第30話 裏垢女子にとっての罪と罰は、満たされない心の渇きによるもので

――榊くん……いかがわしい子を借りてんの? なんなん、もう……


 チェシャちゃんの働くカラオケ屋の裏口前。人通りが少ないことが幸いして、大事にはなっていないけど。会話の流れはあらぬ方向にいっていて収集が付かない感じだった。


「あのね、塩野目さん。わたし、貴女に聞きたいことがあるの」

「……やらしい人に話すことなんてあらへん」

「まず、それ勘違いだからね」

「じゃあ、あんたなんなの! 榊くんのなに?」

「わたしは、まぁ。えっと、トワイライトで裏垢やってて……榊くんとは、ただのフォロワーだけど」

「やっぱりやらしい人やんか!」


 あー、そっか。

 確かに……ってそうじゃなくて。


 塩野目さんは話に聞いていたように関西弁で話す子で、クラスで見る大人しい面影はあまりなかった。その小さな身体全身を使って喋るようなところは、ある意味ではかわいらしくも見えるのだけど。


 もともと持っていたものなのだろうけど。画像がバズるくらいには、胸も大きくて。チェシャちゃんの髪型を意識したウィッグをつけて、多分メイクも勉強したんだろうなって思う。


「あのね。確かにわたしは……はえっちな画像もあげてるし、そこをいやらしいとか、いかがわしいって言われるのは仕方ないと思うわ」

「……なにが言いたいの」

「でも、それだけじゃない。えっちな画像ひとつで誰かの心をつかむなんて無理だもの。わたしは可愛いけど。可愛く生まれてきたわけじゃない、可愛くなる努力をしてきたの。それはチェシャちゃんもそう」


 そう。初めて会ったとき、チェシャちゃんはひどく億劫そうな怠惰な態度でバイトをしていたけど。その理由は、深夜までフォロワーさんからの応援コメントへ返信したりしてるから。もちろん、それだけじゃなくて、次の写真をどう撮るか考えたりしてることもDMで話合ったから知ってる。


 それを、ただいかがわしいって言う言葉で済ませるのは、有栖わたしは嫌だ。


「なんやの、もう! そもそもなんでそんな頑張ってまでSNSに画像上げる必要があんの!? 変、やわ! あんたも、あの円香って子も!」

「……その理由は、塩野目さんが一番わかってるんじゃないのかな」

「うちに、わかるわけないやん」

「わかるよ。わかってるはずだよ。だって、リョウに……。誰かに振り向いてほしくてやったんだよね。自分の身体を使って、振り向かせたかったんだよね」

「……そうやで。でも、うちは榊くんだけでええの」


――ハートの女王らしく、ここで罪人の首を刎ねましょうかね。 

 チェシャちゃんのため、だけじゃない。

 これは、裏垢女子として……有栖としての私刑だと思う。


「で、どうだったの? 誰かが貴女のことを見て、拡散して。バズって、炎上して。怖くなった? それとも優越感があった? ふふ、ないわけないよね。だって、根底には誰でもいいから自分を認めてほしいって言う承認欲求があるんだもの。わたしもそう、裏垢女子わたしたちカルマみたいなものだもの」

「いっしょにせんといて……いっしょになんか、せんといてや」

「――可愛くなる努力をして、その結果を求めることって、快感だったでしょ。わたしはね、塩野目さんのそういう努力は認めてる。素敵な画像だったと思うわ」

「やめてや!」

「やめて? 自分から拡散した画像に対する感想も、そこから派生する事態も全部、受け入れる覚悟がないのに、やっちゃだめでしょ? だから、やめるつもりはないわ」


 そう、俺も。チェシャちゃんも。

 シロちゃんもそう。

 自分が決めてやったことへの落とし前は全部自分のアカウントに返って来るのをわかってやってる。

 

 誰に承認されれば満たされるのかな。

 満たされるにはどうすればいいのか。ずっと考えて、答えは出ない。

 たとえ、大好きなひとに抱きしめられても。きっとこの渇きは満たせない。

 

「……こないで」


 一歩ずつ、塩野目さんへの距離を詰める。

 怯えた表情、綺麗なカラコンをしてるのに、目を閉じるなんてもったいない。

 あと、泣いたら、化粧が崩れちゃうってことも教えてあげないといけないかもね。


「ずるいやんか……。近くで見ても……加工もなしにこんな可愛いなんて。榊くんのことまで、とらんといてや。なんでもええもん持っとるのに……なんでまだ欲しがるんよ」


――それが、裏垢女子わたしたちの大罪だから。なんだけどね。

 そこまでは言わないでおく。

 自分でもそれをコントロールできないくらいの厄介なものだから。


「見て。この青い目。もちろんカラコンなんだよね」


 ポケットに忍ばせたコンタクト用のケースを取り出す。

 指先を瞳に添えて、それをはずす。

 ひとつ、そしてもう片方も。


「この靴もね、ヒールが入ってるから身長が高く見えるし、足が綺麗にみえるの」


 靴を脱ぎ棄てて、素足ではないまでも、タイツのままアスファルトに足を置く。

 ざらりとした感触と少しひんやりとした温度。

 それでも、まだ心の芯から火照った体温を冷やすには足りない。


「有栖……もういい」

 

 リョウが俺の腕をつかむ。力強い腕だけど……振りほどけるくらいにはセーブしてるのがわかる。

 払いのけて、全力の笑みを向ける。


「……大丈夫だから、ね?」


 人指し指を榊くんの唇に当てて、黙らせる。

 簡易的な口封じならこれで十分。


「あとはね、この髪。貴女とおなじウィッグなの。髪は女の命っていうけど。偽りの命だから、ほら。簡単に捨てられる」


 そう言ってウィッグをはぎ取る。

 ウィッグネットを被っただけの姿はきっと情けなく映っているだろう。

 俺を着飾るものは無くなって、それでも可愛くいられるものだろうか。


 たぶん、偽りだらけの俺には、何もない。


「……なんやの。怖いわ……この子」

「最初から、可愛くて、なんでも持ってるってわけじゃないって。これでわかってくれるかしら」


 最後にウィッグネットに手をかけた。

 そのとき――。

 

「有栖ちゃん! だめ!!」

「有栖センパイ!!」


 物陰からシロちゃんと、チェシャちゃんが大きな声を上げて飛び出してきた。

 その少しあとに加恋が気まずそうに出てきたのだが、その加恋を見てリョウが驚いたように指をさす。


「え……有栖が、ふたり?」

「……なんなんよ……いっぱい出てきたし……え。仲田詩帆……? それと……なんでおんなじ子がもう一人おるん」


(シロちゃん……付けてきてたんだね……なんかみられてたの恥ずかしいんだけど。あと、なんでチェシャちゃんもいるの)

 

 たぶん、三人は俺が男バレするのを心配したのだろう。けど――。

 用心のために、ウィッグネットの下にも、加恋と同じような黒髪のショートヘア―のウィッグを隠してて……。


 だからいま双子の俺たちはほとんど同じ見た目で。

 有栖がふたりと言われたのはそういう理由がそれだった。


「……ひぐ。ひぐ」


 アスファルトにへたり込んだ塩野目さん。

 最後に泣かせたのは、大勢で押し掛けたシロちゃんだと思うけど。

 俺が泣かせたことになるんだろうなぁ


 少し気まずくて頭を抱えていると、塩野目さんへとバイトルックのチェシェちゃんが近づく。


(え、いま追いうちかけちゃ……)


「あのー、いま気づいたんだけど店長の姪っ子さんっすよね」


 へ?

 

 衝撃の事実ではあったけど、店長さんが預っていたシロちゃんのスマホを盗めた理由としては納得だった。


「……はい」

「もう、てんちょー怒ってないっすから、私もおかげでフォローいっぱい増えたし、いいっす。それに有栖先輩がぜーんぶ私の想いを言ってくれたっすから。だから、泣かないでください」


 チェシャちゃんが伸ばした手を、塩野目さんはしっかりと掴んで立ち上がる。

 その光景を見ている俺の肩をとんとん、と叩くひとがいた。


「……?」


 シロちゃんが、俺の靴を持っていた。


「どうぞ、お姫様」

「ちょっとやめてよシロちゃん、恥ずかしい」

「いいから。怪我しちゃいけないでしょ」


 まるで、童話の一節のように、俺のまえに跪いたシロちゃんが、その靴を差し出してくる。


(なんだか、逆じゃないかな……)


「ありがと、シロちゃん。あのね、ちょっと立ってもらっていい?」

「ん? どうしたの有栖ちゃん」

「つけてたんだね?」


 シロちゃんの両肩に手を置いて、しっかりと目を見て確認する。


「……だって、心配だったし」

「浮気はしてないよ」

「……いちおー信じておく」


 シロちゃんたちが止めてなかったら、俺はどうしていただろう。

 いまになってちょっと自分の過激な行動が怖くなって……。

 同時に、不安にもなる。


 その分、拗ねて顔を膨らませたシロちゃんのことが愛しくも見えて。


「……!? あり、す?」


 シロちゃんのことをただ、強く抱きしめることにした。

 甘い匂いがする。

 それは教室でも、あの日のカラオケルームでも。プリクラ機の中でも、彼女がいるところに常に漂う香りで。俺はそれが好きだった。

(訂正。シロちゃんが好きなんだ)


 だから、もう少しの間だけ。心の渇きが癒えるまで。

 

――抱きしめてもいいよね


<第三章 アリスのチェシャ猫騒動・完>

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