第39話 裏垢女子は心のうちに、その恋を納めるための化粧箱をもっている
シロちゃんと加恋に見送られて、汐里との待ち合わせに向かう。
旬として入った部屋を、有栖として出ていくのはちょっと変な感じがするけど。
場所はホテル外の庭園の自販機前で、というLINEが入っていた。
夏の夜ということもあって羽虫や小さな蛾が自販機の明かりに誘われて集まっている。虫刺されの対策で長袖のパーカーを羽織って出たのは正解だった。
(ちょっと蒸し暑いけどね)
少しして、汐里の姿が見えた。
眼鏡をかけて、髪もストンと落ちているところを見ると、風呂上りですぐに来たといった感じかな。
「呼び出したうえに待たせてもうて堪忍なー」
「ううん、ぜんぜん」
「あ、これなんやけど。よかったら飲まへん?」
「いるいる! ありがとうね」
そう言って差し出されたのは缶のコーラで、受け取るとまだだいぶ冷たかった。
ちょっと暑かったし、自販機にはあまり近づきたくなかったから助かる。
プシュッとプルタブを開ける音がした。
先に開けたのは汐里で、後を追うように俺もそれを開ける。
シロちゃんが言う決闘とか告白ってことはないだろうけど、汐里のどことなく真剣な表情で、重要ななにかを胸に秘めていることが容易にわかった。
「あんなー……」
関西弁で『あのね』ってことかな? 汐里はあの日以来ほんとうに変わったと思う。しゃべり方も、見た目も。
「うん、どうしたの?」
好きな人のために自分を変えるってことは、簡単なようで難しい。
確かに、汐里は一度その方向性を間違えたのかもしれないけど。
それでも、そうやって行動できるのが彼女の強さで。
そういう純粋さに、榊は……リョウは惚れたのだと思う。
「亮二にな、あ……亮二っていうのは、榊くんのことなんやけど」
「うん、わかるよ」
「あ、せやったね。たぶん……、うちより関係ながいんやもんなー。SNSのこととか、うちあんまりわからんのやけど」
「そうだねー、いつくらいからだったかな――」
Twilightで……R2さんから、いいねが入るようになったのは、たぶん本当に初期のことだから。有栖として投稿を始めた2年ほど前から、になるかな。
そのときはまだ、俺も白兎……いまのシロちゃんを追いかけるように見様見真似でいろいろと試行錯誤してたくらいで。
不安な気持ちも大きくて。だから、R2さんの応援は支えだったのを覚えてる。
それは、今も変わらないのだけど。
「たぶん、2年くらいかな」
「そんなになんかー。かなわんなぁ……」
そんなことないよ。って思う。
だってもう貴女は、カレの心を射抜いてる。
――安心しろって。俺は決めてるから……汐里に告白するつもりだからな。
昼一緒にたこ焼きを食べたとき。本人がそう言ってたんだから。
それは言えないことだけど。
「あんな、このあと。うちな……亮二にもういっかい気持ちを伝えるつもりやねんな……でも、その前に有栖さんに確認したいことあってん」
「確認したいこと?」
「有栖さんは、亮二のこと……どう思っとるん?」
そんなこと。聞かれてもなぁ……。だって、俺は新見旬で。
あいつは、ただのクラスメートで。悪友の一人で。
でも、確かに汐里から見たら、俺は有栖で……。有栖は昔からのリョウの知り合いで。デートをしているところに鉢合わせて――そう思われても当然だよね。
――有栖さんは、亮二のこと……どう思っとるん?
あれ。もう一度聞かれた? ううん、汐里はべつに口を開いてないし。
ただ不安そうに、
じゃあ。なんで、そんな些細なワードが頭を打つのだろう。
『亮二くん。ん、なんか呼びづらいかも。リョウでいいよね』
『ごめ……ちょっと、俺、うれしすぎて……死ぬ』
やめてよ。
そんなときのこと、思い出したって仕方ないじゃない。
不必要なエモーションがちらついて。
正しい判断ができなくなる。
あれ、冷たいコーラのせいかな。それとも、夜風のせいかな。やけに体が冷える。パーカーの袖に掌をかくして。
開けて羽織ってただけでジッパーなんか閉めてなかったから、身体の前で交差させるようにして。
左右に交差させた手で、全身の震えを止めようとしたんだけど。
(なんで、わたし。いま震えてるんだろう)
「……ごめんな、うち。自分のことばっかりや」
ううん。違うの。
これは……俺にとっては――新見旬にとっては、不必要なエモーションだから。
だから、もうちょっとだけ。
もうちょっとだけ待ってほしい。
そしたら。この震えも、感情も止まるから。
(ほら……ね?)
「なんとも思ってないよ。ほんと。ただのフォロワーさんだったんだから」
「ほんまなん? ほんまに、そう思っとるん」
心配そうに俺を見る瞳でわかる。
自分のことばっかりなんかじゃないってこと。
汐里は十分人を気遣える良い子なんだってこと。
だから、同じくらいのやさしさを持ってるリョウに、よく似合うと思うんだ。
「告白、うまくいくといいね。応援してる。すっごく応援してる! 頑張って。ほら!」
「わ……。もぅ急に叩かんといてやー。コーラもっとるんやから~……。なんか……あれ。なんやろ。うち、デジャブみたいや。……昼にも同じ話した気ぃすんねんけど」
「気のせいじゃない?」
「んー……せやね。ありがと、じゃあ……うち、いってくるね」
うん、したよ汐里。
――応援してるよ。頑張って
そう、新見旬として俺はキミの背中をもう押してたんだよ。
だから、このまま振り向かずにあいつの元に行っていい。
じゃなきゃ。困る。
(こんな顔、これ以上見せられたものじゃないから)
「……有栖さん。最後に……。あのとき、変とか言って。ごめんね。じゃあおやすみなさい」
わたしの望み通り、振り返ることなくそう言って汐里は去っていった。
意を決した汐里の後ろ姿は、凛とした強さを感じさせた。
気づけば、手のなかのコーラの缶は少しぬるくなってた。
だって、夏の夜はやっぱり暑くて。夜風なんて吹いちゃいないんだから。
「……センパイ、頑張ったっすね。私にはわかるっすよセンパイの気持ち。でもだめっすよ。その気持ちは、不必要なエモーションで恋じゃないっす。応えちゃいけないものっすから」
背中にかけられたチェシャちゃんの言葉は、わたしの心を代弁するようなもので。いつの間にいたんだろう、なんて思う以上に。
涙が溢れて止まらなくなってしまった。
つぎつぎに零れる涙をパーカーの裾が吸っていく。
その場にへたり込んだわたしに、チェシャちゃんが駆け寄ってくれて。
ただ、彼女の胸で泣きじゃくってしまう。
「……チェシャちゃん。ん……ぅぅ……ごめんね……胸かりて……」
「――いいっすよ。減るもんじゃないっすから。減ってもいっぱいありますし。このときのために、大きく育ってますからね」
「ばか……」
クスってくるチェシャちゃんのセリフに、思わず泣き笑いを浮かべてしまった。
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