第19話 願うのではなく
アレアミラはお見合いの話を断った。
アシュトンが独身を通すのなら自分も、とまでは言わないけれど。
不思議と背中合わせのまま、足を踏み出してアシュトンから離れようとは思えなかったのだ。
だからその三ヵ月後、アシュトンがアレアミラに会いに来た事には大いに驚かされた。
「間に合った!?」
「何がですか?!」
「君はまだ結婚していない!?」
「っ、して……いません」
正確には破談になったのだが……何故アシュトンがここにとは、彼の後ろにしれっと立つセヴランを見て何となく察するところがあった。
……この五年でアシュトンにも獣族の伝手が出来たのだろう。じろっと睨みつければセヴランは肩を竦めて苦笑した。
その間にじわじわと距離を詰めてくるアシュトンにはたと振り返る。
「君の幸せを願うつもりでいたんだ」
その言葉に吸い込まれるように青灰色の瞳を振り仰いだ。
「でも……どうして君は会いに来てくれたんだろうとか。幸せで良かったって言った君の言葉を思い出す度に、苦しくて……
そしたら、俺も同じ事を思っていた事に気付いたんだ。
『好きな人の幸せを願っていた』
アレアミラ……君は以前俺と君の言葉は同じものでも意味が違うと言っていたのは、それは……それこそ俺と同じ気持ちだって事なんじゃないだろうか?」
「そ、れは……」
(同じ、違うけど同じ……)
好きだから、友の幸せを願った。
好きだから、身を引いてでも相手の幸せを願おうとした。
(好きだから……)
零れそうになる涙を堪えれば、代わりに言葉が滑り落ちた。
「うん……私、好きな人の……アシュトンの幸せを願ってる。でも……やっぱり辛い……」
自分の顔が歪むのが恥ずかしくて両手を覆えば、アシュトンがその肩に手を置いた。
「私も、好きな相手が幸せならと思っても。……本当は自分が幸せにしたい」
アレアミラはこくこくと頭を振った。
「隣にいたい」
「うん、同じだ」
「本当に?」
「うん」
ふわりと身体が温もりに包まれる。
その温かさに嬉しくてしがみつけば、同じように背中に回った手に力が込められた。
自分に与えられる温もりと、求められる心。
それはずっとアレアミラが欲しかったものだった。
アシュトンが特別だなんて、もうずっと前から分かっていた……
◇
抱きしめた身体は思っていたより小さくて。
あれから経った五年の月日を思わせた。
アシュトンはアレアミラの住む国に籍を取り、入籍した。
けれど共に住むのはシリルが爵位を継いでからと決めていた。
会えない時間が大半を占める中で、それでもお互いの存在を生き甲斐に過ごしていた。
一年に一度、二年に一度と、少ない時間から捻出し、妻の元に訪れ、やがてシリルに小さな妹が出来たのは、兄の子が成人し、アシュトンが王位継承権を放棄した後──二人が出会ってから、実に十五年の年月が経っていた。
◇
「おとーたま」
全く構えていなかった娘は、けれどアレアミラが用意してくれた沢山の姿絵のお陰でか、自分を父親だと呼んでくれていた。
自分と同じ青灰色の瞳にアレアミラの艶やかな赤毛の、とても可愛らしい女の子。
セヴランが出産祝いに立ち寄った時、アシュトンは自分の感極まった顔を揶揄うように笑われて、ムッと顔を顰めた。
そもそもいつまでもアレアミラの近くにいるセヴランを些か警戒してもいた。
『ありえませんよ』
けれどそれを察したセヴランに呆れたように笑われて。胡散臭い目を向ければ、セヴランは観念したように答えた。
『俺は今年百六十歳になるんですよ。ザレンよりずっと年上です』
『はっ?』
思わぬ告白にアシュトンは目を丸くした。
『俺の妻は八十年前に亡くなっています。子供たちももういません。子孫はいるでしょうが……まあ、家族と呼べる者はもういないんですよ』
その言葉に思い浮かべるのは禁書の内容。
『亜種……』
『そういうらしいですね……壮年期が長いので若く見えるらしいですが、アレアミラもカレンティナも俺には幼児にしか見えません。ただ……』
少しだけ目元を和ませてセヴランは続けた。
『お人好しなところが少しだけ……妻に似ていたんですよね……ミランダに……』
──ミラ
そういえばいつか、アレアミラをそう呼んでいたのを聞いた気がする……
つい手を貸してしまったのはそんな理由だったと言うように。昔を懐かしむ眼差しをアレアミラに向け、セヴランは肩を竦めた。
『でも、もうこれからは。夫ができて頼るべき相手がいるのですから、俺はもう余計な世話は焼きません。殿下、お幸せに』
『……ありがとう』
君も達者でやってくれとは口に出来ない。
確か亜種で記録されている長寿の寿命は三百年と書かれていた。実際はそれより短いのか、長いのかもよく分からない。いずれにしても、長い時間……
族長がセヴランにカレンティナの事を頼んだのも、きっと色に負けない確信があったからなのだろう。
そして恐らくアレアミラに肩入れする事まで見越していて、カーフィ国の同行を依頼したのでは無いだろうか。とは……全て想像の域を出ないけれど。
「アシュトン」
柔らかな妻の声に振り返る。
いつの間にか抱き上げられていた娘の視界は高くなり、アシュトンに向かって両手を伸ばす。
国を出ても暫くは領地に引きこもっていると周知させる予定だ。
直に兄の子が立太子し、国内はまた慌ただしくなっていく。
彼がどんな王になるか、決めるのはアシュトンではない。
自分の思うように執政を執りたいというなら、レイジェラ公爵と何も変わらない。そう悟ってから自分に何が出来るのか分からなく、これほど自分をちっぽけな存在だと思った事も無かった。
『父上の退職金は持参金になさって下さい』
そう言い出した息子に思わず顔を引き攣らせた。
『……娘の嫁入りみたいな扱いをするな』
そもそも多額な資産を持ち出すには申請がいる。
アレアミラの迷惑にならない程度に持ち込むつもりはあるが、それは額が大きすぎる。何より家に残す資産にした方がシリルの役に立つのだから。
『確かに父上に頼れるのは有り難いですがね。それとこれとは話が別ですよ。そもそもこれは今迄貴族の暮らししかしてこなかった父上が、当面母上に掛ける迷惑料なのですから。父上の言い分は聞く耳持ちません』
言い方。
変に上からの物言いは照れ隠しなのだとは、とうに知っているけれど。
『しかしな』
『……私だって父上の幸せを願っているのです。こんな事くらいしか便宜を図れないのは心苦しいですが……あって邪魔なものではないでしょう。……やり方くらいいくらでもあります。ちゃんと正当な手続きで処理しますから』
『シリル……』
ほんのりと目元を染めてそっぽを向く息子の肩を抱く。
『誤解して欲しくないが、私はお前たちと共にいた時間も充分幸せだった』
『……分かっています。とても大事にして頂きましたから。……それでもずっと、母上に会いたかったのでしょう?』
『それは……』
『今ある幸せを理由に、本懐を諦める必要なんてないのです。父上……素直になって下さいよ』
『お前は、本当に……』
アシュトンはシリルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
国内の内政よりも、何よりも。この息子の成長こそ、自分の集大成なのだと、アシュトンはカーフィ国の全てに区切りをつけた。
自分に出来る事、それはもう出来る限りやってきた。
たった二十年の奉仕で何をと言う輩もいるだろう。
でも……
「おとーたま、おにーたまには、いつあえますか?」
舌ったらずな声でにっこりと笑う娘の頭をそっと撫でる。
「直に会いにきてくれるわ、ルーア」
アレアミラが優しい笑みでルーアの頬に触れた。
「おにんぎょうの、おれいをいいたいな」
そう言ってルーアはフカフカのうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きなおす。……シリルは妹に気に入られたいらしい。
「そうね」
(幸せで堪らない)
アシュトンには人並みの幸せから遠ざかり、滅私奉公に勤める時間はこれが限界だった。
(私に出来たのは、せいぜい為政者の真似事だった)
だからもう自分で自分を許す事にした。
受け入れてくれる妻の手に縋る事にした。
幸せを願ってくれる家族の言葉に、甘える自分を許した。
妻から小さな身体を貰い受け、ぎゅっと抱きしめる。
キャッキャと高い声で笑う娘と、嬉しそうに微笑む最愛の人に、アシュトンはやっと手に入れた幸せに目を細めた。
※
これにて完結ですε-(´∀`; )
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
【メモ】登場人物の年齢とか
アレアミラ 十六歳
アシュトン 十六歳
カレンティナ 十八歳
テリオット 十八歳
・アシュトン十八歳の時にシリルを引き取る
・アシュトン二十一歳、シリル三歳、アレアミラがアシュトンに会いに行く
・アシュトン二十二歳、シリル四歳の時に実父ではないと告げる
・アシュトン二十四歳、シリル六歳の時アレアミラの事を話す
・アシュトン三十歳、シリル十二歳、アレアミラと外国で結婚する(その間遠距離恋愛)
・アシュトン三十四歳、シリル十五歳、テリオットの子十三歳、アレアミラ出産
・成人は十二歳
テリオットの子が成人したタイミングでアシュトンは王位継承権を放棄
……計算合ってるかな。間違えてたらごめんなさい。
【完結】婚約破棄された悪役令嬢は、元婚約者と略奪聖女をお似合いだと応援する事にした 藍生蕗 @aoiro_sola
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