【第四章】アリスインワンダーランド 下

第41話 裏垢女子は、アルコール度数0%を信じないことにしている

 引っ越しの際にほとんどのものは前の家に置いてきた。

 たぶん、今頃は処分されている頃じゃないかと思う。


 唯一持ち出したのは、姿見。そう、鏡だった。


 私は、その前に立って、高校生活最初の朝の身支度をはじめる。

 

 この日のため、メガネをコンタクトに。

 重たく見えた黒髪を、アッシュグレーの色に染め上げた。


 美容師さんって、すごいよね。

 ふつーの子でも、まるで可愛い子みたいにしてくれる。現代の魔法よね。

 かぼちゃの馬車も、ガラスの靴もいらないくらい。

 十分、私をお姫様気分にかえてくれた。


 中学のときには一度もしたことはなかったのだけど、ウェストでスカートを一回折り曲げてつめる。それだけで決して長くはなかった丈がさらに短くなった。


 鏡に映るのは知らない私。


 モチーフはあった。それはアリス。

 ファンタジーのアリスじゃなくて。友達の名前。

 SNSで初めて仲良くなった子で、私のあこがれ。


 春にあわせた桜色のリップをつけて。

 べたつく唇を二、三度下唇と上唇を重ね合わせてなじませる。


 作りこんだ口元に、ウレタン製のマスクで蓋をする。

 まるで不幸ですよと言わんばかりの、好きになれない泣きボクロを隠すため。

(ついでに、歯並びも気になるからちょうどいいし)


 私史上いちばんの可愛さで。

 もう一度、頑張るって決めたから。


 恋をするためじゃなくて。

 私が私を好きになるための一歩。

 

 まー、結果を言うと? すごくモテましたし。

 恋もしちゃったんだけど。

 だって、あこがれに出会ってしまったから。

 だって、だって、その人はとてもかっこよくて、可愛かったから。

 

 もうそれを誰かに向けてUPするようなことはないだろうけど。

 記念に……。スマホを取り出してそれを鏡の前にかざす。

 

 慣れた行為。

 シャッター音とともに、私の生活はリスタートをきった。

 

      ***


「へー、じゃあ詩帆って高校デビューってわけ?」

「安っぽい言い方ねー。まぁ、まさに……そうなんだけど。いろいろあったのよー」

「んー、それって聞いてもいい話?」

「とくべつよ? 面白くはないからね!」


 好きな人の妹と一緒に旅行先のホテル部屋で語り合う。

 といっても単なる妹ってだけじゃなくて、恋敵であって、親友(だよね?)であって。……うん、加恋と話すのは好きだって思う。


 一度、私は友達という友達を失ったから。素直にこう思えることが不思議だったりする。


――SNSアプリ『Twilight』


 それは、決してそのような目的で開発されたアプリではないのだろうけど、いわゆる出会い系のSNSのような少しいかがわしいものとして、ほそぼそと運営されているものだった。


 表のアカウントはTwitterとかinstagramとかに持っていて、裏の顔をTwilightで見せる。そういう女の子たちが多いアプリなんだって、わかっていて私はそれをDLした。

 そういう女の子の一人になるつもりだったから。

 

 そして数か月の間で私は、ちょっとは目立つくらいの裏垢女子になっていた。

 投稿すれば、いいね=♡がつくし、フォローは増えた。


 私にとってのそれは……裏垢活動っていうのは、どんなに綺麗に着飾っていたとしてもそれ自体が自傷のような行為なんだけど。

 だから、私はそのことを秘密にしていたし、恥じてもいた。


――秘密はいつかバレるものなのにね。

 

「んー、それでクラスの子たちにバレちゃったわけ?」

「そうなの。まー、中学生がしちゃだめだよねーえっちな投稿」

「あはは。それ自分で言います? で、その担任の先生から何かされたの? 大丈夫だったの?」

「んー……、触られた」

「え? まじ?」

「うん。胸とか……あとキスされた」


 いちおーファーストキスだったんだけどねー。

 それ以上があったわけじゃないし、胸も制服の上からだったし。

 いまに思えば……大人にしては比較的躊躇したうえでの行為だったのかもしれないし。私も、不用心だったのかもしれないけど。


 いやだったなぁ。


「そっか。おにぃ……えっと旬はそのことは?」

「ぜんぶは話してないかな。言えないよね。嫌われたらいやだし」

「嫌わないよ! たぶん、ううん。ぜったい」

「そうかな? そうだといいな」


 湿っぽい感じになってしまった気がする。

 せっかくの楽しい旅行なのに、しかも一日目にすることでもなかったのかな。とか今になってちょっと後悔してたりして。


 そんなことを考えてたら、加恋が私に寄りかかってきた。

 肩が触れるとかいう感じじゃなくて、胸にすっぽり収まってる。


 好きな人と同じ姿かたちをした、鏡合わせの黒いアリス。


「んー、詩帆。元気だして、ほら。口直しに私とキスしてもいいから」

「……酔ってない? のんあるで」

「酔ってない酔ってないよ~」


 明らかにいつもと違う呂律の回っていないしゃべり方。

 ふと時計に目をやると結構な時間で、深夜1時を指していた。

 

 有栖ちゃんを、二人で送り出してからだいぶ時間もたっているし。


(眠くもなるよね。私もちょっと眠いし)


「……旬との、なれ初めってなーにー?」

「話してる間に寝ちゃうやつでしょ、あんた」

「ねーなーいーかーらー、きかせてぇ。しーほー」


 Twilightをはじめて慣れてきたころ。同じ女の子と思しきフォロワーがついた。

 基本的には男の人からのフォローが多くて、だからすごく覚えてる。


 すぐに私は、その子とは相互フォローの関係になって、友達になった。

(まー、これが男の子だったからびっくりなんだけどねー)


 忘れられないよね。その子の最初のフォロワーが、私になったんだから。

 彼女のアカウントは、ID:有栖。そうアリスだった。

 

 ID:白兎にとっては、運命的な出会い。

 もちろん、私が最初にその名前をつけたときは意味なんてなくて、目の前にあったぬいぐるみの色、形がそうだったってだけだけど。

 

 話しているうちにわかったこと。

 それは、有栖ちゃんが私の投稿を見てから、興味を持ってSNSを始めたこと。

 つまり童話のように、私が彼女を先導してしまったわけ。


「たぶんね……。そのころちょうど、私が旬と……ん、この場合、ありすちゃんがいいかな~? ありすちゃんと不仲になってたころかなー」

「あ、ちゃんと起きてるし聞いてたのね」

「も~ち~」


 もちろんって言いたいのね。


 高校デビューにそれなりに成功した私は、教室では一番後ろの席で。まだ人に見られるのが苦手だった私は、見る側になった。

 居眠りしてる子、誰かに恋をしてる子。

 お絵描きをしてる子。


 だれがお洒落で、だれがズボラなのか。ぜーんぶ見えた。

 

 そして、それがあの子の癖だったんだろうけど。

 プリントやノートの右端に、小さくうさぎのイラストを描く男の子だった。

 でもね。そのキャラ。私のオリジナルのものだったから。すぐにわかった。


 時計を持った白いうさぎのキャラ。

 私がTwilight用に描いたもの。表にはしてない、IMでのやりとりでスタンプとして送っていたものだから。


 知ってるのはたぶん、一人。

 アリスひとり。


――この男の子が……有栖ちゃん?


 そう疑問をもったのはそのときが初めてで、男の子がまだちょっと苦手で怖かった私は、それを最初は信じたくなかった。


「……だまされた気がした?」

「ううん、そこまでじゃないよ、ただ。困っただけ」


 すっごく困った。

 SNSを離れた私はもう白兎なんかじゃなくて、アリスとの接点はないのだから。もちろんアプリはまだあったし、裏垢は鍵をかけて大事にとっていた。

 でも、それは大事な宝物のようで、私にとってはパンドラの箱でもあるから……いまさらカノジョに? カレに? 話かけるなんてできなくて。


――仲田さん。巻き方変えた?


 プリントが前から順に回ってくるとき、前席の疑惑のカレからそう声をかけられた。

 一瞬なんのことかわからなかったけど。それが髪型のことを言ってると、少しして気づいた。

 でも、それは些細な変化で、だれにも気づかれもしないくらいだったんだよね。


『あ。うん。よくわかったね、けっこー詳しい?』


――あ……急に失礼だったよね。まえより似合ってるっておもっちゃって。思わず口にだしてしまっただけで。べつに、だから。えっと……ごめん、いまのなし


 多分、本当に思わず言ってしまったんだろうって今はわかる。

 緊張して裏返ったときの声が、すごく可愛かったのを覚えてる。

 それと同時に、確信したってわけ。


「まぬけだねー」

「まぬけだよねー。ほんと」

「それで、スマホまで見つかっちゃったんだよね? あのピンクの」

「そうそう、思わず取り上げちゃった! 証拠物件だーっておもっちゃって。それがなれ初め。どう?」

「ん、嫉妬する。すっごく妬いちゃう、でも~……詩帆が旬をかえてくれたんだよね~~……だから、ありがと」


 加恋は眠気のせいか、のんあるチューハイのせいか。私に抱きついてくる。


「……なんか、恥ずいよ」

「私も……」


 たぶんだけど、私は良いリスタートをきれたのだろうと思う。

 うまく行き過ぎてるくらい。


 だから、ちょびっとだけ不安とか心配が混じってるんだけど。


 それはのんあるの飲み物に微量に混じるアルコールみたいなもので。

 気にしなければないものと一緒だと思ってる。


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