第12話 のこったもの

 

「お姉様!」

 カレンティナの前に身体を滑り込ませたアレアミラの背中に、エミュエラが剣を突き立てた。

「きゃあ!」

 

 カレンティナは驚きにテリオットにしがみつき、そのまま二人は倒れ込むアレアミラから後ずさる。 

 剣を手放したエミュエラはガタガタと震えながらアレアミラを見下ろし、憎しみを募らせていく。

「この! 邪魔をして! 獣風情が!!」

 

 足を振り上げるエミュエラにアシュトンが声を張った。

「エミュエラ嬢を拘束しろ! 裁判前の参考人を傷付けた! それから医師の手配だ! 早く!」


 セヴランが駆け寄りアレアミラを抱き起こす。

「アレアミラ……ミラ!」

 アシュトンはアレアミラの近くには寄らなかった。

 そもそも影が縫い取られたように動かなくなった足からは感覚が無くなっている。立っているのが不思議な程に……


 背中はびっしょりと汗を掻き、それでも頭の芯は冷めているゆうな、夢の一幕を垣間見ているような。目の前の現実味の無い光景が、アシュトンの頭に昨日の父の最期を浮かび上がらせた。

(迂闊な真似をしてはいけない……)

 指先がぶるぶると震え出す。

(……僕まで獣族に気があるのだと気取られては、いけない)

 唇はカサカサに乾いていて、口の中もカラカラだ。

(動転している時こそ冷静に、側からもそう見えなければ、ならない……)


 必死にそう言い聞かせて、言う事を聞かない足を引き摺るように後ろに下がった。

 その姿をセヴランが鋭く射抜いているのを黙殺する。


「きゃあ! いやあ!!!」

「アシュトン! ここは任せる! カレンティナの胎教にも良くない! 私は城に戻る!」


 血を見て怖がるカレンティナを抱え、テリオットは近衛を引き連れ立ち去っていく、そんな二人にアシュトンは拳を強く握った。

(アレアミラはあなたを庇ったのに……でも……)


「アシュ……」

「……っ」

 聞き慣れた声と共に、僅かに向けられた視線を横顔に感じながらも。アシュトンはそちらを向けなかった。

(今が……今こそ転機なんだ……)

 ここまでしでかした公爵の力を削ぎ落とさなければならない。

 父の遺志。使命。そんな言葉で揺れる心情を必死に抑える。


 けれど自分の態度に込み上げてくる失意は拭えない。

(人の事なんて言えない。僕もあいつらと同じだ……)

 逃げる兄とその恋人の背を見送ってから、アシュトンは歪みそうになる顔を取り繕い、静かに面を上げた。


「公爵、あなたも拘束させて貰う。ご息女の沙汰を妨害される訳にはいかない」

 冷静に口にするアシュトンに、公爵もいつもの調子を取り戻した。

「いやしかし、宜しいのですか? 確か殿下はあの獣族の娘に関心をお持ちでしたでしょう? 早く治療に専念した方が良いのでは……?」

「……私に医療知識は無い。それより今起こった事を整理する方が先だ。公爵、私たちはアレアミラを暗殺犯だと疑ってここにきた訳だが、この状況。果たしてその見解は合っているのだろうか? 吟味の余地があるかと思わないかな?」

 

 鋭い光を讃える公爵の眼差しを拳を作り受け止めていれば、エミュエラが喚きながら引き摺られて行くのが聞こえた。

 それをチラリと目で追い、再び公爵に視線を戻せば彼は苦虫を噛み締めたような顔をしていた。


「そうですな、場が乱れすぎましたかな。改めて公平な判断が必要なところでしょう」


 公爵を相手にするにはまだ早い。

 けれど今できる事はある筈だ。

「ああ……」

 アシュトンはしっかりと頷いて握りしめた拳を解いた。



 ◇



 翌朝、侍従からアレアミラが息を引き取ったと報告があった。

 やる事が沢山ある。

「分かった」

 そう返し、事後処理についての調整の為、宰相を呼び寄せるよう伝える。執務室を出る侍従の背中を眺めながら、アシュトンは背もたれに身体を預けた。


 離宮とは言え公爵令嬢が起こした刃傷沙汰は王城に瞬く間に広がった。

 国王崩御に加え、筆頭公爵家の不祥事。

 更に次期国王が獣族を側妃を迎えるという発言まで重なり、城内は不安に揺れている。

 公爵の盤石な地盤を崩せるチャンスでもある。

 今なら兄はあの獣族の娘に盲目的で、上手く転がせば余計な口は挟んでこないだろう。

 不良物件の監督責任を問えば、獣族側も口を噤む筈だ。


 そう握りしめた拳にポタポタと涙が零れた。


「失ったものが大き過ぎる」


 濡れた拳で頬を拭い、肩を震わせる。

 国の為だと分かっている。

 でも一人でやっていける気がしない。

 味方を見極めなければならないこの状況に、恐怖が勝つ。いっそ兄のように平和な未来しか見えない頭だったら、最後まで幸せでいられたかもしれないのに。

 執務室で一人啜り泣くアシュトンに低い声が掛かった。

 

「……安心したよ」


 そう声を掛けられてびくりと肩が跳ね上がる。

 慌てて拭った顔を上げれば、どこからどう入ったのか、セヴランが窓枠に腰を掛けてこちらを眺めていた。

 逃げてきたのだろうか。

 あの騒動のどさくさでそれくらい、彼なら出来そうな気がする。


「大局とやらの為に目の前の個人を切り捨てるのかと思った」

 冷たいセヴランの眼差しに、アシュトンは心の籠らない声を返す。

「……でもそれは為政者に必要な事だ」

 出来ないから悩んでいるのだ。

 馬鹿な頭で、命を軽んじる愚者になりきれないから。

「なんだ、それでいいじゃないか」


 セヴランは肩を竦めて執務室へ足を踏み入れた。アシュトンは僅かに身を引いた。

 離宮で近くにいたのとは違う。今は警戒が必要だ。

 そもそも彼が何を考えているのか、アシュトンにはさっぱり分からないのだ。


「アレアミラは……」

 けれど続くセヴランの言葉にアシュトンの心は揺れた。

 聞きたくない。

 今聞いたら受け止めきれず執政の判断を誤るだろう。そう顔を歪めたアシュトンに、セヴランは溜息を吐いて首を横に振った。


「逃げ続けちゃ駄目だと思うぞ。少なくともアレアミラは最後まで逃げなかった。彼女の行動は高潔だ。誰にでも出来る事じゃない。お前まで否定するな」

「そんな、事は……僕は……」


 彼女がいなくなるのが怖いだけだ。


 目の前だけでなく、心からもいなくなってしまうのが。

 首を横に振るアシュトンにセヴランは肩を竦めた。

「アレアミラはお前の事を心配していた。きっとカレンティナを庇ったのは、自分なら処理しやすいと思ったからだろう。……あの場にいた獣族の花嫁は一人だけだった。巻き込まれたのは、誰でも無い。侍女の一人とでもすれば良い。その為の必然だったんだ。アレアミラを無視するな」


 無視なんてしていない。

 もういないものとして扱うのが無理なんだ。

 アシュトンは机の上に拳を握り、固く目を閉じた。

 

「アレアミラはお前に感謝していた」

 そう言ってセヴランは机に何かを置いていく。

 薄らと目を開ければそこには彼女の遺髪があった。

 詰まりそうになる声を飲み込んでそれに手を伸ばす。


『綺麗な髪だ』

 伸ばすと言っていたそれは短いままで……


「じゃあ俺はもういくよ。俺の事も上手い事言い繕っておいてくれよ」

 後手に手を振るセヴランを意識の端に、アシュトンはアレアミラの遺髪を指先で触れてから、丁寧に撫でた。

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