弁当を開けると、相変わらず可愛らしいカラフルな中身が顔を出す。俺としては肉だらけの茶色い弁当が好きだけどな。
とはいえ、わざわざ毎日弁当を作ってくれているお母さんにそんな文句を言うわけにはいかないので、俺は大人しくピンクの箸を手に取って、ヘタの取られているプチトマトを口に放り込んだ。
隣を陣取って食事を始めた俺を、亜矢瀬はまじまじと見つめていた。
「……へぇ。女の子は総じて、恋愛が好きな生き物だと思っていたよ」
「俺もそう思ってるよ」
今のピンクヘアーの俺なんて、見た目からして恋愛が好きそうだろう──いや、それは偏見か。女子たちが集まってファッション雑誌の占いを読んで、イケメンの先輩にキャーキャー言っているのが、俺にはわからないが、楽しそうだなと前世でも感じていた。
「そういう君も女子じゃないか」
今度は弁当箱をしっかり支えて、亜矢瀬も箸を動かし始めた。
どうして恋愛がしたくないのか──そんな問いはお互いに投げかけなかった。高校生は恋愛するのが当たり前、という前提のもと成り立つ質問は、なんだかとても失礼な気がしたのだ。
「亜矢瀬はいつもここで飯食ってるのか?」
「決まってないよ。僕はただ昼寝がしたいだけだから、その日によって食後に寝やすそうな場所で寝てるだけ──オススメの昼寝スポットを教えてあげようか?」
「……いや、遠慮しとくよ」
「そう? 人目につかない場所って、内緒話をしやすいみたいでね──人の噂話とかよく耳に入ってくるよ?」
女子ってそういうの好きでしょ? と亜矢瀬が首を傾げた。
俺もだけど、亜矢瀬もたいがい女子という生き物に対して偏見がすごいな。自分の前世が男だからか、『女子』でひとまとめにされるのはあまりいい気がしない。
「噂とか、別に興味ねぇし」
「ふーん……」
亜矢瀬は納得いったような、いってないような、微妙な相槌を打った。
「やっぱり、早乙女さんって変わってるよね」
そりゃあ、中身はお前と同じ男だからな──なんて説明するわけにもいかないので。
「自分の想像する女子ってカテゴリーに当てはまんねぇからって、変わってる呼ばわりするのは、どうかと思うぜ」
ピンクのロングヘアー、大きな瞳、すらっとしたスタイル──女子のお手本のような外見から男らしい性格を想像するのは困難だろうとは思うが。
そのギャップを変わってると感じるか、個性と感じるかは人それぞれだ。
亜矢瀬は俺の言葉に眠そうな半目を見開いて、
「……そう、だね。ごめん」
と、頭を下げた。
「あ、いや、そんな強く言ったつもりじゃ……っくしゅ!」
くしゃみが出た。ぶるりと寒気が全身に走る。
そうだ、もともとどこかで昼寝するために人気のない場所を探していたんだった──その途中で亜矢瀬と出会い、すっかり頭から抜け落ちていた。
今からでも、亜矢瀬オススメ昼寝スポットを聞いておこうか。
「大丈夫? 風邪?」
「多分な。まぁでも、昼休みにちょっと寝てれば治る──」
コツン。
亜矢瀬の顔が至近距離にあった。
亜矢瀬が、自身のおでこを、俺のそこにひっつけていた。
……亜矢瀬って、まつげフッサフサだな……。
ぼーっとする頭でそんな感想を抱いていると、亜矢瀬の顔はふいっと遠くなった。
「……うん、熱っぽいよ。ちゃんと保健室行ったほうがいい」
「そう、か……」
「君のお弁当も僕が教室に持っていっておくから、今からでも保健室に行ってきなよ」
「わ、悪い……」
亜矢瀬は俺の弁当を取り上げた。早く行けというジェスチャーに甘えて、俺は保健室を目指した。
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