10 お前実は良いやつじゃね……?

「ゲホッ! ゲホッ!」

 黒猫を抱えて、なんとか岸に辿り着いた俺を鬼塚が迎えた。黒猫は女子高生である俺の片手にもすっぽり収まるくらいのミニサイズ。疲れ果てているが、息はまだしている。黒猫を鬼塚に渡してから、俺は濁流から岸によじ登った。

 鬼塚の横には、俺が川に飛び込むために脱ぎ捨てたセーラー服。

 持ってきてくれたのか。

 俺自身は男だからパンツ姿でもなんとも思わないが、さすがに女子高生の下着姿はまずい。鬼塚が黒猫の介抱をしてくれている間に、俺はいそいそとセーラー服を着た。

「お前、見た目によらず、無茶するな……」

 鬼塚が呆れたようにつぶやく。

 ……おとなしそうな見た目だろうか?

 言われて、俺は己の造形を見つめ直した──ピンク色のロングヘアー、自分でも言うのもあれだが、痩せていてくびれもあって、胸もそこそこ。女子界隈におけるスタイルの基準はわからないものの、童貞の俺から言わせてもらえば、高校一年生でこの育ち具合は、なかなかのナイスバディと言える。

「俺がもっとスレンダーだったら驚かなかったか?」

「そういう意味じゃねぇよ──そもそも女子が雨の中、川に飛び込むな」

「そいつが助かったんだから、なんだっていいだろ」

「……男らしいな」

 もう一度、鬼塚がブレザーを投げかけてくる。びしょびしょのセーラー服を身に纏ったところでなんの意味もなしておらず、下着が透けていた──分厚い生地の男子用のブレザーはそれを覆い隠してくれる。

 鬼塚の足元には、先ほど地面に降ろした三毛猫がいつの間にか、擦り寄っている。鬼塚は二匹を易々と片手に収めて、慈しむように頬を寄せた──その鬼塚は、いつもと何かが違うと感じた。違和感。彼を構成する要素の、何かが足りない。

 あ。

「あれ、鬼塚、首の……どうした?」

「あん?」

 俺が自身の首元を指差すジェスチャーを見て、鬼塚も猫を持っていないほうの手で己の首筋を触る──ネックレスがないことに気づいた彼は、目を見開いた。

「……ない!?」

「走っているときに外れちまったのかな。この前の喧嘩でぶち切られてたし、修理しても、チェーンが脆くなってたのかも」

 どこで無くなったのか大方の予想をして、俺たちは川に沿って来た道を戻る。俺は草むらに膝をつき、手探りでネックレス探しを始めた。

「……どうせこの視界じゃ、見つからねぇよ」

 猫を二匹も抱いているせいで手が塞がっている鬼塚に代わり、四つん這いでネックレスを捜索する俺にストップがかかった──言い分はもっともだ。曇天に強めの雨。捜索範囲は草むら全体。見つかったとしても、どれくらい時間がかかるか想像もつかない。

 しかし、俺は鬼塚の制止を無視する──ネックレス探しを止めようとしない俺に、鬼塚はもう一度呼びかけた。

「おい、だから、探さなくていいって」

「大事なもんなんだろ?」

「……っ」

 やっぱり。

 不良に絡まれたとき、ネックレスを触られて激昂していたのは記憶に新しい。他人に触れられたくないくらい大切なものなのに、どうしてそんなに簡単に諦めようとするんだ。

「……親からもらった、初めてのプレゼントなんだよ」

 雨音に消されそうなくらいの声で、鬼塚は喋り始めた。俺は何も答えない。背中でその話を受け止める。

「……まだ、家族全員の仲が良かった頃に、もらったんだ。似合うだろうって、母さんから」

 まるで遺品みたいな語り口。鬼塚の両親が亡くなったわけではないが、親が離婚寸前の彼からすると、仲良しだった鬼塚家というのは、死んだも同然なのかもしれない。

 絵本に出てくるような、クリスマスプレゼントに絵本をもらうような、そんな一般的な家庭──鬼塚とっては、絵本の中だけの世界になってしまったのだろう。

 かつて鬼塚家も暖かい家族だったことを示す唯一の証拠が、あのネックレスなんだ。

『鬼塚くん……、昔は喧嘩するようなかたじゃなかったのに……』

 ふと、綾小路の言葉が蘇った。

 親の不仲で家庭が崩壊し、鬼塚がグレて不良の道に走った──あまりにも容易に想像がつく。そりゃあグレるだろうと、青春をバレーボールに捧げた健全な俺ですら同情してしまう。

 ……ん? もしかして、それが原因で伊集院との仲が悪くなったんじゃないか?

 鬼塚から見れば、険悪な関係になった両親こそ最大の原因ではあるが、伊集院から見ると、突然仲が良かった鬼塚がグレ始めたように映るんじゃなかろうか。

「なぁ、鬼塚と伊集院って、昔は仲良しだったんだろ? どうして──」

「お前には関係ない」

 ピシャリ。

 さっきまでネックレスの思い出を話してくれた鬼塚とはまるで別人。絶対に誰にも踏み入らせないとばかりに、門前払いされてしまった──それほどまでに、重大な事件があったのだろうか。この二人の間に。

 それとも、鬼塚自身に。

 伊集院には知られたくない、何かが。

「にゃあ!」

 猫が鳴いた。さっき助けたばかりの黒猫のほうだ──猫のほうに目をやると、猫はまた別の方向を凝視していた。流されている黒猫を発見した、三毛猫のように。

 視線の先を辿る。雨が降る暗い視界の中で、きらりと銀色が輝いた気がした。

「あった!」

 雑草をかき分けて、チェーンが壊れてしまった十字架のネックレスを拾い上げる。びしょ濡れではあるが、大した汚れもなく、いたって綺麗な状態だった。

「良かったな、鬼塚!」

 俺は笑顔でそれを差し出す──しかし、鬼塚は受け取ろうとはせず、ゆっくりと首を左右に振った。

「……それは、お前が持っていてくれ」

「え?」

 鬼塚がかすかに笑みを浮かべて放ったのは、意外な言葉だった──まさか、俺にくれると言うのか?

「でも、大事なもんなんだろ? 親御さんからもらった……」

「いいから。お前に持っていて欲しいんだ」

 俺に拒否権があるように思えなかった。怒鳴るわけでも脅すわけでもない静かな口調で、有無を言わさぬ強引さをはらんだ言葉に、俺はイエスと答えるほかなかった。

「……わかった」

 チェーンが千切れているため、今すぐ首にかけることはできない──俺はそれをスカートのポケットに入れた。帰ったら、なんとか修理してネックレスとして使おう。

 そうして俺たちは、ようやく帰路につくことができたのだった。



 後から聞いた話だが、猫は二匹とも無事に貰い手がついたらしい──なんでも、鬼塚の知り合いに神父さんがいて、教会に来る人たちにあたってくれたんだとか。

 不良に神父の知り合いって……。

 不釣り合いな組み合わせに、鬼塚の顔の広さを実感した。

 ちなみに、猫を鬼塚の家に連れて帰ったあとのことだが。

 風呂も貸してくれたし、下着も乾かしてくれたし、なんなら鬼塚の服も貸してくれた──あいつ、不良のくせに結構面倒見がいいタイプなんじゃないか?

 依然、伊集院と鬼塚の過去は謎のまま。鬼塚の態度からして、過去に何かあったのは間違いない──今度は伊集院側の話を聞いてみないと。

 散々な目に遭ったが、鬼塚の別の側面を知った一日だった。

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