第09話 彼の背景


「崩御……?」


 次の日の朝早く部屋に駆け込んできたセヴランがアレアミラに何かをばさりと投げ渡した。

「逃げるぞ」

 それを摘み上げているとセヴランが鋭く呟いた。


「布? え、何……?」

 アレアミラは驚きに顔を上げる。全く頭が追いつかない。

 国王陛下は四十前で、まだ元気そうにしていた。

 結婚式から二週間も経っていないのだ。間違いない。

「でも葬儀は……? お悔やみを……」


 混乱し始める頭に手を添え何とか言葉を紡いでみるが、どれも現実的に思えなく、心は益々乱されていく。

「もう無理だ。まさか国のトップの頭を落とす暴挙に出るとはな。君が嫁いで十日で国王が亡くなった。まだ獣族への悪感情が燻るこの中でだ。テリオットは前王を弑したのはお前だと断じ、集落に兵を送り込むだろう。その間君に何もしない筈がない」


 アレアミラははっと両手で口を押さえて身体を震わせた。

 人質とされたとして、あのテリオットの嫌悪を身に受けた後で。その扱いがどんなものになるのか……想像にかたくない。でも……

「だけど、逃げたら戦になってしまうわ?」

「残るっていうのか? どんな目に合わされるか分からないんだぞ! 駄目だ」

 元々獣族はここの人たちに良い感情を持たれていないのだ。逃げ出したって構わないのかもしれない。


 けれど獣族が牙を剥けば、この国はどれ程の被害を負うだろう。子供が巻き込まれるかもしれない。新婚夫婦の夫が亡くなってしまうかもしれない。

 それを嫌い、という感情だけで見過ごしてしまっていいのだろうか……


(優しい人もいた)


 前王はアレアミラを放っておいたけれど、酷い事はしなかった。アシュトンだって、最初は挑戦的ではあったけれど、段々と態度は軟化していったし、沢山気遣ってくれた。

 テリオットが乗り込んで来た後も立場があるだろうに、アレアミラの様子を見に来てくれていた。


(傷つけたく、無い……)


 ぎゅっと両手を握り締め、アレアミラは決意を目に宿した。

「私……残ります」

「は? 馬鹿を言うな! 大体何だ君は、巻き込まれただけなのに、君が責任を感じる必要がどこにある?」

 声を荒げるセヴランにアレアミラはしゃくりあげる。

「だって、私が逃げたら……」

 自分のせいで犠牲者が出るなんて嫌だ。怖いけど、きっと逃げた先で苛まれる罪悪感に押し潰されてしまう。



「──あら、どうやら逃げ出す前に捕まえられそうね。獣とは言え多少の知恵はあるみたい。間に合って良かったわ」

 その言葉にセヴランがはっと後ろを振り返った。


「あらお前、この間見た娘とは違うじゃない。平凡というか存在感がないというか……」

 指を顎に添えて首を傾げる華やかな少女の後ろには兵が続いている。彼女が誰だか分からないが、アレアミラに好意的でない事は確かだ。


 鋭く舌打ちするセヴランに、少女は楽しそうに笑い出す。

「さあお仕置きの時間だわ。国王陛下を死に追いやった罪。王子殿下を誑かした罪。逃亡罪、詐称罪も加えておこうかしらね!」


 セヴランは手近にあった陶磁器を窓に投げつけた。

 大きな音とガラスが飛び散る様に、兵たちは貴人の盾になるべく身を晒す。

 その隙をついて駆け出し、未だ放心状態のアレアミラを掴み掻っ攫って飛び出した。



 ◇



『おい、お義母様』


 全くそんな風に思ってなんていなかったけれど。

 だけど気になっていたから。

 アシュトンは離宮に足を向けた。


(獣族……)

 それは王家の所有する図書館の禁書の棚にあった。彼らの生態はおどろおどろしく、侮蔑に満ちていた。

 それをそのまま受け止めていた幼少期は、けれどこの王城に住まう魑魅魍魎と何が違うのかと、大して恐ろしいとは思わなかった。


 だから本物を見て余計に拍子抜けした。

 普通に可愛い女の子だったから浮かれた。


 でもとアシュトンは首を横に振る。

(うちは、兄上がしっかりしていないから)

 アシュトンはいずれ、後ろ盾を得る為の婚姻を結ばなければならない。やがて国王となる兄に諫言を言える地盤固めの為だ。

 女に現を抜かすなんてできない。


 アシュトンと兄は同じ母から産まれ、歳も近い。だからこそ産まれながらに二人は区別され育てられてきた。基本的にこの国は第一王子が王位継承権第一位だ。それを覆すには謀反と取られない正当な理由が必要となる。

 過去にあった継承権争いから作られた法だ。継承権が移る際には厳密に調査が入り、もし後ろ暗いやり方で王位を手に入れる事があれば、継承権を剥奪された上、反逆罪で処罰される。

 つまりこの国では良くも悪くも第一王子の権限が強いのだ。

 

 しかしそんな兄は、婚姻前から側妃の話を口にする始末。兄の婚約者は筆頭公爵家のご息女だというのに

(……本当に、あの人は政略の意味を理解していない)

 アシュトンもそんな様を見せれば兄弟揃って貴族に示しがつかなくなってしまう。


 父が獣族を娶ると聞いた時、本当はその話はアシュトンにとあった。

 公爵家の差し金だろう。

 アシュトンの力が弱まった方が、彼らは好き勝手できるのだから。


 だから父はそれを見越し、自分が迎えると言い切った。

 父も政略結婚だった。

 一度目も二度目も、そんな役割を押し付けてしまい、アシュトンは自分の不甲斐なさに情けなくなる。

 強くならなければ。

 そう自分に言い聞かせていると、ある朝父から呼び出しを受けた。


『すまないアシュトン。私はもう長くはないようだ』


 人払いをした寝室で、父のそんな言葉にアシュトンは動揺に揺れた。

『どうして急に、何があったのです?』

『気を付けてきたつもりだったのだがな……どんどん身体から力が抜けていく。城の侍医とは別に内密に手配した隣国の医師に診てもらったのだが……手遅れだった。お前が独り立ち出来るまでもう少し見守りたかったが……』

『父、上……』

 何故なのかは聞かなくても分かった。誰なのかも……


『いいか、早まるなよアシュトン。今のお前では力及ばない。王家が根腐れしない為にはお前が必要なのだ。いつの時代にも悪辣な者はいる。その禍根を抑え、取り除く者としてお前は生きなければならない。テリオットも……悪い奴では無いのだが……お前たち兄弟が逆に産まれていたらと、つくづくそう思うよ……』

 声を落とす父にテリオットは勢いを込める。

『弱気な事をおっしゃらないでください。兄上だって……分かってくれます!』

『そうだな……』

 確信の無いそれにお互いの心が沈んでいくのが分かる。


 兄は目の前にあるものを真っ先に信じてしまう人だから……きっと父の死に真相があるなんて勘繰らない。公爵家に取り込まれている今なら余計、彼らを疑う事なんて出来ない。

(悔しい……)

 父を弑され王家を牛耳る権力を取られ、それでも何も出来ない。

『もう戻れ。長くいると疑われるからな』

 そう言う父の声に息を呑んだ。

『はい、父上……ではまた明日……』

『ああ……明日』


 震える足を叱咤して立ち上がり父に背を向けると後ろから声が掛かった。

『そうだ、私が言う事では無いが、あの獣族の娘……良くしてあげなさい』

『はい……』

『お前も……』

『……はい?』

 途切れた言葉を補うように、父は自分の目に手を置いた。

『お前にも……父親らしい事は何もしてやれず、すまなかったな』

『……っ、仕方ありません。一国の王なのです。僕は……あなたのそんな姿を憧れて尊敬して、育てて頂きました。沢山のものを、頂きました……』

『……そうか……』

 しばし落ちる沈黙と、動けなくなる足をそのままに佇んでいると、父は改めて口を開いた。

『引き止めて悪かったな。少し休む』

『いえ……』

 

 無理矢理に踵を返し室外へ出る。

 バタンと閉じた扉に背をもたれさせ、アシュトンは両手で顔を覆って溢れる涙を隠した。


 その翌朝、国王崩御の報が城内を駆けた。

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