いじめの結末:11


 慶郎が突破した悪夢とは別に、ひとあしおくれて更なる脅威きょういが動き出していた。まだしずみ切ってすらいない時刻だというのに、現実世界を侵食する異形のやみが、上空に姿を現している。


 巫女が駆ける。屋根伝いに跳び渡り、異変の場所へ一直線に。

 夕焼けが街並みを赤く染め、人々が帰路に向かうまさにその上空に、禍々まがまがしいうずが邪悪な気配をただよわせる。

 魍魎が仕掛ける異空間移動のあなだ。悪夢の入口とは違う、魍魎どもが複数匹に渡って移動する際に使う術である。そのあながここにあるという事は――。


「いつの間に」


 巫女の疾走を追う鶴が、重たい声で呟く。


貴女あなた、これを読んでたの?」


 振り返ることなく、巫女は険しい表情で応える。


「さすがにあなは予想外だったが、慶郎が仕留めたヤツ以外にも気配は察知してた。かなり巧妙こうみょうな術で身を隠しているようだな」


 鶴が目を細め、あなを見上げる。渦を巻く不気味な異空間から、おびただしい煙幕えんまくき出始めていた。


「なぜ今みたいなタイミングで、あんな大掛かりなあなが展開したのかしら」


 鶴が怪訝けげんに声を絞り出す中、異変の真下に到着した巫女が足を止めた。


「さぁな。だがもしかしたら、慶郎の背中を狙うつもりだったのかもな」

挟撃きょうげきってこと? それは無いわ。慶郎さんはまだそこまで警戒される程のエネルギー波を持ち合わせていない」


 まだまだ憶測おくそくは尽きないが、敵は容赦なくその姿を見せ始めた。

 あなから身を乗り出した魍魎は四匹。もしかしたら更に出てくる可能性もある。

 このようにれて活動する例は少ない。魍魎は常に獲物を独占したい思考で動く魔物だ。


 マンションの屋上から飛び上がる巫女。その動きには微塵みじんも迷いが無い。ひと蹴りで上空へ舞い上がると同時に、振り上げられた薙刀なぎなたが凄まじいエネルギーを帯びて、光る竜巻の如く巨大な武器と化し、魍魎どもを容赦なくあなへと押し戻す。

 あまりの速度に遅れをとった鶴がその後を追うが、魍魎ともどもあなの中へ突入した巫女は早くも戦闘を開始。この世ならざる超常のエネルギーが衝突し合う。


 されど、これらの行いも、あなの存在も、地上の人々は誰一人として気付けない。生身の人間に、魍魎の活動を察知できるのは悪夢の中だけである。



        ×        ×



 鳥居とりいを潜り、異空間から地上へと戻ってきた慶郎は、すぐさま異様な気配に気付く。隣に佇む一般人の板野麻実には判ろう筈もない、禍々しい気配だ。


「本当に戻って来れるんですね。少し疑ってましたが」

「……えぇ。まぁ」


 なにやら上空を見上げたまま固まる男の姿に、不安を感じた母親はその理由を問わずにはいられない。


「なにか、見えるんですか?」

「はい。ハッキリと」


 男の視線の先を見上げる板野麻実には当然だが何も見えない。


「僕の正体は悪夢祓いと言いまして、魔物を退治する役割を与えられた者なのですが、その瞬間からが宿ってるんです」

「それって、私たちがさっきまで居た空間や、あのバケモノのこと?」

「はい」


 慶郎は上空を見上げたまま、手短に語る。


貴女あなたを襲った魔物は魍魎と呼ばれ、異空間へ人間を引きずり込み、魂を捕食するんです。けどその姿、その行いは、生きる者には見えません。悪夢と称される異空間の中でしか、視認できないのです」


 即座にそれを認めるにはいささか時間が足りないが、板野麻実はとくに反論することなく男の言葉を受け入れた。


「それで、今、上に居るんですね? あのバケモノが」

「はい。それも複数」


 母親の脳裏に、死に直面した瞬間が思い出される。怪物と呼ぶに相応しい姿の魔物が襲って来た恐怖と、その迫力を。そしてその怪物が、今この瞬間に複数いると聞かされて、ひるまない筈がない。


「板野さんは当面の間は安全な筈です。貴女を狙っていた魍魎はさっき仕留めた一匹だけだったので、このまま家まで帰っても大丈夫でしょう。ひとりで帰れますか?」


 母親の表情をうかがう慶郎の配慮はいりょは、死に直面した恐怖を味わった人間がすぐ日常で動けるかに対してだったのだが、その心配は意外にも無用だった。


「このおよんで家まで送ってなんて言うつもりないわ。ひとりで帰れます」

「……そうですか、それは良かった」


 ややをあけて、慶郎は上空のあなを目指して駆け出した。魍魎の気配がここまでハッキリとしている以上、一刻を争う事態なのを確信している。

 その背中を見送る板野麻実は、しばらくして何事もなかったかのように帰路に足を向けた。

 駆けながらも、横目で母親の動きを確認した慶郎は、を抱かずにはいられない。鶴の説明では、悪夢に捕らわれた一般人は、決して記憶を現実世界に持ちさない筈なのだ。

 それなのに、あの板野麻実は自然と会話が続いた。悪夢での出来事や話の内容を記憶から失われていないあかしだろう。

 気にはなるが、今はまず上空のあなが最優先。板野麻実に関しては後で鶴にでもたずねるとして、この危機的状況を打開しなくてはならない。



 霊体に身を変換した慶郎はビルを駆け上がる。巫女のように軽快けいかいな身のこなしは真似できないが、悪夢祓いとしての能力は徐々に熟達じゅくたつしつつある。その力強いみ込みは、常人じょうじんせるものではない。


「思ったより遠いか……」


 この近辺きんぺんで最も高階層のビルに駆け上がったはいいが、あなへ突入するにはさすがに距離が遠い。かといって真下に位置する建造物は慶郎がいま立つビルの半分にも満たないマンション。

 ビルからでは距離が遠く、マンションからでは高度が足りない。どうしたものかと苦悶くもんしていると、あなから見知ったエネルギー波を感じ取る。

 ――この力は、巫女さんか――

 あなの中にはすでに巫女が突入しているのだと気付いた慶郎は安堵あんどしたが、だからといって傍観ぼうかんしている訳にもいかないだろう。どうにかしてあなび込む方法を考えなくはならないが――


 このタイミングで、あなから姿を現したのは鶴だった。彼女は普段の飛行速度とはにならない滑空かっくうで慶郎に近付いてくる。


「遅かったわね、さぁ、私の脚につかまって」

「え?」


 とてつもない速度で迫る鶴の言葉の意味を理解する間もなく、慶郎は反射的に腕を伸ばした。まさか、あんな棒切れのように細い鶴の脚をつかむなどと、全く想像していなかった。


「あの、脚、大丈夫ですか?」


 慶郎は今、あまりにも細い鶴の脚をにぎった状態で、彼女の飛行能力に身をゆだねて空を飛んでいる。怪我けがをさせてしまうことを恐れた慶郎だったが、当然、そのような常識的な心配など不要である。鶴の姿にわっているが、彼女は超常の存在。悪夢祓いをたばねる精霊エクソサイズである。

 むしろ、その体は今の慶郎よりも強度が高い。


「準備はいい? 中は既に戦闘中だけど、あなたも見ておいた方がいいわ」

「は、はい」


 慶郎の戸惑とまどいなどお構いなし。鶴は禍々しいあなへと一直線に慶郎と共に再突入した。

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