いじめの結末:10

 

 出口となる鳥居とりいの光を背に、慶郎よしろうは武器を収めながら語る。


板野いたの麻実まみさん、ですね、はじめまして。いきなりで驚いたでしょうが、僕はどうしても貴女あなたに言って聞かせたい事がありまして」


 おだやかなたたずまいのようでいて、どこか迫力のにじんだ声質には、少なからず怒りが込められている。


「単刀直入に申し上げます。貴女が娘さんにおこなっている育児放棄に至っては、全くもって看過かんかできるものじゃありません。御自身にも、自覚ありますよね」


 見覚えのない男にそう告げられると、母親は怪訝けげんな表情を隠さない。なにしろ、今いる場所は日常から大きく逸脱いつだつした異世界であり、得体の知れぬ怪物に命を狙われた直後だ。


「なんです? 誰なんですかアナタ。私を助けてくれたようではあるけど、こんな場所でする話ですか? それ」


 反抗的な態度で食って掛かる母親に対し、慶郎は一歩もゆずらない。


「どのような場所であれ、必ず改心かいしんしてもらいます。由紀恵ゆきえちゃんが今どんな思いで苦しんでいるか、想像できない訳はないですよね」

「はい? ですから――」

「あの子の味方はお母さんしか居ないんです。貴女以外に、あの子を守れる人は居ないんです」


 母親は押し黙ったが、その表情はまだくもりが抜けない。


「教師ぃ? それとも行政の人間ですかぁ?」


 あらためない母親の対応に、慶郎も一度だけ深い呼吸をはさむ。


「お願いです。ゆっくりでいい、娘さんに、優しい言葉をかけてあげて下さい。あの子は必ず、今までの事を恨んだりもせず、お母さんを迎え入れてくれます」


 慶郎は心から、この母子がより良い生活が送れるよう願っている。

 ――しかし残念ながら、今回もまた、彼にはこの母親を説得できるだけの材料が無かった。


「由紀恵がどう思うと、私が望んでないわ。いちいち言いたかないけど、私も親に望まれてなかった存在なのよ。今回も同じことよ」


 板野麻実の人生がどのような暮らしだったのか、慶郎は知らない。三枝千春の時のように、今回も言い返されて終わる予感がよぎる。


「私もろくな子供時代を生きちゃいないわ。児童相談所に紹介された施設しせつに入れられ、そこで職員に強姦されてできた子が由紀恵よ。このとしになっても、真っ当に母親ごっこをするつもりなんざ毛頭もうとう無いわ」


 怒りを超えた怨嗟えんさが徐々に込み上げ、板野麻実の口角はじれている。


「こんな汚れた世界で真っ当に生きようなんてバカバカしい。反吐へどが出る。施設を出る口述に由紀恵を利用し、支援金を受給する為以外の何物でもないわ。なんか文句ある?」

「…………」


 今の話をびせられ、すぐに反論できる慶郎ではなかった。

 自分が虐待ぎゃくたいされて育ったからといって、我が子を同じ目に遭わせていい道理はない。が、その当人に対し、正面から指南しなんできる人間はそうは居ない。ましてや安全である筈の施設で更なる被害を受けたとあっては、それこそ博識はくしきな専門家でさえ論駁ろんばく躊躇ためらうだろう。


 はなから救いの言葉など期待していない板野麻実の視線は、慶郎をするどつらぬいたままだ。対する慶郎には、返す言葉が無かった。


 くやしさが込み上げる。壮絶なイジメを受ける少女を助けたいが為に、ここまで時間をついやして、その背景には次々と大きな問題が待ち受けていた。

 加害者側の少女も、警察を介入させざるを得ない状況に差し迫り、裕福ゆうふくなだけではつちかえない正しさや道徳があるのだと気付かされた。

 被害者の少女が抱える家庭の問題も、感情論だけで説得できる程、そのやみあさくなかった。


 慶郎はようやく、今回の活動に落ち度があった事に気付いた。イジメを止める為の活動として、三枝千春やその家庭環境を調査したまではいい。しかし肝心かんじんな、板野由紀恵に関する情報は不完全に終わった。

 まさかここまで、この母親が抱える問題が大きかったとは思いもしなかった。それを見抜けなかった事への後悔と、己の未熟みじゅくさに押しつぶされる。


 立ち尽くす男に対し、板野麻実が詰め寄る。


「助けて頂いた事には感謝します。アナタが来てくれなかったら、私は死んでいた。それくらいは自分でも判ります」


 答えが見付からない慶郎が押し黙っているのを構わず、女は感情をいた声でなげく。


「まぁ、私たち親子を心配してくれたその気持ちは受け止めます。ですがね、そもそも、私にはそれにこたえる能力は無いし、アナタも私たちを面倒みる気なんか無いんでしょうが」


 それを言われて、慶郎は我に返る。自分の行いは、ここまでの道のりは、正しかったのかと。

 悪夢祓いは、そもそもが務める精霊の領域。金銭きんせんめんなどの支援は個人の判断では行えない。特定の人間だけの生活に寄り添うような時間を与えられている訳でもない。


 鶴の指示にない部分にまでえて踏み込んでいるのは自分の独断である。

 素直すなおに魍魎の討伐とうばつだけに専念せんねんしていれば、何とも簡単なことか。そうすれば余計な心の傷を負う必要もない筈だ。


 ――そう考え出したが、慶郎は瞬時に首を振って否定した。それではダメだと。


「これからも、できる限りのことはします。今はまだ、どこまで出来るとは言えませんが……。しかしそれでも、貴女と、由紀恵ちゃんをささえます」


 板野麻実の時間が止まる。この男は何を言っているのだと。言葉通りの意味だとお節介にも程があるし、なにより気持ち悪い。下心をうたがって当然だろう。

 遅れて、自分の発言にあやしさがふくまれていたとようやく気付いた慶郎は、慌てて言葉を付け足す。


「変な意味ではないですよ。日々アドバイスしたり、相談に乗ったりするという意味です。訳あって身分は明かせませんが、先程さきほどしゃべる鶴につかえている身です。白状はくじょうしてしまえば、僕は死んだ人間なのです。ですから、行えるサポートというのも制限がありますし、目立ったことは出来ません」


 そこまで聞いて、板野麻実の視線が別のものに変わる。面倒な説教をするだけの男を見る目ではなく、なにか不思議な生き物を見付けた時の驚きだ。

 同時に、警戒していた相手が、割と危険性のない人物だと判った時の安心もいている。


「なにそれ。幽霊? 大人がおかしなこと言うのね」

「自分でもそう思います。これから少しずつ理解してもらえれば良いので、とりあえずここから出ますか」


 板野麻実の表情がやわらかくなったのを見てとって、慶郎はひとまず一段落と判断した。不良がようやく心を許してくれた時に近い空気の変化が、今の彼女から見てとれる。


 煌々こうこうたる鳥居とりいをくぐる二人の距離きょりは、思った以上に肩を寄せていた――。


 

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