いじめの結末:5

 

 翌日、慶郎よしろうの助言を何度も思い出す由紀恵ゆきえが、一目散いちもくさんに教室を抜けて帰路きろを急ぐ。捕まってはいけない、逃げることも挑戦であり、戦い方のひとつ。おとなしくイジメられる毎日は逃避でもえる戦いでもない。

 彼女にとって慶郎の言葉の数々は、学校の教科よりも心の芯に突き刺さった。


 女帝、三枝さえぐさ千春ちはるあせった。彼女には余裕が無い。

 同級生の私物を売り飛ばす最低な悪行に手を染めたが最後、その行いはもっと悪い連中の目に止まり、組織的にかせいでいた奴らの利益りえきを横取りしたにひとしい。

 半グレにおどされた三枝千春は、更なる稼ぎを要求される側になっていた。



「お前、なに急いでんだよ」


 逃すまいと小走りで追ってきた女帝は独りだった。彼女もまた、悪い連中に目を付けられた事で仲間を失いつつある。


「昨日のオッサン誰だよ、あれが父親か?」

「…………」


 横目で女帝の顔をのぞいたが、由紀恵は足を止めなかった。


「テメェ、無視できる立場かコラ」


 つかまれそうになった腕を払い退け、由紀恵は走った。慶郎の教え通り、逃げる事も挑戦だと知った彼女に迷いは無い。


「この野郎っ‼」


 怒りに引きつった顔で追う三枝千春。客商売だった今までとは違い、今後は半グレ組織に売り上げを譲渡じょうとしなければならない為に必死だった。周囲の視線など構っていられない。


 ――逃げる

 ――逃げる


  由紀恵は全力で走り続けた。追って来る三枝千春の勢いも凄まじいが、それ以上に、慶郎からさずかった自尊心じそんしんを武器に走り続ける少女も強かった。

 人は想いで変わる。


 いよいよ由紀恵の家が見えてくる頃合いで、三枝千春は足を止めた。走ること一五分もの間、一度も休まないという異常なまでの執着しゅうちゃくを見せた彼女だったが、見覚えのある男の姿に抑止よくしが働いた。

 慶郎は実体化した姿で再び由紀恵の家に現れ、少女の帰りを待っていたのだ。


「おかえり由紀恵ちゃん」


 少女はそのまま慶郎の背中に隠れ、離れて立ち止まった女帝を覗き見る。慶郎もこの時は由紀恵ではなく、三枝千春を見張る。


「千春ちゃんだね、初めまして。通りすがりのオジさんで申し訳ないけど、少しだけお話できるかな」


 真剣な眼差しを送ってくる中年男に対し、三枝千春は怖気おじけづくことなく堂々と歩み寄った。


「誰よアンタ、そいつのオヤジ? それともVIPきゃくか?」


 どこまでも強気で来る女帝に対し、慶郎は表情を変えず真剣な眼差しのまま声を固くして問う。


「もうヤメにしないか? 君だってこのまま裏社会に潜るつもりは無いんだろう?」

「はぁあ? 説教かジジイ」


 慶郎は霊体で調べた三枝千春の現状を通告する。


「実際に君を脅かしてる連中はただのギャングチームだけど、その背後に中華系の組織が居る。少女売春の斡旋あっせん会社だ。一度たりともそんな連中に資金なんて渡したらダメだ」

「……」

「言ってる意味わかるね?」


 慶郎を凝視ぎょうしする女帝の鋭い視線が、一度だけ由紀恵に向けられる。


「手遅れだ、もう部屋も確保してあるらしい。待ち合わせまでもう時間が無い」


 三枝千春の言葉をすぐに理解した慶郎は、さすがに表情がけわしくなった。小学生が関わるべきではない世界に、すでに足を踏み入れた証が見えたからだ。

 優しい慶郎も、この時はのどに力が込められた。


「人には人の事情があるんだ、由紀恵ちゃんの気持ちも考えずに勝手なスケジュールを組まないで頂きたい」

「うるせぇよバカ、いいからその女よこせ」


 話の通じない少女ではない筈だと確信している慶郎は、折れる事なく説得を続ける。三枝千春は学校の成績せいせき優秀ゆうしゅうであり、近所でも評判ひょうばんの良い優等生だ。たとえそれが演技えんぎであったとしても、学習能力も演技力も高いと認めざるを得ない。


「足を洗うなら手伝うよ。その待ち合わせ場所にはオジさんが行こう」

「ダメだ、手数料はすでに受け取った。今さら引けねぇ」


 慶郎には良く解る。この三枝千春という少女の並外れた気概きがいと勇猛、早すぎた過ちへの闘争心。

 どれも道をみ外してはいるが、まぎれもなくこの少女は屈強くっきょうだ。


「君がやろうとしている事は完全に強要罪。こんなこと、お父さんが知ったらどうなる」

やかましいわジジイ、説得力ねぇぞ。それにリサーチ不足が露呈ろていしたな」

「どういう……」

「まぁいいや。替わりの女に行かせるわ」


 一切の後悔こうかい反省はんせいも見せず、それどころか余裕よゆうの笑みを浮かべて背を向ける女帝に、慶郎の声はより大きく投げかけられる。


「君の全てを知ってあげられなくて申し訳ない。その通りリサーチ不足だったよ」


 三枝千春は聞く耳を持たず、そのまま来た道を戻って行ってしまった。

 慶郎の胸に暗い気持ちがこだまする。あの少女を説得できるだけの材料が無かった自分へのいましめと、想像以上に手強てごわい相手だと知った戸惑とまどいに無念むねんを抱いた。



 

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