第40話 裏垢女子は願わくば100%の気持ちで恋をしたい

 汐里がリョウに告白するという話を受けて、それが自分にとってどういう感情なのかは、自分自身わからなかったのだけど。

 ひとしきり泣いた。

 

 そんな俺に、チェシャちゃんは胸をかしてくれて……。

 少し泣き止んでから、こんな提案を受けた。


「センパイ、私たちの部屋くるっすか?」

「……さすがに、それは……まずくない?」


 いちおー、俺は……男子高校生なわけで、いや。一応じゃなくてそうなんだけど。

 今は、有栖の恰好してるけど。チェシャちゃんと汐里の部屋なわけで……。


「おシオはまだ戻んないっすよ? たぶん……それに」

「……それに?」

「虫刺されがやばくてもぅ……室内戻りたいんっすよ~~~」


 暗がりの中で見せられた腕はうっすらとだけど大量に蚊に刺された跡があって。

 なんで、半袖にハーフパンツ……しかも素足。


「なんていう恰好で植木の陰に隠れたりしたのよ……」

「……だって~。かわいい恰好したいじゃないっすかー。あと、おシオをつけて面白いところ見れるかなーって思ってたから……」

「そしたら、リョウじゃなくて、わたしが来たと?」

「そういうことっす」

「よく、わたしってわかったね、加恋じゃなくて」

「すぐわかるっす。有栖センパイのことですから。それにセンパイに話たいことがあるんすよー」


 なにそれ、猫の嗅覚? 区別の仕方……あとでちゃんと聞いとこう。

 ほかの人にもバレかねないしね。


「じゃあ……わかったから、部屋で話そうね。さすがにその刺され方は見てられないわ」


       ***


 ほんとに部屋には誰もいなくて、そしてこんなことを言うのはあれだけど。

 まだ初日の夜の割には、結構散らかっていた。


 エナジードリンクの缶、脱ぎ散らかされた服、スナック菓子……。

 USB型のLED撮影ライトも転がってる。


 ここで撮って投稿してたんだろうけど。

 汐里いるのに?


「すごい……ね」

「そんなまじまじ見られたら恥ずかしいっす。たぶん、そのへん下着とかも転がってるっすから」

「その情報ひつよう?」


 チェシャちゃんは周りの衣服をまとめて開きっぱなしのキャリーバッグにのせる。たぶん彼女てきにはこれが片付けたことになるんだろう。


「はい、かたづけたっす。あ、とりあえず飲むっすか? モン〇ターかレッド〇ルならあるっすよー」

「なんでエナドリオンリーのチョイスなのよ」

「飲めば徹夜できるシロモノっす」


 彼女のアグレッシブなくらいの投稿頻度とバイト中のけだるそうな感じの正体がわかったわけだけど。

 開けられた各部屋用の小さな冷蔵庫の中は、エナドリでいっぱいになっていた。

 

 汐里かわいそう……。


「とりあえずレッド〇ルでいいっすね。はい。じゃあセンパイ乾杯っす」

「へ? なんのお祝い?」

「わかんないっす! ノリですよーノリ」


 お酒じゃないんだから。

 と思いながらも、軽く互いの缶を合わせて、その冷たいドリンクで喉を潤わせる。

 

「これ、虫刺され用の薬だけど……」

 

 皮膚炎用の薬を渡す。

 シロちゃんが、念のために渡してくれたものだ。


「あ……センパイ気が利くっすね」


 一番ひどいのは腕で、次にふくらはぎから太ももにかけて。

 チェシャちゃんは、足をのばして、薬を塗りこんでいく。

 細いけど、柔らかそうな質感はやっぱり女子特有のもので、少しうらやましくも思えたりして――。


「ちょっと首の後ろのほう塗ってもらっていいっすか」

「あ、うん」


 髪をあげながら待機するチェシャちゃんの首には大きく赤いふくらみが二つあって。よくもまぁ、こんなところまで刺されたなと思いつつ薬をつける。

 

「……んッ……セ、センパイ……くすぐったいっす」

「ほら、我慢しよ。かなりひどくやられちゃってるんだから」


 塗りこむ間、妙に色気のある声を出しつつ身をよじる。

 そんなチェシャちゃんを気にしないふりで受け流す。


「……センパイ、ありがとっす」


 塗り終わったあとそう言った彼女は少し顔を赤らめていて。

 それはたぶん、俺も同じなんだろうけど。

 ちょっと気まずくて黙りこんでしまった。


――その気持ちは、不必要なエモーションで恋じゃないっす。応えちゃいけないものっすから


 さっき汐里が去ったあと、耐えきれずに泣き崩れた有栖わたしに、チェシャちゃんはそう告げた。

 それはまるで、何かチェシャちゃんもそういう気持ちに経験があるような口ぶりだった。チェシャちゃんが『話したいこと』に関係があるんだろうか。


「さっきのこと、考えてる顔してるっすね」

「え?」

「わかるっすよ。有栖センパイ顔にでやすいっすもんね」

「そうなの?」

「そうっす。すごく真剣な顔するっすもん」


(怖い顔ってことかな……だったらやだなぁ)


「私、中学のころなんですけど、女の子と付き合ってたことあるんっすよ」


 唐突にそう口にしたチェシャちゃんは、悪戯に笑う、それはいつもの明るさとはちょっと違う。外に向いたものじゃなくて、自嘲に近い。内側にむいた笑みに見える。


「女の子と?」

「うん、いわゆるレズとか、百合みたいなもんでー……、だからわかるっす。先輩のいまの気持ち」


 リョウへの気持ちってことかな。

 チェシャちゃんに目配せして、つづけて。っていう合図とする。


「当時はまだこんなに胸もおっきくなかったすから。てゆか、成長が遅かったんすね。男の子みたいだったんすよ」

「うん」

「だから、女子にけっこーモテて、私もかわいー子って好きだったもんだから。願ったりだったんすけど。中2の終わりくらいから。たわわになりまして――」


 たわわになりまして――って言い方! 


「振られちゃった、でも私もずっと男の子の役をするのに違和感がなかったわけじゃなかったわけっすよー。だから自然消滅てきなものっすね。でも、わかんなくなったっす。私が女の子を好きなのか、それとも、ほかのふつーの子と同じように男の人を好きなのか」


 違和感、ね。

 リョウのことを考えるときの気持ちは恋に似ていると思った。

 だから、自然に涙が出てきたけど。

 その感情を恋と呼ぶには、まとわりつくざらついた感覚は嫌悪と呼ぶべきもので。

 まとわりつく違和感が、それを恋にしてくれないから。失恋にもできない。


 たぶん、そういう感情のことを言ってるんだと思う。


「……だから、トワイライトで女であることを証明しているうちに、ハマっちゃったんすよねー。かわいー女の子見放題っすから」


 Twilightを……裏垢をする理由なんて、それを直接聞いたことなんてなかったなって思う。

 俺自身が、有栖自身がその理由をわからないくらいだし。


「有栖センパイが、カレを思う気持ちは、たぶん一種の恋愛感情に近いものっすけど……。でもだめっすよ。それはセンパイを10としたときの2や3くらいのもので、ア・パートオブであってオールオブではないっす」


 A part ofであって、All ofじゃない。ね。

 発音にクスリとくる。


「私、男子のかわりで女の子と付き合って……キスとか、それ以上のことか結構やったっす。そりゃーもう、あんなことやこんなことを、いっぱいヤリましたっす」

「あはは……えーっと、これ深く聞いた方がいい?」

「……聞きたいっすか? それとも、ヤってみるってのはどうっすか?」

「へ?」

「じょーだんっすよ。それに……女の子同士でシテると、自分が必要とされてるかわかんなくなってきて、何かの代替品みたいで。寂しかったんすよ。あ! でも……センパイとならそうじゃないっすね」


――それに男の人だったほうが都合いいっす


「そういう……」

 

 そういう、ことね。


「? あ。えっと、ほんとにシます? 気づいてると思うっすけど、私けっこうまともじゃないっすよ」

「や、シないからね!! チェシャちゃんのことは……そういうまともじゃないとこも……可愛いって思うけど。シロちゃんがいるし……」

「そーっすよね~。もっと早く出会ってたら、っておもうっすけど。私、ウサちゃんセンパイも好きっすもん。有栖センパイは大好きっすけどね!」


 明るく染め上げられた桜色の髪。

 そして、その色に負けないくらいの笑顔で、チェシャちゃんは悪戯に笑う。

 

 ぐっと。エナドリの缶を飲み干して、まるで自分に言い聞かせているように告げた。

 

「ホモサピエンスはエモーションで簡単に遺伝子を否定しちゃうものっすから。それくらい曖昧なものっすから。だから、男の子とか女の子とか……じゃなくて、10のうちの10で愛せる相手と恋をするべきだって、思うんすよね」

「うん……」

「……そりゃ私もセンパイの2とか3とかでも……気持ちがあればうれしーなぁとか思ったりするっすけど――」


 彼女の気持ちに、気づいていないわけはなくて。

 それくらいには俺は……鈍感じゃないし、心の機微にはむしろ敏感なほうで。


 チェシャちゃんは旬としてとか、有栖としてとか。

 そんな区分分けされたa half半分の存在じゃなくて、それこそAll ofゼンブで見てくれて、そして好きでいてくれる数限りない……


「センパイは! 私の、たいっせつな! 友達だから! だから元気だしてほしーっす! それが……したかった話っす」


(そう、数限りない……友達だから)


「ありがと。うん、もう大丈夫。チェシャちゃんのおかげで元気でたよ。ありがとね」

「あと……センパイもうひとついいっすか」

「ん?」

「おシオが帰る前に……部屋片づけ手伝ってほしいっす」


<第四章 アリスインワンダーランド 上・完>


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