代價

「月さん、それでオレたちは……」


 ドライマンゴーに目もくれず、話の続きを促すカイくんは、妙に真剣だ。

 ふと、左の瞼がピクピク痙攣し出した。なにか、嫌な予感がする。


 天空碧と呼ばれるこの宝石が、わたしとカイくんを縛りつけている理由それは——


 一、冥婚の儀式を行ったこと。これによりふたりの魂が結ばれた。

 二、わたしが身に付けることで、天空碧の主となった。

 三、カイくんがわたしに想いを寄せている。


「……つまりだな、阿海の強い想いと冥婚の儀により結びついたおまえたちの魂に、天空碧の力が作用したのだ。ゆえに、おまえたちは離れられない。これだけ条件が揃うとは、まことに珍しい事例だな」


 うんうんと、満足そうに頷いている月老に、ちょっとイラッとした。


 お茶を啜り、二つ目のドライマンゴーを咀嚼しながらしばし熟考。困ったな、このドライマンゴー、おいしすぎて止まらなくなる。


 月老の言う意味はいまひとつわからないが、とりあえずわかったと仮定して考えなければ先へ進めないのは、わかる。


 冥婚の儀式とカイくんの気持ち。これは、言われた言葉のままに飲み込んでいいだろう。

 だが、天空碧だけがやはりわからない。たかだかアクセサリーではないか。そんなものに不思議な作用を引き起こす力があるなんて。


「その天空碧は、ただの宝石ではない。それには、魂を浄化する強い力があるのだ」

「はぁ?」

「魂を浄化する力?」

「そうだ。その石は、死者の魂を取り込み、浄化するのだ」

「これが、ですか? でもこれ、どこにでもあるごく普通のアクセサリーですよ?」

「そうですよ。宝石店で買ったごく普通のペンダントなのに?」

「どういう経緯でこんなものがおまえの手にわたったのかはべつとして……これは間違いなくそういうものなのだ」


 そういうものってなんなのだ?

 ただの青い石としか思えず納得はできないけれど、そのまま飲み込むしかなくて。


「……わかりました。このペンダントはそういうもの・・・・・・だということにして、魂の浄化ってなんですか?」

「魂の浄化は、浄化……言葉どおり、汚れを清めること、だな」


 それって、水の濾過に使われる活性炭と似たようなものだろうか。


「浄化された魂は、どうなるんですか?」

「浄化された魂は、その天空碧に取り込まれ同化する。つまり、完全に消滅するわけだ」


 魂の汚れを浄化する——個人の欲望や意識を清め、無色透明、つまり無に帰する、と。


「完全消滅なんて、そんなこと……」

 ——カイくんの魂が消えてなくなるなんて!


 月老を見つめるカイくんの横顔に表情はなく、目にも色がなくなった。


「回避するほうほ……」

「それは、リンリンにも影響があるんでしょうか?」

「カイくん?」


 大丈夫だから、と言うように、カイくんは微笑み、わたしの膝に手を置いた。


 ちっとも大丈夫じゃないよ?

 カイくんは、消えちゃうんだよ?


 取り乱しかけたわたしの膝をカイくんの指が撫でる。ないはずの温度が伝わる気がした。


「うむ。影響は、ある。石は持ち主の精気を吸い、その浄化作用を加速させる。これにより、このお嬢さんは、天寿を全うすることができなくなるだろう」

「……リンリンも死ぬんですか?」


 死。恐る恐る問いかけたそれに、わたしも息を呑んだ。


「すぐにというわけではないが——そうだな。寿命が九十歳であれば、せいぜい五年、八十五歳程度には縮まるだろう」


 大げさな! と、大声で叫びたい。


 なにが影響がある、だ。九十歳も八十五歳も大差ないじゃないか。そもそも、その年齢まで生きているかどうかすらわからないのに。それよりも。


 カイくんは肉体を失い、霊魂になってしまった。その上さらに、魂まで消えてカイくんの存在そのものがなくなってしまうなんて。そんなの残酷すぎる。これはまるで、二度目の死刑宣告じゃないか。わたしは絶対に受け入れられない。


「魂の消滅を回避する方法はないんですか?」

「回避する方法は、ある。あるが、そのためには、林美鈴、おまえが大きな代償を払うことになる」

「代償?」

「おまえの、命だ」

「命……」

「そうだ。おまえが私に命を預けるならば、阿海を助けてやらんこともない」

「ほかに方法は?」

「ないな」


 それが魂の消滅を防ぐ唯一の手立てだと、月老は言った。


 命を預ける——つまり、わたしも死ぬのか。わたしが死ねばカイくんは、カイくんのままいられる。


 最終宣告をした月老が、薬缶を手に取った。茶壺にお湯を注ぎ、薬缶を戻して蓋をする。月老がお茶を入れる手つきは優雅で美しい。


 一連の動作を目で追うわたしは、もう、なにも考えられなかった。唯一の答えだけが頭のなかをぐるぐると回っている。


「わかりました」


 カイくんが席を立った。


「阿海、いいのか?」

「リンリン、帰ろう」


 手を取られ、呆然としたまま立ち上がったわたしは、カイくんに外へと連れ出された。


 外へ出た途端、ギュッと握られていたはずの手の感触が消えた。カイくんはそのまま歩みを進めていく。その背を眺めつつも、わたしの足は止まったままだ。


「わたし……嫌だよ」


 言葉がひとつ小さく溢れ出ると、頭を覆っていた霧が晴れるように気持ちが高ぶっていく。振り返ったカイくんと視線が交わった。


「リンリン」

「嫌だよ。カイくんが消滅しちゃうなんて、そんなの絶対に嫌だ」

「リンリン、もういい。この話は終わりだ」

「なんでもういいの? なんで終わりなの? このままじゃカイくんは!」

「落ち着けって。冷静になって考えてみろ」


 こんなときに。こんなときなのに。冷静になんてなれるわけがない。


林美鈴リンメイリン!」

「……!……」


 カイくんが声を荒げた。


「いいから、オレの話を聞け。だいたいさ、変だと思わないか? あの人は、オレが見えるんだぞ? それだけじゃない。あの部屋で、オレは茶を飲んで、おまえに触れて。オレはもう死んで霊魂だけになってるんだぞ? そんなの、怪しすぎるだろう?」


「でも……」

「オレが死んで、そのうえおまえまで死んでどうするんだよ? それでいいのか? そんなんで本当に解決するのか?」

「そんなことわかんないよ! だけど」

「でももだけどもない。オレのためにおまえが月さんの口車に乗せられるなんて、オレはごめんだ。だから——」

「だからなに? カイくんが消滅しちゃったら、林媽媽や芙蓉姐になんて言えばいいの? これからずっとカイくんの思い出話が出るたびに、跡形もなく消滅しちゃったことを思い出すんだよ? わたしのせいで、わたしが自分の命を惜しんだばかりにカイくんが消滅しちゃったなんて、林媽媽と芙蓉姐に言えない!」


 わたしだって——そんなの絶対に嫌だ。


 涙を拭い、立ちはだかるカイくんの体をすり抜け、来た道を走った。


 勢いよく扉を開けて飛び込んだ部屋には、先ほどと同じく涼しい顔をした月老が、お茶を啜っていた。


「リンリン! 帰ろう!」

「嫌よ! 帰らない!」


 帰る帰らないの押し問答を繰り返した挙げ句、カイくんを振り切ったわたしは、月老に向かって叫んだ。


「わたしの命を預けます。だから、お願いです。助けてください! カイくんを消さないで!」


 カイくんが消えてなくなってしまうくらいなら、わたしは——。




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