第9話 裏垢女子は夜ふかしのせいで、いつも気だるい
「アリスちゃんって子が心配してるぞー? なになに、博多駅口のとこのエレベーター前にいるんだってよ」
「友達置いてナンパ待ちとかウケる。この子も呼んじゃうかー?」
「……やめて。有栖のことは関係ない。じゃない」
「なんだよその目は。立場わかってんの? おら」
迂闊だった。だから、これは自業自得なんだけど。
カラオケのドリンクバーの前で、声をかけられるのを待って、こいつら3人が釣れたまでは良かったんだけどね。
少しガラの悪い連中だってことも見てすぐわかったし。普段だったらそういう相手は最初から目を合わせない。
関わったら面倒なのもわかっていたけど。勝負にこだわってしまった。
なんとか卒なく断ったんだけど……たしかそのときに。
――あー、ドリンクなに飲むの? コーラ? カルピス?
そんなやりとりがあって、入れてもらったジュースをもって自分の部屋にもどって……。気づいたら眠気があって。
気づけば、先程別れたはずの、こいつらが部屋にいた。
ドリンクバーの飲みものだったから油断したけど、なにか盛られたんだと思う。
勝手にスマホを奪われて、たぶん財布とかも盗られてるかもしれない。
でも、なにより。
こいつらの狙いが私の身体目当てなのはその目つきでわかるし。
それが、有栖ちゃんに向くのは嫌だった。
(怖い。泣きそうだけど、泣いたら負けだから。涙を流す女の子に男の人することは、その手を止めることなんかじゃなくて、勝手な慰めの行為だって。私は知ってる)
意識はあるけれど、身体がうまく動かない。
タバコのヤニ臭さと、男性向けの香水のやけに水っぽい匂いが合わさって気持ち悪い。男たちに囲まれて、そのうちの一人がシャツをたくし上げる。
あの子のために少しだけ気合を入れてみたもの。
桜のような薄いピンク色の下着。
それが露わになるのを、私は恥ずかしくも悔しくも思うのに。
声を出すことも涙を流すことも――
したくはなかった。
――助けて。って、言葉はとても無神経なものだもの。
それは私だけの不幸を、その相手にも否応なく分け与える行為だから。
だから、有栖ちゃん。絶対に私を助けになんて来ないで。
***
「ちょっと、ごめんなさい! 先、通してください」
カラオケのロビー。会計待ちをするカップルの間を割いて、割り込む。
気だるそうな女の店員がいた。
――ビンゴ。
榊の目はたしかで、その店員の制服は画像のものと一致している。
まだ若い、たぶん俺と同じくらい。
高校生くらいのバイトの子だったけど俺はなんとかシロちゃんのことを聞き出すために、その子へスマホの画像を出して話かける。
「……あのぉ、困るんですけど。ならんでください」
「いや、客じゃないの。友達を探してて! この子、ここにいなかったですか」
「そう言われましても……あー見ましたよぉ……たしかそこのドリンクバーのほうで3人組のお客様たちと話してましたから。で、もういいですか?」
「……もしかしたら、なにか事件に巻き込まれてるかもしれなくて。連絡とれなくて、心配で」
「でも、それって私の仕事じゃないですよね……」
「……せめて、シロちゃんの、この子の部屋の番号教えてくれませんか」
「はぁ……そういうの怒られるんですけど。ま、いっか。どうせ辞めるつもりのバイトだしぃ」
話がわからない子だと思ったけれど、案外あっさりだった。
そのとき、ふと全く違うことに気がついた。
この子の黒髪。たぶんウィッグだ。
バイト向きに真面目なふりをしてるのかもしれない。余計な詮索かもしれないけど。気になれば、他の部分にも目がいくもので。
それは開けられたピアスの穴だったり、指先のネイルだったり。
自然に鼻孔をくすぐる、彼女の香水のそれだった。
お洒落な子だなと。すこし、思った。
――12番。
奥に入ってつきあたりを左。
その情報だけ、その子から聞いて俺は先に向かう。
部屋は外からみて、やけに暗かった。
ドアの前に目隠しするように男性ものの大きな黒いパーカーが垂れ下がっていた。
それは。
もちろんシロちゃんの持ち物ではなくて。あのロビーの店員さんが間違えた番号を言ったのではなければ、そこにシロちゃん以外の誰かがいることは明白だった。
意を決する。
なんて、悠長なものじゃなくて。勢いのままに俺はその扉を開けた。
「シロちゃん!」
「……ッ!? あ……りす」
服をはだけさせられ、下着越しではあるようだったが、男達がシロちゃんを弄んでいるのは明らかだった。
シロちゃんは涙を流してはいなかったけど。その目を一目みてすぐにわかった。
それが合意のもとでのことではないことくらいは。
――許せない。
「へえー、君がアリスちゃんねぇ。全然こいつ君を呼んでくれないから、自分から来てくれるとは。3人で1人じゃ足りねーからさ」
「で。そんな睨んでるけど。どうすんの? やるの? それともヤりにきたの?」
下品な言葉使いと笑い方。
俺はその拳をぎゅっと固く握りしめる。同じ高校男子のそれと比べても一回りくらい小さいものかもしれないけど。
「ほら、やってみろよ。女の子のかわゆいパンチ力見せてみろって」
(こんなやつが、シロちゃんに触ったの……)
余裕面をして、のっそりと近づいてくる大男は、ヤニ臭い匂いがした。
***
最初の俺の一発は、たぶん効いたと思う。
それを、彼らは予想していなかっただろうから。
女の子の拳が鍛えられた高校男子のそれと同等のものだなんて。
しかし、すぐに形勢は悪くなった。
「痛ぇじゃねーか! おら!!!」
そう言って男の1人が、俺の左腕を掴んだとき、激痛が走った。
まだ完全には治りきっていない中学のときの古傷に触れたのだろう。
「……ッ! ぃたッぃ――」
泣きそうなくらい、いや実際に涙を浮かべていたかもしれない。
それくらいの痛みは、俺の意思を折るのには十分で。
それは、長年続けたスポーツを辞めるきっかけになるくらいのものだったから。
――2個差であきらめる?
脳裏に浮かんだのは、シロちゃんからの言葉だった。
全く違う場面、状況ではあったけど。
あきらめる。という言葉が俺は心から悔しかったんだと思う。
今の事態もそうだ。諦めたくはないけど。それでも、さすがに3対1だとどうしようもない。
簡単に抑えつけられて……男の身体が、『有栖』にのしかかる。
新見旬、だとは彼らは思ってもいないし。俺自身もそんな男としての力も気概もなくて。
俺はその場で、無力な『有栖』でしかなかった。
「……もぉ、やめてあげて。私ならなにしたって、いいからぁ」
舌っ足らずな言い方をするシロちゃんの発声で、アルコールか、薬かはわからないけど、盛られていることがわかった。
だから。
こういう状況になったのだということも。こいつらが手慣れてやってるってことも。そこまで、わかってるのに。意識はしっかりしてるのに、身体が動かせなくて。
冷静なはずなのに頭がおかしくなりそうなくらい、パニックになってる自分がいた。
『そ。自衛はたいせつよー? 女の子は強いようで弱いんだから。大声だして助けを求めるくらいの気概がなきゃだめだからね。さっきの有栖ちゃん、いいカモって感じだったもん』
シロちゃんの言葉を思い知らされた。
(男のひとに押し倒されるの、めちゃくちゃ怖いじゃん……か)
たしかに、弱い。と思った。
だって、ほんとに怖い。
でも……。
乱れた呼吸だとしても、できるかぎり大きく息を吸う。
「……、きゃ――――ッ!!!」
金切り声。
自身の声で鼓膜を割りそうだった。高くて鋭い声をあげた。
「おぃ! でけぇ声出すんじゃねぇ!」
カラオケの防音設備がどれくらいのものか、わからないけど。これは賭けだった。
俺自身の力じゃなくて、誰かほかのもの。他人に期待するしかない賭けだった。
殴られてもいい。せめてシロちゃんが逃げるきっかけになれればと思ったんだ。
「あのぉ……他のお客さんの迷惑になるんでぇ。そういうのやめてくれませんか?」
現れたのは、先程の黒髪のバイトの店員だった。
「なんだぁ? 見てわかんねーのか。てめぇも犯すぞアマ」
「……いまの、録音してるんでー。てか、カラオケって全部録画されてんすよね。……あー、てんちょー。面倒なんで私今日辞めますねぇ。あとケーサツ呼んどいてー。私このまま帰りますので」
男の恫喝に動じることなく、片手はスマホを持って。おそらくこの店の店長へ連絡をとる。もう片方の手にはボイスレコーダー。
「はぁ? ちょっとしたジョークだろ。本気にすんなや。行くぞお前ら」
彼女の発言が事実であるとわかると、男どもは顔面蒼白になり、慌てて荷物をまとめだした。
(助かったの……かな)
「……面倒起こさないでくれますか。あと、人数追加分の料金と訂正伝票、こっち置いときますね。あー、打ち直すのめんどくさかったんすよ……このあとまだ2時間もバイトとか。だる」
――え? さっき、辞めるって。
俺のそう思って見ていた目線に気づいたのだろう。
バイトの子は、(意外と?)可愛い顔をして悪戯に笑って口にする。
「あーこのスマホ? これ落とし物入れからもってきた動かないやつっすよ。てんちょー怖いんで、辞めるとか……そんなこと言えるわけないじゃないですかぁ」
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