§ 魯肉飯

任務

 どうやらわたしたちは、とんでもない誤解をしていたらしい。けれども、だ。


 命はひとりにひとつ。それを預かるなんて言われたら、死ぬんだな、と、思うだろう普通は。


 これ以上なく真剣なわたしに返ってきた月老の言葉は、はっきり言って、酷い。


 開口一番、極論に走っただの、早とちりだの、呆れるほどのばかだの、と、一方的に決めつけ、罵り、笑うなんて。

 わたしはまだなにも言っていないのに。そこまで言いたい放題される謂われはないと思う。うん。絶対にない。


「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」


 美しい顔面をくしゃくしゃにして、涙を流さんばかりに笑い転げている月老へ、恨みがましさをたっぷり込めた一瞥をくれてやる。


 どれだけ笑えば気が済むのか。いいかげん気分が悪くなってきた。


「私は命を『預けろ』と言ったまで。『取る』とはひと言も言っておらんぞ。ククク」


 まだ笑うか。


「いつまで笑ってるんですか! こっちは命を預けるって言ってるんですよ? なにをすればいいのか、早く教えてください」


 不愉快な気持ちをたっぷり音声に乗せると、笑い声がピタッと止まった。

 睨みつけるわたしを見た月老が、一瞬丸くした目をすぐに細めて、口角を上げ頷く。


「おまえのその度胸。気に入った。私の弟子になれ」

「はい?」


 友人とその家族の想いに応え死者と婚姻を結ぶ、情の厚さ。突然の怪奇現象に狼狽しながらも、あっという間に受け入れ馴染んでしまう、図太い神経。見ず知らずの相手に突然命を預けろと言われ、後先も考えずに決断するその、無謀さ。


 まことに素晴らしい、と、満足げに独り言ちる月老。


 これは——褒められているのか、はたまた、ばかにされているのか。どっちだ?


「月老! なんとか言ってくださいよ!」


 うむ。と頷いて、ニヤリと思わせぶりな笑みを浮かべた月老が、さらさらと茶壺へ茶葉を落とす。


「いつまで突っ立っているつもりだ? 座りなさい。茶を淹れてやろう」


 もともとそこまでのつもりはなかったのだが、との前置きをして話しはじめた月老は、もう一度はっきりと「林美鈴。おまえが私の弟子になることを条件に、阿海の魂を消滅から救ってやる」と、言った。


 月老の弟子になる。それは、月老の元で修行をし、ゆくゆくは月老に近い位を得ることらしいけれど。


 位ってなんだろう? 修行ってなにをするんだろう?


 月老の生業、婚姻紹介所を手伝えばいいのかと訊けば、まあそんなものだ、とお茶を濁され、詳細はそのうちわかると言われてしまえば、はいそうですか、と、受け入れるほかなく。


 命を預けると言った以上、その結果がどうであれ引き下がるつもりもないわたしは、多くの疑問を抱えながらも、黙って月老の要求を受け入れた。


「では、私の弟子(仮)のおまえに、重要なミッションを授けよう」

「はあ? あなたの弟子()ですか?」

「そのとおり。私の弟子()だ。これから授けるミッションをクリアできた暁には、おまえを正式な弟子にしてやる。心してかかるように」

「…………」

 ——ミッションだなんて。カッコつけちゃって。


「なにか言ったか? 小鈴」

「あ? いいえ、なんにも言ってません。ははは……」

 ——いまのってわたし、口に出したりしていないよね?


 ジロリと睨まれ、ぎくりと顔が引き攣った。とりあえず薄ら笑いを浮かべてごまかし、表情を引き締め真剣な振りを装ってみる。


 さて、課せられたミッションは、ふたつあった。


 ひとつは、月老納得の『魯肉飯』を自作すること。


 林媽媽の店でいつでも食べられるのに、なんでわざわざ、とうっかり口にしてしまい、弟子(仮)のくせに師父に口答えするのか生意気だと叱られた。


 わたしは台北に来てから、まったく自炊をしていない。だが、日本にいるときはそれなりに料理はしていたのだ。

 魯肉飯。いいでしょう。ちゃっちゃと作ってこの林美鈴さまの腕前を思い知らせてやろうじゃありませんか。


 もうひとつは、林媽媽に『嫁』として受け入れられること。


 なぜにわざわざ『嫁』なのか。理由はさっぱりわからないが、また叱られるのも嫌なので、ここは黙っておく。


 突拍子も無いことをさせられるのではないかと、内心身構えていたのだが、意外と簡単で、なんだか拍子抜けだ。

 なにはともあれ、林媽媽はわたしを娘のようにかわいがってくれている。だから、このミッションもまず大丈夫。簡単にクリアできると思う。


「ミッションを遂行する足しに、これを授けてやるとしよう」


 月老が上に向けて開いた掌から、紅く光る石が浮かび上がる。

 空中を移動してきたそれが、細い紐状に姿を変えたかと思うと、しゅるしゅるとわたしとカイくんの手首に巻きついたから驚いた。


 すごい。どんな手品?


「あの……なんですか? これ」

「縁結びの紅線だ」

「縁結びの?」

「紅線?」

「そうだ。これがあれば、一定期間天空碧の効力を抑えられる。どうだ? 違いがわかるか?」


 違いと言われても——。


「……あ?」


 そう言われてみれば、さっきまであった気怠さが消え、体が軽くなっている気がする。それだけではない。なにかが、体のなかから湧き出るような……これがこの紅線の作用?


「阿海、おまえもだ。これで魂が安定し、少しの間なら小鈴から離れることもできるだろう」


 隣に座っているカイくんに目を向けると、驚いたような顔をして両手を開いたり閉じたりしていた。わたし同様、カイくんにも変化があるようだ。


「月老……これ?」

「タイムリミットは、次の満月だ。次の満月を過ぎれば、阿海は消滅する。当然、弟子入りもない。わかったな?」


 満月は昨日だったか一昨日だったか。月の周期はたしか、一ヶ月もないはず。いずれにせよ次の満月なんて、すぐじゃないか。


 突然湧き出た緊張感に、体がぶるっと震える。冷静になっていく頭のなかで、それまでもやもやとしていたひとつの考えが、はっきりとした形を持った。


 この人は、只者ではない——只者なわけもないのだがでも、何者?


「心配は要らない。さて、今日のところはこんなものだろう。小鈴、土産だ。持って帰りなさい」


 ぽいっとドライマンゴーの紙袋が、わたしの膝に乗せられた。




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