月老

 それから暫くの間、ああだこうだと話し合い、わたしの「理由がわからないと気持ちが悪い」との言葉に、カイくんはついに折れた。


 理詰めで攻めてくるカイくんを言い負かしたのは、今回がはじめて。

 何事も説明がつかなければ納得できないところは、理系男子の弱点にもなりうるということか。

 次からはこの手で攻めようと内心ほくそ笑んだ。


 目的地は、三階建ての古びたビルの一階。

 ところどころに錆が浮かぶ鉄製ドアの中央には、掠れた文字で『月老婚姻紹介所』と書かれた小さな表札が掲げられている。


「なあ、ホントに行くのかよ?」

「もちろん」

「おい……」

「いいから黙って。行くよ!」


 息を大きく吸いゆっくり吐いて、ドアの横の呼び鈴を押す。間を置かず静かに開いたドアから「おじゃまします」と、そっと足を踏み入れ、様子を窺った。


 背の高い観葉植物が並んだその向こうには、オリエンタルな透かし柄のパーティーション。

 静けさに不安を覚え、一瞬、引き返そうかと迷ったが、ふと、足元に気配を感じ視線を下ろす。そこには——。


「猫?」


 薄クリームの地色に黒い縞模様。艶々と滑らかな毛並みの猫が、わたしを見上げていた。


 驚かさないよう、そっとしゃがみ込む。正面から覗き込んだその瞳は、片方がコバルトブルー、もう片方はダークグリーンで。


「すごい。きれい……」

 ——こんなにきれいな猫、見たことない。


 自分がいま、どこでなにをしているのかをも忘れ、美しいその猫にしばし見入ってしまった。


「シャーッ!」

「わっ?」


 突然の威嚇に驚き、その場に尻餅をついた。


 わたしを睨みつける猫は背中を丸め、臨戦態勢。飛び掛かられる。そう覚悟したとき、奥から笑いを含んだ声がした。


瑯嬌ランヂャオ


 その声にピクリと体を震わせた猫が、攻撃態勢を解除した。目は相変わらずこちらを睨んだままだが、とりあえずの危機は去ったらしい。


 ほおっと息をついたところ、さらにわたしをひと睨み。そして「ふんっ!」と、顔を背け奥へと消えた。


「かっ……かわいくない」


 見た目は美しいが性格は獰猛。飼い主のお里が知れるぞと、心のなかで悪態をつく。


「こちらへ来て座りなさい」


 猫と同じく、偉そうな声がわたしを呼んだ。


 いまさら逃げることはできない。恐る恐る奥へ進むと、パーティーションの向こうで目的の人物、月老が微笑んでいた。


「ちょうどよかった。いま、茶を淹れたところだ」


 壁を背に座る月老に促され、ふたり掛けの籐椅子に座り、向かい合った。

 なぜだろう。小さな茶杯とお茶請けのナッツやドライフルーツの小皿が三つずつ用意されている。


「瑯嬌が失礼した。ふたりとも、まずは茶でも飲んで落ち着きなさい」


 ふたりとも?


 その言葉に驚き、ハッと隣を振り返る。


 カイくんは硬直したように突っ立ったまま、その目だけが訝しげに月老を睨みつけていた。月老はやはり、カイくんが見えるのだ。


「茶が冷める」


 本格的な工夫茶ははじめてだ。茶杯を手に取った。

 美しく澄んだ薄黄色の緑茶は、鼻先に近づけただけでほわっと甘く香る。

 そっとひとくち啜れば口いっぱいに広がる深い味わい。うっとりと、まるでお酒に酔うようなふんわりとした心地よさが体に広がった。


「阿海、おまえもだ。飲みなさい」


 カイくんは促されるままに手を伸ばし、茶杯を両手に持った。不思議そうに眺め、それを一気に煽る。


「嗜みのない奴だ。そんな飲み方では、味もわからんだろう」


 うそっ? 幽霊なのに、お茶を飲んだよ?


 カイくんは、空になった茶杯を手にしたまま呆然としている。もちろんわたしも現実とはとても思えない事象を目の当たりにし、目を見開いて固まった。


「そら、二煎目だ。ゆっくり飲みなさい。飲みながら話しをするとしよう」



 月老は口角に微笑みを乗せ、上品に茶を啜っている。


 カチカチと柱時計が時を刻み、薬缶がシュンシュンと音を立て、時間だけが静かに流れていく。訊きたいことは山のようにあるのだが、言葉が出てこない。


「まず、死者は……」


 茶杯を手で弄ぶ月老が、沈黙を破り語りはじめた。


 死者の霊魂は——はじめに、案内人より届け出用紙を受け取り、生前の居住地、指名、年齢を添え、死亡日時、死亡原因を最寄りの役所へ届け出る決まりだ。


 届け出が受理されると同時に管理システムへ登録される。発行された登録番号を受け取り、それを持って指定の担当課へ赴き、手順のレクチャーを受ける。


 そして、決められた日時に指定の研修施設へ出頭し、三日間のオリエンテーションと、最終日には適性検査を受ける。


「な、なんですかそれ?」


「おい、閻魔大王の話はどこ行った?」と耳打ちされ「黙って」と、うっかりいつもの調子でカイくんの脇腹に軽く肘鉄を入れた。


「え?」

「うそっ?」

 ——触った?


 ふたりとも頭のなかは疑問符だらけ。驚愕し、顔を見合わせた。


「この場所は特別なのだが、驚くのも無理はないか。まあ、あれだ。順を追って説明してやるから、先に話の続きを聞きなさい」


 わたしたちは小さく頷き、あらためて月老に向き直った。


 次に、その適性検査の結果により振り分けられたクラスで一ヶ月の研修。その後、研修期間中の適応状況と最終日に実施されるペーパーテストの成績を持って、最終面接へ進む。


 すべての課程を修了後、その総合得点に本人の希望を加味した結果を会議にかけ、担当教官の全員一致でさらに詳細な振り分けを実施し、結果を上層専門機関へ送る。


 最後に、上層専門機関最高責任者の承認が下され、配属先が決定する。


「と、一般的に死後、霊魂はこのような道筋を辿るわけだが——」


 このような、と言われても、知っていると思っていた事柄から想像できる範囲を遙かに超えているのだけれど。


「だが?」

「だが、阿海。おまえの場合に限っては、なかなか珍しいケースでな」

「なかなか珍しいケース?」

「それはいったい……?」

「そうだな。まず、通常の冥婚では、婚姻を結んだ魂同士が結びつきはするが、生者の婚姻同様、双方が片時も離れず行動を共にしなければならないということはない」

「たしかに。まあ、普通はそうですよね?」


 結婚したってそれぞれ仕事はあるし、ときにはひとりになりたいこともあるし。夫婦だからってべったり四六時中一緒はあり得ないでしょう。


「しなければならない、というか……離れられないんですけど? オレたち」


 カイくんの表情が曇る。


「ねえ、カイくん。離れられないのと一緒にいるのは違うの?」

「ああ、違う。なんていうのかな……おまえから離れようとすると、なにかに引っ張られたみたいになって、引き戻されるんだよ」

「引き戻される?」

「ああ。紐かゴムででも繋がれてるみたいな感じだな」


 繋がれているってそんな。それって。


「カイくん、もしかしてそれ、わたしに取り憑いているってこと? カイくんって憑依霊だったの? こっわーい」

「リンリン! おまえ……」


 睨んだって無駄だ。幽霊だからってカイくんはカイくん。ちっとも怖くなんかないもんね。


 カイくんを睨み返し、あははと笑い声を上げた。


「おまえたちふたりが離れられない原因は、それだ」

「それ? なに?」


 月老が鋭い視線を向ける先にあるもの。それは、わたしの首元で輝く青い石だ。


「天空碧。その石が、阿海、おまえをこのお嬢さんに縛りつけているのだよ」

「えっ?」

「そんなばかな……だって、ただのきれいな石ですよ? これ」


 指でつまみ裏表を返して眺めてみても、なんの変哲もない青い石のペンダントトップ。カイくんも不思議そうにそれを覗き込んだ。


「阿海。おまえ、その天空碧をどこで手に入れた?」

「どこって……迪化街の——月さんも知ってる宝石店だと思うけど、それが?」


 一瞬ピクッと月老の片眉が上がった。思い当たることでもあるのか。その表情が渋く変化していく。


「瑯嬌」


 月老が唐突に低い声で猫を呼んだ。


 猫が悪戯でもしているのかしら、と、振り返り、部屋のなかを見回したが、姿がない。外へ遊びにでも出かけたのだろうか。猫は自由でいい。


「仔細はわかった。まあ、茶でも飲みなさい。菓子も食べるといい。愛文芒果は濃厚でうまい」


 なにがわかったのか説明もなく、月老が澄まし顔で新たな茶を淹れた。促されてドライマンゴーをひとつ。本当だ、甘くて濃厚。これはおいしい。




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