第19話 裏垢女子は、合わせ鏡のなか

 双子だけど、男の子と女の子の兄妹だったから、いろんなところで分けられることが多くて。


 私は……加恋はそういうのが嫌だった。


 幼いときの私は、よく旬と一緒に外を走り回ったり、ボールを追いかけたりすることをいっしょにしたがったと、母からは聞いたことがある。

 同じように、旬は、私の着る服や女の子らしい持ち物を揃えたがっていたと聞いた。顔も背格好もそっくりな、鏡映しのような存在なんだけど。


 男の子だからできること。女の子だからできること。

 そして、その逆にできないことがあって。

 だから私たちは互いに鏡映しのような存在でありながら、双子にはなりきれなかった。


「なんで、加恋を試合に出してやらないんですか」

「たしかに、あの子は上手いし戦力としては申し分ないんだけどなぁ。そうは言っても女の子だろう? 相手チームも強くは当たれないだろうしなぁ。どのみち公式戦では女子は出せないわけだし」


 中学に入って、私は旬とともにサッカー部に入部したが、練習でこそボールに触らせてもらう機会はあったものの、実質女子マネージャーとして3年間を過ごすこととなった。

 一年のとき、職員室で顧問の先生に詰め寄った旬は、それをきっかけにフィールドプレイヤーをやめた。


「……あいつ以外と、コンビネーションの練習も、あいつ以外からのパスを受ける気も、渡す気もないんで、俺。キーパーだったらやってもいいっすよ」


 その言葉だけは、いまもずっと耳から離れないでいる。


 鏡映しになれないのなら、最初から鏡の前に立たなければいい。

 それが旬の。私の兄の答えだった。


 私が旬と離れ、女子高への進学を決めたのも、同じ理由だと思う。


 それにしても――。


「――ぁ、ちょっ、……夕実さん。そこ痛ぃ……ン」


 なんかえろい声。

 出してるのはおにぃなんだけど。あ、いまは姉。有栖ちゃんか。

 本調子ではない左腕を庇いながらのプレイなのは、見て取れた。

 だからこそ、身体のあちこちに負担がくるわけで。

 

 そういうの夕実さんは気づくからねぇ。


「ちゃーんと、ストレッチしとかなきゃ、後半もたないわよ? 今日はうちの守護神にはこの1点守り切ってもらわないといけないんだから」

「あはは……ぁッ……もぅ」


 あのとき部屋にいた女の子が旬だったと知っても(意外と?)、私は平然だった。たぶん、そのほうが自然だとおもったから。


 私の、鏡映しの半身が戻ってきたような感じがした。

 そしていま、グラウンドにその半身はいる。


 ……でも。


「はい、加恋のぶん。スポーツドリンクでいいよね? あと、はちみつレモン。つくってきてたの」


 見た目はあの日の兄と同じ、ちょっとギャルな美人さん。

 旬のカノジョさん。名前は、仲田詩帆。


 私は詩帆から白いタッパーに入ったレモンを一枚受け取って、ありがと、と返した。いっしょに兄を驚かすための演技をしたり。

 ノリもよくて、かわいくて。


 正直、やきもきしてしまう。

 嫉妬は怪物だ。

 鏡の中の怪物。そういえば昔話にいたと思う。


――ジャバウォックだったかな? たしか。


 私はそんな怪物に、食べられてしまわないようにするのに必死で。

 

「……詩帆、酸っぱいよ」


 はちみつレモンって言ってたけど……はちみつどこ?

 でも、クエン酸はスポーツにはいいし。だから、我慢して皮まで食べる。


『うまくなったね』そう、言われたときすごくうれしかった。

 夕実さんの目論見通り、旬をグラウンドに連れ戻すのには成功したわけだけど。

 

「シロちゃん~、これ酸っぱすぎるよぉ」

「えー、だってこんなものつくったことないしー。来てあげただけでもうれしいでしょ?」

「……嬉しいけど」


 どちらかというと、あの二人のほうが双子みたい。

 化粧をした旬は、なんかそのへんの女の子以上に女の子だし、それと同じかそれ以上に詩帆は可愛いし。


「どうせ、盛るなら、ほんとの双子のほうにサイズ合わせなさいよ……」

 

 なんでよりにもよって、私よりも詩帆に合わせるの。

 さっき試合中に言ってやったから、べつにもういいけど。


 そういえばさっき。

 前半が終わるときに、旬が言ってた。

 

 チャンスがあったら、加恋にパスを回すから。次は自分で一発決めてきて、ね。って。

 

――あいつ以外からのパスを受ける気も、渡す気もないんで、俺。

 

 あの時と比べると、なんだか、だいぶかわいらしくなっちゃったなって思うけど。

 

 いまは、旬とのいまを楽しみたいなって思う。

 鏡のなかの怪物は、私の心のなかに閉じ込めることにする。


       ***


 後半に入って押し込まれる展開が多くなってきた。

 加恋が少しバテテきてるし、夕実さんのフィジカルだけでもたせているから、攻めのパターンがワンパターンで相手に読まれてきてる。


 相手チームのコーナーキック。

 

 セットプレイからの失点は避けたいけど。

 俺は、男とはいえ背格好は加恋とほぼ同じ。身長がないぶん、ハイボールの処理はできないし。

 左手を高く伸ばすのは、まだ少し怖い。


 相手チームの蹴り上げたボールを、高身長の舞さんがヘディングでカットする。

 しかし、それは再度ラインを自陣のラインを超えてしまった。

 

 仕切り直しのセットプレイとなる。


(こういうパターン、失点しやすい……けど)


 そのハイボールがあがったのは、俺の手の届く距離。

 だけど……それは左手を伸ばさなければいけない位置だった。諦めて、もう一度舞さんに競り合ってもらって……。

 でも。それじゃ、また繰り返し、いずれは失点するかもしれない。


 そのとき、コート中央の加恋が見えた。 

 まだ先だけど、フリーの位置。

 

 キーパーは守護神だけど。

 ここぞってときには、攻めに転じることも大事。

 勝負しなきゃ、いけないときもある。


 あのとき、シロちゃんが『有栖わたし』に勝負を申し込んだときのことがちょっと頭に浮かんで。それと、同時に俺はボールにむかって走り出してた。

 加恋に、パスをつなげるために。


       ***


「加恋!!」


 いつもより高くて、ちょっと可愛い旬の声。

 私を呼ぶその声にはっとした。


「……しゅ」


 あ、違うんだった。


「おねえちゃん!! こっちに!」


 遠くだったけど、たしかに目があったと思ったから。

 相手コーナーキックのボールは少し半端な位置で、それは旬なら届く場所。

 旬がその左手を伸ばせば。


 旬は……今日かぎりの東女の守護神は、指先一つでボールの進行方向を変える。

 そこには、私しかいなくて。

 すぐにそのこぼれ球を拾う。あとは敵陣のセンターバックとのキーパーのみ。


 さっきは、夕実さんにパスしたけど。

 このボールは渡さない。


 1対1のシーンで競り合うことをサッカーの用語でデュエルっていう。

 まさにいまはデュエルのとき。


 ボールのスピードは落としちゃダメ。

 フェイント、ターン。

 切り返して、もう一度。まえに。

 

 違う。

 相手のディフェンダーは私の小手先の技は全部見切って、ただどっしりと構えてる。やっぱり……パスを。

 それはだめだ。


(――だって。旬からのパスだから)


 イメージして。イメージして。イメージして。

 ただ一点。突破する方法だけ。


「……見えちゃった」


 ボールを掠めるように右足を逸らせて。

 たしかに体まではつられてはくれないのだけど。


(それでも足は。その足の開きだけは少しは空くもんなんだよね)


 左足のアウトサイドで真ん中に蹴りだしたボールは、相手ディフェンスの股の間を転がるようにして抜ける。そのまま、身体を私は私自身の体を相手の右側から駆け出してもっていく。

 抜き去ればあとは。そのボールを拾うだけ。


「抜けた――」


 慌てて飛び出してくる相手チームのキーパーの動きも、全部見えてる。

 だから、最後は。


――ふわりと浮かせたループシュートで。


 浮き上がったボールは、キーパーの頭上を抜け。

 そして、ゴール手前で落ちて、そのラインを割った。


 ゴールが決まったことが嬉しかったんじゃなくて。

 失ったと思ってた鏡映しの存在が傍にいることが嬉しくて。

 それと、気づいたことがある。


「やっぱり私、めちゃくちゃ旬が好きなんじゃん。……なんつって」

 

 あ、やば。涙出てきた。


 だれかに見られるの恥ずかしいし。

 ウェアの首元をひっぱって、とりあえず汗と一緒にふき取ることにした。


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