第18話 歩き出す為に
一人で暮らすのが意外と性分に合っていて、アレアミラは驚いた。家事は一通り出来るし、意外な事に対人関係にもそれ程問題が無い。
むしろ今まで振り回されていた姉がいない事や、自身の秘密に怯えず過ごせる環境はアレアミラの心を軽くし、以前より明るい気持ちで過ごす事が出来た。
月日が飛ぶように過ぎていく。
混乱を避ける為に集落への連絡はしなかった。
姉が側妃になって喜んでいると聞いて、薄情かもしれないけれど両親への連絡もやめた。
もう自分は必要がないだろうと思えば寂しさよりも不思議と解放感の方が大きくて……
人族と獣族が共に暮らす国で、アレアミラはやっと大きく息を吸う事が出来たのだ。
それと同時に前王が望んだ治世を思い、アシュトンを思い出した。
(アシュトンは元気かしら……)
カーフィ国の話は人伝に聞く事が出来た。
前王崩御の後、テリオットがその後を継いだ事。
獣族の側妃を迎え、両種族の融和に前向きである事。
側妃を模した像を建造し、獣族への呼びかけを図ったという事。
ただその頃、族長ザレンも過労により死去していた。
ザレンは既に百二十歳と長寿であったのだ。その為、受け止める側の集落も混乱していただろう。
(族長が高齢なのは、事情があって集落では内緒だったのよね……)
知っている者は限られていた。
アレアミラはその特異性から、事情を打ち明けられていた者の一人だ。
そして彼に代わり集落を纏めていたのはその妻であり、夫の遺志に倣い集落を治めた。とはいえ慣れない対応にやがて彼女にも無理がたった。そして後継を選ぶ際、息子のレインズではなく遠縁を頼り使命したのを皮切りに、アレアミラの故郷は大分様変わりしたと聞く。
だからもう帰る場所は無くなったと認識している。
しかし人族と獣族の間に生まれた絆に変わるものは無いだろうと。流れてくる仲睦まじい姉夫婦の様子にアレアミラも胸を撫で下ろしていたのだが、それも一年程。
暫くして彼が多くの寵姫を抱える事となり、やがて好色王と揶揄される噂が流れるようになった。
(大丈夫かしら……)
内政が荒れているという話が聞こえ出し、側妃への対応問題から、アレアミラが住んでいた獣族の集落との縁も切れたようだと聞こえてきた。
(でももう私に出来る事なんて何も無い)
そう思い日々忙しく、やがて日常となっていく毎日の繰り返しの中で、アレアミラにも婚期がやってきた。
よくしてくれる近所の人の勧めで、いよいよこの地に根付く時が来たのかもしれないとそう思った時。
最後に一目、アシュトンを見ておきたいと思ったのだ。
元気ならそれで。
幸せなら良かったと。
自分も歩き出す新たな一歩の力にしたいとそう思った。
獣族の力を発揮してカーフィ国まで飛んできて。
アシュトンが住む場所に辿り着くのはそれ程大変では無かった。
だけど、
「お父様!」
庭の茂みの影からこそりと様子を窺い見れば、小さな男の子が駆けていく先にアシュトンを見つけ、アレアミラは溢れる涙を止められ無かった。
慈しみ深い眼差しの女性に手を引かれ、しがみついたアシュトンの足元から抱き上げられている子は彼の子供なんだろう。
(良かった)
アレアミラの胸は痛いけれど、アシュトンが幸せなら良かったのだ。
もう五年も経っている。
これで自分も違う人生を歩み出すのだと、堪えらない涙に肩を震わせていると、ガサリと草を掻き分ける音がした。
「アレアミラ?」
突然の気配に目を丸く開け、驚き佇むアシュトンに、アレアミラは目が離せなく、動けなくなった。
ようやっと強張りが解け、逃げなければと後退った瞬間に腕を捕われびくりと固まってしまう。
「あ、うあアシュトン……その、私……」
そもそも死んだ事になっているアレアミラを見て、アシュトンがどう思うのか。
焦るアレアミラに驚きに目を丸くしていたアシュトンは、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。
「髪を伸ばしたんだな……凄く似合っている」
「あ……」
手を自身の後頭部に添え、頷くように俯いた。
「生きていてくれて良かった」
じわりと滲む涙に涼やかな声が掛かる。
「旦那様?」
アレアミラははっと息を呑み急いで手を引き抜こうとしたが、しっかりと握られたそれはびくともしない。
「何でもない。お前たちは屋敷に戻っていてくれ」
茂みに隠れたままのアレアミラとのやりとりを夫人が不審に思わない筈がない。アレアミラは動揺に瞳を揺らしたが、アシュトンは気にした風もなく二人を遠ざけた。男の子が名残惜しそうに遠ざかるのが申し訳なくなる。
「……会いにきてくれたのか?」
あの頃より幾分か低くなった声に心が騒めいて、何故か罪悪感が込み上げる。
「ご、ごめんなさい。アシュトンがあれから大変だと聞いていて……どうしても様子が気になって……」
「嬉しいよ」
そう言われ顔を上げてじっとアシュトンの顔を見る。いつの間にこんなに背が伸びたんだろう。
それに、そんな物言いをする人では無かったのに。
嬉しそうにはにかむ柔らかさは、家族が出来た余裕だろうか。
嬉しさと切なさが相まって、泣きそうになる顔を留めるように唇を噛んだ。
自分だって大人になった。
それくらいの余裕は身についているし、好きな人の幸せくらい笑顔で願ってお別れくらい出来る。
アレアミラはこくりと頷いた。
「……はい、会いたかったです」
驚いた顔のアシュトンに眉を下げる。
でも実際は思っていたような大人の余裕は醸し出せなくて。
少しだけ情けなく思いながら、アレアミラは頭を下げた。
「ご結婚おめでとうございます、アシュトン殿下……その、可愛らしいお子様もお産まれになったようで……良かった……わ、私ももうじき結婚の予定がですね……」
頭に添えた手をそのままに、空々しく笑いながら再度アシュトンを見上げれば、彼は一瞬驚いた顔をした後、何故か顔から表情を消してしまった。
取られたままの腕に力が込められる。
「……へえ。俺は独身主義でね。結婚はしない。先程の二人は養子とその乳母だ」
「えっ」
平坦な声に驚きの声を上げる。
「身内の話で恥ずかしいが、俺が子を成せば内政が荒れる状態でな」
「あ、ああ……そうだったの、ね」
自然と緩む頬を隠すように俯けば、アシュトンはそれを許さないとでも言うように、アレアミラの顔を覗き込んだ。
「君は結婚するのか?」
「あ、いえ……そんな話を頂いて……それで……」
もごもごと口籠るアレアミラにアシュトンは深く息を吐いた。
「そう、か……幸せにな」
優しい声音にどきりと胸が鳴る。
そしてざわざわと騒ぎ出す。
(同じ……)
同じ事を自分も願っている。
国の為に努力するアシュトンが、結婚だけがその限りとは限らないけれど。傍にいる誰かと幸せになっていてくれればと思っていた。
(でも……)
「……あなたのそれはきっと、私の思いとは、違うのでしょうね……」
思わず口から溢れた思いに、アレアミラはしゃくり上げた。
「え……?」
急に泣き出したアレアミラに驚いたアシュトンが腕の力を緩めた隙に、そのままするりと身を翻す。
「さようなら、アシュトン」
「アレアミラ!」
人族のそれとは桁違いの素早さにアシュトンはあっさりとアレアミラを取り逃してしまった。
視界から消えたアレアミラから、しっかり掴んでいた手に残る僅かな温もりに呆然と目を落とし、その手をきつく握りしめた。
※
次回最終話です
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