第41話・窓

 国境くにざかいの長いループトンネルを抜けると雪国ということはなく、どこまでも広がる荒野であった。朝日は底から高くに昇って、もう昼だった。信号所はおろか信号機もなく、貨物列車を停めるものは俺の注意力だけだ。

 隣の席では矢に撃ち抜かれた側窓から吹き込む風に、祈祷師様の髪がなびいていた。祈祷師様は窓外を見てハッとして、近くの俺に

「サガ! ヴァルツース兵です!」


 うなだれて乾いた土をゆっくり踏む男たちは、首をすくめて恨めしそうに双頭の赤龍を見つめていた。

 もう追い抜いたのかと俺が彼らにチラリと目をやると、彼らは散らばっていた木っ端を積み上げ火を起こし、鉄兜をひっくり返して水筒から水を注いで『賢者の石』をつまんで掲げた。カレーを作って呑むらしい。


「サガ、ハチクマ殿が分け与えた『賢者の石』が役に立っているようですね」

「彼らにとっては、長い旅ですからね。俺たちもそろそろ昼飯にしましょうか」

「ならば、彼らにも慈悲を。ともにジャガイモを食べましょう」


 俺はブレーキを込め、衝動なく停止させる手配をとった。そしてふと、嫌な予感がよぎって悪寒が走る。

「ところで、騎士団長の様子はどうでしょうね? 見切りをつけて置き去りにしたとはいえ、仲間が捕らえられていれば、彼らも黙っていませんよ」

「そうですね。ヴァルツースの情報を聞き出せていれば良いのですが……」


 噂をすれば騎士団長は、捕えたヴァルツース兵を連れてきた。

「祈祷師様、此奴こやつなかなか口を割らんのです」

「あうぬぬぬぐふぬぬうふぬぬぬぬ……」

「騎士団長、猿ぐつわを外しなさい」

「おお、そうだった」

 こんな奴を信じた俺がバカだった。


 猿ぐつわを外した途端、ヴァルツース兵は息をプハッと吐いてから俺たちに罵声を浴びせた。俺と祈祷師様は悪くない、全部騎士団長のせいだ。

「救済とか綺麗ごとを言いやがって、何て仕打ちだ! これがラトゥルスの本性か!?」

「そうではありません! 騎士団長、丁重に扱うよう言ったはずです!!」


 遠目長めのブレーキを掛けている俺の背後で、祈祷師様が激怒している。もうこれで騎士団長の祈祷師様ポイントはマイナスだ。

 ざまあみろ、と言いたいところだがラトゥルスにとって、ちょっとしたピンチじゃないか。この状態で敗走する一団に見つかれば、恨みを買って救済どころじゃなくなってしまう。

 停止出来ないじゃん、昼飯は抜きか……。


「おい、テレーゼア! 貴様なんぞに情報は売らねぇ! 清楚可憐なんて、俺にはちっとも興味が湧かねぇ! ゼルビアス様のほうが、色っぽくて艶っぽくて魅力的なんだよ!」

 こいつは女の色香に惑わされてヴァルツースについたらしい。男ってバカだなぁ、俺も含めて。


「分が悪い状況です、停まらずに行きますか?」

「いいえ、停まってください。彼に話してくれるよう、私が説得します」

 祈祷師様の言葉には、ラトゥルスのリーダーとしての責任が込められていた。おかしい、騎士団長も軍のリーダーのはずなのに、責任感は微塵も感じない。


 しかしヴァルツース兵を、祈祷師様はどう説得するのだろうか。そう思った矢先のことだ。

「騎士団長、サガの隣へ」

「祈祷師様に万が一のことがあっては……」

「私のことなど、構いません。私を決して見ないように」


 運転士である俺には、前方注視の義務がある。だから俺も祈祷師様には目を向けられない。一体何をはじめようと言うのだろうか。


 そのとき、シュルリと絹が鳴った。祈祷師様がローブを脱いだと思われる。真実を確かめようと前面ガラスを覗いてみたが、砂塵舞う荒野を映してしているだけだ。

 畜生、さっきまでは映っていたのに。 


「……これで如何です」

「おほぉ……」


 ヴァルツース兵の嘆息が、俺の胸をざわめかせている。祈祷師様、何をしているんだ。


「ならば、こうしてみては」

「ほおおおおおおおおおお」


 運転台に間抜けな咆哮が響き渡った。ああああ列車を一刻も早く停めて振り返りたい。


「これで、どうです?」

「ほあああああああああああああああ」


 貨物列車は停止直前だ。俺と騎士団長は興味に輝く瞳を交わす。


「さぁ、話す気になりましたか?」

「言います! 言います! テレーゼア様にこの身を捧げます!」


 ついに停止! 俺たちは身体をねじり、祈祷師様に視線を浴びせた。


 そして、呆気にとられて絶句した。


 恥じらいうつむき目を伏せている祈祷師様は、行き場がなさそうに自らの肩を抱いていた。

 ヴァルツース兵は間抜けな顔で上気して、全身から花を散らすようにとろけている。

 その頬には、祈祷師様の靴跡が残されていた。


 踏んだな。


「……見ないでと申したではありませんか……」

「「すみません……つい」」


 俺と騎士団長は前を向いて、砂塵が舞う荒野をじっと見つめた。ヴァルツースの情報や、昼飯のことも、風がすべてを飲み込んで澄み渡る青空が溶かしていった。


 騎士団長と、前面ガラスを通して目が合った。そして俺たちは、空虚な視線を無言の言葉に変えて交わした。


 男って、バカだなぁ……。俺たち含めて。

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