第8話 裏垢女子は♥=いいねの数を気にしてます

 市河達が店を出るのを見送り、再び二人きりとなった席。

 それまで小悪魔的な笑みを浮かべていたシロちゃんだったが、いまは少し不機嫌に見える。その理由は、俺が敵前逃亡した挙げ句、元いたカフェに引きこもっていたからだった。


「勝負の最中にお茶してるって、だいぶヨユーじゃない? それとも作戦?」

「……もうわたしの負けでいいって。実際あと30分でシロちゃんは8個、わたしは4個だし」

「違うよ? さっきの市河くん達の分で2個追加だから、有栖ちゃんは6個だもん。2個差であきらめる?」


 そう言ってシロちゃんは、俺の腕を取り(あたりまえのように手を握って)タトゥーシールを貼り付ける。

 これで、たしかに俺の腕にある♥の数は6個になった。


 でも、街を歩く男の人たちを、ただ単純に怖いと感じたということには変わりはなくて。もう一度外を歩こうという気持ちになれないでいた。


「わ、わたしね――」


(これ以上は続けられないかもしれない)

 

 その言葉は遮られてしまう。

 俺の唇に、彼女の伸ばす指先が押し当てられたからだ。

 

「だーめ。今日のデートは私がプランした通りにやること。いい?」

「……でも」

「じゃあ、そうね。有栖ちゃんが勝ったら私は君の前から消えてあげる。それだったら、心配なんてなくなるでしょ」

「なに、言ってるの?」


 確かに、このデートは『口封じ』のためだけど。


「言葉のままの意味。学校だって転校するし。……前だってそうしたから」

「え? それって――」

「有栖ちゃんが勝ったら、ぜーんぶ話してあげるし、身バレのことを気にすることはもうないって。ね? だから、全力だして残りの時間で私を超えてね!」


 そう言ってシロちゃんは微笑みながら、腕のタトゥーシールを見せつける。

 これ以上は話ません。と言わんばかりに、席を立つ。


「……ひとつ聞かせて」

「なーに? 有栖ちゃん」


 振り返らずにシロちゃんは言葉を返す。

 

「シロちゃんが勝ったら、どうするの?」

「……秘密♥」


 それは飲み干したばかりのマキアートよりも甘い言い方で。

 身震いするくらいの、怖さのようなものを孕んでいた。


       ***


 目が合う。一度目は偶然かもしれないと思う。

 でも、二度その目と目があったとき、その相手は『有栖』に興味を持ってのことだとわかる。

 すぐに目を逸らすのは何かしらの後ろめたさを、その相手が持っているから。


 だからその視線に気がついたことを知らせる。

 ちょっとだけ目を細めて微笑む。そして、ほんの少し首をかしげる。


――あれ? この人って知り合いだったかしら

 そんな具合に。


「君、ちょっといいかな。あ、僕ぜんぜん怪しいものじゃないんだけど」


 あとは、こういうふうに声がかかるのを待てば良い。


(怪しいものじゃないって自分で言う人がいちばん怪しいんだけど……)


 大変なのは断ること。

 こればかりは慣れなくて、正直、いまは時間が惜しい。


 自身の腕をチラ見するのは腕時計の確認と、♥の数の確認。

 いまここにいる30手前くらいのお兄さん?(おじさん?)の分で9個目。

 さっき別れたときのシロちゃんの数を超える。


 と思ったのだけど――。

 

 ピンク色の端末が震える。


「あ、ごめんなさい。ちょっと知り合いから連絡が入ったみたいで」


 その内容は、明らかに俺の敗北を決定づけるものだった。


<3人組から声かけられちゃった。ごめんねー、私の勝ちかな>


 そこには、♥のステッカーを手にしている彼女の自撮り写真。

 腕の♥の数は、別れた時同様の8個だが、3個が乗れば11個でまず、俺の勝ち目はなくなる。


 時計が示すのは14:55分。ほとんどタイムアップだ。

 おじさんに、予定が入ったことを告げて、俺はシロちゃんとの約束の待ち合わせ場所まで向かうことにした。


(あーあ、最後結構頑張ったんだけど……負けちゃったか)


 でも、負けてよかったとも思う。

 たぶんだけど、俺は(わたしは、かもしれないけど)、仲田さんと(シロちゃんと)もっと一緒にいたいから。


 全部の秘密を彼女がもし吐露したとしても……受け入れよ。うん。

 もとより、なんの覚悟もなしに、やってることでもないんだから。

  

       ***


「遅い……。いくらなんでも」


 腕時計の針が示した時間はすでに15:30。

 苛立ちとかではなくて、不安。心配。たぶん、怖いんだと思う。


(なんでだろ、振り回されてるはずなのに――)


『もう、博多口側のエレベーターの前にいるんだけど。シロちゃん、どうしてるの? まだ時間かかる?』


 そんなメッセージを送ってからはや10分を過ぎて、既読はつかないでいた。

 通話も、繋がらなかった。


――じゃあ、そうね。有栖ちゃんが勝ったら私は君の前から消えてあげる


 シロちゃんが少しまえに口にした、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 まさか、このままいなくなるなんてこと……。


(……待ってよ、わたしは9個。シロちゃんはもっと多いじゃない)


 そう言いたかった。

 もう一つの可能性も頭に浮かぶ。それは、俺が、俺自身が今日ナンパを受けて感じた恐怖心にもとづくもので。

 3人組って、書いてあったよな――。無理やりどっかに連れ込まれてたりとか。

 そういうこと、ないよな。

 無いといいけど。


「……考えてても、仕方ないじゃん」


 有栖の端末側であるLINEグループを開く。

 つい先程シロちゃんが半ば無理やりつくったもの。

 市河と榊とシロちゃんの3人に俺(=有栖)を含めた4人のグループ。


『詩帆とはぐれちゃって。連絡とれないの、二人、まだ駅近にいたりするかな』


<あ、Aliceさん。仲田さんがどうしたって? 俺たちはまだヨド○シあたりをぶらぶらしてるけど>


『……知り合ったばかりで、こんなこと言うの迷惑かもしれないけど。さっき、わたしの態度も良くなかったし……でも、捜すの手伝ってほしい、です』


<オッケー、気にしなくていいぞ! とりあえず筑紫口前で集合しよう>


 市河からのメッセージと、追随するように榊の「OK!」といったスタンプ。

(良いやつら、なんだよな)


 博多駅内を数百メートル横切るだけなので、集合場所へはすぐにたどり着く。

 そのときには、もう筑紫口方面にいた二人の姿があった。


 顔を合わせる少し前、スマホのフロントカメラで念のため自身の顔や髪、メイクの状態だけは見て、問題がないことを確認する。


 有栖が有栖であることを確認したうえで、悪友ペアと合流する。


「ごめんね、急に呼び出しちゃって。ほんと……」

「いいっていいって。俺たちマジで暇してたから! いつもはもう一人友達がいるから3人でカラオケとか、行ったりするんだけどさ」

「……二人でカラオケはなんかホモっぽいから行きたくない」


 市河の話に食い気味で榊が言葉を被せる。

 もう一人の友達はいま目の前にいるのだけど。絶対に、まじで絶対に言わない。


「……この写真なんだけど。ちょっと見えづらいけど。どこかわかったりしないかな」

「ちょっと見せてみ?」


 シロちゃんの自撮り写真を市河と榊に見せる。

 少しでもアテになることがあれば、3人で探せば見つかるかもしれない。


「多分、カラオケだ。ほら、後ろのほうピンボケしてるけど、見切れて店員さんの制服写ってるだろ。すぐそこのカラオケ屋だな」


 そう口に出したのは榊だ。

 なぜ女性店員の見切れた制服姿だけでそこまでわかるのかは、あえて聞かないけど。何はともあれ、場所はわかった。

 すぐ目と鼻のさきにある店だ。

 そこにまだシロちゃんがいるかはわからないけど。急いで行かないと……。


 俺はロング丈のカーディガンを脱いで、身軽な状態になる。


「え? アリスさん。どうしたの」

「走るから。邪魔だもん、これあずかってて」


 カーディガンを畳んで市河に渡す。

 底のあるブーツだから少し走りづらいだろうけど。シャツにショーパンだけの姿なら幾分マシだ。


「……ありがとね二人とも!」

「女の子だけで、行くのは危なくないか?」


 榊が冷静にそう言うけれど。


(女の子じゃ、ないから――)


「大丈夫だよ。シロちゃん探してくる」

「お、おう。何かあったら俺らも追いかけるから、LINEして」


『オッケー』と親指と人差し指でOの字を作って合図をする。

 振り返らずに、人混みの中を全速力で走った。

 たぶん、めっちゃ人に見られてるけど。

 髪がめちゃくちゃ靡いて、ウィッグの毛先食べそうになるけど。


 サッカーをやめてから、こんなに走ったことはないってくらい。

 ただ、走った。

 

 理由? そんなの、シロちゃんに会いたいからに決まってるでしょ。


――アリスは、白うさぎを追いかけるものなんだから。


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