第38話・賢者の石

 ハチクマは満足そうに笑っていやがった。俺の目つきに渇望を悟ったらしい。しかし、すぐには鍋の蓋を開けないのだ。


「どのような薬を持っているのか、私は薬師殿に尋ねた。すると……何ということだ。この香りに覚えがあるではないか」

「俺もよく知っているよ。もったいぶらないで、早く蓋を開けてくれ」


 異世界転移して祈祷師様やラトゥルス軍、加勢した兵士と旅をして、すっかり異世界の運転士になろう系の俺に、お前は異世界人なのだと蠱惑的に囁く香り。

 知っている、よく知っている。幼い頃から慣れ親しみ、大人になった今となっても鼻から胃袋を掴まれる。


 ハチクマは不敵な笑みを浮かべると、パンドラの鍋をゆっくりと開いた。


 鍋が黄金色に輝いている、頬が緩んでとろけてしまう、溢れるほどの優しい刺激が部屋いっぱいに広がっていく。


「そう、カレーです。ジャガイモたっぷりの」

「米をくれ!!」


 どうして米を炊いていないんだ。どうしてコンテナに米を積んでいないんだ。北海道米があるだろうに。今、俺は荷主を心底恨んでいる。


 カレーに取り憑かれ、餓狼と化した俺は爺さまたちに掴みかかった。

「ここに米はないのか! うどんは!? 蕎麦は!? スパゲッティだってパンだっていい! この街で食べている穀物は何だ!?」

 これにはみんなドン引きである。だが、誰にも俺を止められない。そう思った矢先、ハチクマが聖職者のように手の平ひとつで俺を制した。


 ハチクマはスプーンにカレーを取って、爺さまの鼻先に突きつける。芳醇な刺激臭に誘惑されて爺さまの頬が緩んでいった。

「滋養強壮肉体疲労時の栄養補給にピッタリの、数多の薬を調合して作ったカレーソースである。この香りに敵うものはない。どうだ、食べたくはないか?」

 ハチクマが甘い脅迫をすると、爺さまが苦痛と渇望で顔を歪めた。

「くっ! ……何たる拷問じゃ!!」

 そうだろう、そうだろう。カレーの匂いに敵うものなどないのだ。

 すると薬師が含み笑いをし、追い討ちをかけるように黄金色の塊を取り出した。


 あれは! カレールー!

「これは『賢者の石』ではないか!!」

 爺さま、カレールーだっての。

「カレーのもとを固めたものだが『賢者の石』とは相応しい名をつける。この街から去るなら『賢者の石』の製法を土産に授けよう。居座るならば、お預けだ」

 何という交渉術だ、カレーと街の支配権を交換するなんて無茶にも程がある。


「わかった、フェルンマイトから手を引こう」


 いいんかい!!


 ならば、俺も便乗して条件を提示しよう。


「それで、この街で食べられている穀物は何だ。今すぐ出せ」

「この街では豆を主に食べておる。貯蔵庫は街の外れにある」

 豆かぁ……。茹でた豆にカレーをかける、無しではないが米がよかった。まぁ、この高地ならば仕方あるまい。


 頼まれもしないのに苦渋の決断をしていると、祈祷師様が割って入った。やっぱり米がいいですよね?

「ヴァルツース兵の撤退を元老院から命じてください」

 祈祷師様の言うとおりだ、外の戦いを止めるのが先だった。


 街を見渡すバルコニーから撤退を宣言させて、カレールーのレシピを爺さまに渡してからヴァルツース軍を武装解除。仕上げに爺さまたちとヴァルツース兵を漢のロマンが掘り抜いたループトンネルへ追いやった。もう帰って来れないぞ、あとでそこを貨物列車が通るのだから。


 しかし、凄いぞハチクマ。カレーだけでフェルンマイトに平和をもたらした、そんなバカな。


 勝利に湧く大通りを闊歩して、辿り着いたのは無味乾燥な石積みの倉庫。中には豆が詰まった袋が山積みになっている。

 これを茹でてカレーをかけて、頂くとしよう。


 するとまた、懐かしい香りが漂った。よく聞く日本の空港の匂いだ。

 もちろん、日本人であるハチクマも嗅ぎつけて倉庫の奥へと歩みを進めた。その後を俺も祈祷師様も、騎士団長もついていく。

 香りの元で騎士団長が顔をしかめて

「ハチクマよ、豆の塩漬けは腐っておる」

「いいや、腐っていない。これは味噌、下に溢れているのは醤油、どちらも有能な調味料だ」


 何てこった、またもや都合がよすぎるぞ。味噌と醤油を異世界で手に入れるなんて。コンテナのジャガイモと合わせれば豚汁、肉じゃが……夢が膨らむじゃないか、フフフフフ。


「これは戦利品として持ち帰ろう。薬師殿、味噌と醤油、カレールーを新たな特産品にするとよいだろう。しかし、まずはカレーを食べよう」

 有能なのはハチクマだ、食べ物のことに関しては天才的じゃないか。ヴァルツースが鉱石を買わなくなくなっても、フェルンマイトは味噌と醤油の街としてやっていける。

 そうだ、まずはカレーを食べよう。


「ヴァルツースに代わって鉱石を買いましょう。都市連合が集えば、ヴァルツースに匹敵するほどの収益になるでしょう」

 有能なのは祈祷師様もだ。結束はあらゆる力、軍事力のみならず経済力も発揮しなければ、ヴァルツースから解放した意味がない。各都市の特産品を公益させれば、生活も文化も豊かになる。

 だから、カレーを食べよう。


「ジャガイモをあげよう! 痩せた土地でもよく育つから、きっと喜んでくれるよ!」

 パンタはいい子だ、他の町と同じようにジャガイモをあげよう。豆しかなかったフェルンマイトに普及させれば、この街の食文化は豊かになる。何せ、味噌と醤油とカレールーがあるからな。

 ならば、カレーを食べよう。


「ところで、我ら連合軍に加わりヴァルツースへ攻め入るものは、おらぬだろうか?」

 騎士団長は無能だ! 余計なことを言うんじゃねえよ!!


 たまらず俺は、雄叫びを上げた。

「早く俺にカレーを食わせろ!」

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