第5話 裏垢女子を覗くとき、裏垢女子もまた……ニーチェ的に言ってみる

『なんでナカに、いれてくれないかなー』


 その言葉の意味は、決していかがわしいものではないのだが……。


 駅に併設された百貨店の多目的トイレの薄い扉越し。

 仲田さん改め、シロちゃんの声がする。

 

――なんで、いっしょに入ろうとするんだよ!


 もちろん断ったし。それでも入ってこようとしたために締め出した。

 その結果が数分おきの恨み言である。


「もうちょっと待てって」

『そんな喋り方でいいのー? 有栖ちゃん』

「……待っててよ」


 声を変えながら俺がそう返した途端、裏垢用の端末にLINEが届く。


<爆笑>


 連絡先を交換してからというもの、ずっとこの調子だ。


 俺は既読無視のままで、キャリーバッグの中を漁る。

 ウィッグのインナーネットを被り、地毛の黒髪が外に出ないように工夫する。

 そこにシロちゃんと同じ、アッシュグレーのウィッグを被る。

 スタイルも同じような長髪。

 昨日のうちに、ヘアアイロンで巻いておいたものだ。

 

 それもまた、彼女と同じように。


『明日なんだけど、双子コーデってほどじゃなくても合わせてみない?』


 というシロちゃんからの申し出を受け入れたためだ。 


『既読スルーはよくないと思うんだけど』

「いそがしーの!」

『おっぱい盛った?』


――マジかよこの女。


「ねぇ、いちおー聞くけど。……周りにひといないよね?」 

『うん。おじいちゃんみたいな人くらいしかいない』

「いるんじゃん」


 ちなみに胸はもう盛り終わってる。

 顔も下地はある程度済ませているので、そんなに時間はかからない。


 持参した服に着替え、新見旬としての服を丁寧に畳み、

 バッグへ押し込む。


 シンプルな白のシャツに、ショートパンツ。

 上からベージュ色のロング丈のカーディガンを羽織る。


 鏡の前で体を捩ったりして動きを確認する。

 カーディガンが揺れて、ちらりとショートパンツから伸びた黒ストッキングの足が見える。


(これなら、女の子に見えるよね)


 男性用のスニーカーから女性用の黒のブーツに履き替え、靴紐をきゅっと締めなおす。

 少しアンティーク感のある蝶々のデザインのイヤーカフを耳の中ほどにはめる。

 最後に、いつものシロちゃんに合わせるようにピンク色のウレタンマスクをつけた。


 ガチャ。


 鍵を開けてそのスライド式の扉を開く。


「おまた、せ……って、ちょっと!」

「有栖ちゃんだーーー! 本物!」

「ちょっ、とシロちゃん。抱きつかないで。人見てるからー! てか、やっぱりいっぱいいるじゃん。おじいちゃんだけじゃないじゃん」


 同じコーデ、おなじ髪色をしたシロちゃんに抱きつかれる。


 女子同士がじゃれあっているように見える構図だが、内心は気が気じゃない。

 彼女の盛っていない胸が、俺のまがい物に当たっていて、間接的にその柔らかさやサイズ感が伝わってくる。 


――ずるいくらい、可愛いんだよなぁ性格以外は。


「えっと、ね。ちょっとどいて?」

「やだよ?」


 シロちゃんは、少しばかり背の高い俺のことを上目遣いで見つめる。

 アイスブルーの瞳の色はおそらくカラコンだ。

 

(ちょっと……それ、ほしいかも)


 じゃなくて、とりあえず周りの視線が気になる。


 仕方ないので、いったん引くことにする。

 引き剥がせないシロちゃんをそのまま多目的トレイに連れ帰るかたちで。


「――大胆ですね!」

「誰のせいだよ……」

「でも、結果としてはクラスメートの美少女を多目的トイレに押し込めたわけですよ?」


 鏡を見た。

 お揃いのコーデの、有栖と白兎の組み合わせ。

 じゃれてきている白兎が妹役で、有栖は姉役。そんな構図。


「……撮りたいんでしょ」

「あー、うん」

「やっぱり素直ですね。ちょっと、だけ脱いだほうがいい?」

 

 そう言うと俺の返事を待たずにシロちゃんは胸のボタンをはずしていく。

 ぷち。……ぷち。

 外すごとに、露呈する彼女の胸に目が釘付けになる。


「いや、まって、まって!」


 三番目に手を添えたところで、思わず俺はそれを留めた。


「えー。いつもシテることじゃん。私の投稿、いままでも見てたでしょ?」

「……いや、そうなんだけど。シロちゃんがその、はだけさせてるのはよく見てたけど」

「良く見てたんだ……? ふーん。へー、触る?」

「あー! いまのなし! さ、触らないですから!」


 慌てて訂正する俺のことを見て、小悪魔てきに彼女は微笑む。


「――まー、そうだねー。これくらいの露出のほうが、映えるしね」


 そう言って、さらにぎゅっと抱きついてくるシロちゃんは、そのままの態勢で俺の背中越しに片手操作でスマホのシャッターを切った。


「どう? どう? 私的にはかなり良い感じに思うんだけど」

「あー、うん。も、いいと思う」

「お? 人がいないところでも、『わたし』って言うんだねー。やっぱり、有栖ちゃんかわいー」

「えっと、もう。帰っていいですか……」


       ***


 ただ着替えただけで、どっと疲れる。

 いままで自室でしかしていない裏垢用の撮影をこんな公衆でするってのも慣れないし。

 クラスメートの女の子に抱きつかれるってのも、そんなの慣れるわけないよなぁ。


 周りの視線を気にしつつ、そのまま百貨店の1Fに位置するカフェでシロちゃんと向かい合って座る。

 心なしか、いつもより周囲の人たちから見られている気がする。

 

 そりゃあ。これだけ可愛い子がいれば。

 俺だってチラ見くらいはするけど。


「……? どうしたの」

「あ。いや、かわいーなと」


 一瞬、その瞳を丸くして。えっ? って感じの表情をしたように思えた。

 それを見て俺は、自分がナチュラルに恥ずかしいことを言ったことに気づいたが、シロちゃんは何も言わずにスマホを触り始める。


 少しして有栖のスマホにメッセージが届いた。


<……ばか。仕返しのつもりですか? そんなこと言って有栖ちゃんのほうが、かわいーんだから>


 スマホを見て少し俺は気づかないうちに笑ってしまう。

 それはマスク越しだから、気づかれていないとは思ってたのだけど。

 

「……鼻で笑うのは、いけないと思うなー」

「いや、そういうつもりじゃないんだけどね。あー、そう。このあとどうしよ。行きたいところとかあるの?」


 話を変えようと(少し強引に)話を振る。

 すると、予想外の回答が返ってきた。そして同時に俺は今日ここに来たことを後悔した。

 

「えっとね……今日のデートの本当の目的なんだけど」

「うん?」


 ビシッ!

 とか、コミック誌だったら言葉が入りそうなくらいの動きで俺を指さす。

 そして彼女は、これまたマンガくらいでしか聞かない言葉を紡ぐ。


――有栖ちゃん! 私と勝負しなさい!!!

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