旭海

 カイくんは、幽霊だった。


 その幽霊が、ベッドの上で正座をし、わたしと向かい合っている。

 これは、夢でもなんでもない。ついでに言えば、昨夜からのできごともすべて、正真正銘、現実以外のなにものでもない。


「足。あるんだね?」

「あるに決まってるだろう?」

「いや、ほら。幽霊には普通、足、ないでしょう?」

「幽霊の普通なんて知るか!」

「いや、だからさ……」

「じゃあ、おまえは見たことあるのかよ? ふ、つ、う、の、幽霊!」

「……見たことないです。ごめんなさい」


 カイくんは、怒っている。それはそうだろう。ただでさえ突然死んでショックなのに、せっかく会えたわたしが今度は驚いて大騒ぎし、一方的に責め立て、泣きわめいたのだから。


 挙げ句、やっと落ち着いて話しはじめた矢先にわたしが放った第一声が「足、あるんだね?」では、むくれたくなる気持ちもわからないではない。


 そうか。幽霊だからって、足がないってわけでもないのか。いや、とりあえずいま、そんな不毛な話はどうでもいいか。


 足の有無に拘る気持ちを、無理矢理切り替えよう。


「ああ、ごめん小鈴。キツかったな。悪い。おまえにあたってもしょうがないのにな」

「わたしこそ、ごめん。カイくんの気持ちも考えないで自分のことばっかり言って」

「もういいよ。驚かせたのはオレだから」

「……うん。ごめん」


 ぎこちない。相手はカイくんなのに幽霊だからか妙に緊張してしまう。


「……しかしさ、なんでおまえにはオレが見えるんだ?」

「え? 言われてみれば……。なんでだろう? わかんない」

「見えるだけじゃないぞ? こうやって普通に話もできる」

「そうだね……」

「しかもそれ、おまえ限定。媽も姐も曉慧たちも誰も彼も、オレが見えないんだぞ?」

「そうなの? 不思議……なんでだろうね?」

「うん。なんでなんだろうな?」


 ふたりして、同時に首を傾げた。


 わたしは、幽霊や心霊現象の類いの話が、嫌いではない。いや、どちらかといえば、好きな部類に入るだろう。


 子供のころは、暗闇が怖くなるのがわかっているくせに、懲りもせず夜中遅くまでその手のテレビ番組に見入ったものだ。

 そして、当たり前のように寝つきが悪く、深夜ひとりでトイレに立たなければならないという。それはいいとして。


 そんなだから、霊魂の存在そのものも信じているほう、と言える。


 だが、わたしは、幸か不幸か幽霊を見たり会話したりする力——つまり霊能力なんて特殊技能はこれっぽっちも持ち合わせていない。

 早くに亡くした一番身近な父母ですら夢に見たこともなければ、なにかの偶然で霊魂の存在を感じたなんて経験も、まったくない。


 だからなぜいま、こんな現象が起こっているのか。そこが、最大の謎なのだ。


「そもそも、自分が死んではじめて、霊魂の存在を認識したってのもなんだかな……」


 そう。カイくんは、根っからのコンピューターオタク。大学院では何度説明されてもわたしにはさっぱり理解不能なコンピューターなんとかの研究開発に勤しみ、博士課程修了後には、そちら方面の外資系企業に就職を志望していた、超現実主義の理系男子だった。


 そのカイくんが、幽霊だなんて——。


 おっと、笑っちゃいけない。


「おまえ、いま、笑ったろ?」

「笑ってないよ……くっ……」


 しかも幽霊なのに、ちっとも怖くないから、笑っちゃう。


「おい! 笑ってる場合じゃないんだぞ! どうするんだよこれから」

「どうするって言われても……わたしにわかるわけないでしょ」

「せめて死んだあとの霊魂がどうなるかくらいわかればなぁ」

「そんなこともわかんないの? 死んでるのに?」

「わかるわけないだろ? オレ、死んだの生まれてはじめてだぞ?」

「……そうだよね。わたしだって経験ないし——あ! そうだ。死んだあとって、閻魔大王のところで審判を受けて行き先が決まるって聞いたことあるけど?」


 もちろん、テレビの心霊番組かなにかの受け売りだが。


「閻魔大王? 行き先? なんだそれ?」

「うーん。なんだっけな。そうそう、生前の行いで決まるらしいよ。天国とか地獄とか……生まれ変わるとか、かな?」

「それ、本当か?」


 眉間の皺に疑わしいと書いてある。


「……たぶん」

「ふーん。たぶん、な。で? 地図やマニュアルもないし、レクチャーしてくれる奴もいなくて、どうやって閻魔大王ってのに会うんだ?」

「さあ?」

 ——そんなこと、わたしだって知るわけないでしょうが。


「それに……仮にそういうものがあったとしてもだよ? そもそもオレ、おまえから離れられないんだけど?」

「へ? なにそれ? どういうこと?」

「だからさ、オレ、ずっとおまえにくっついてるんだよ」

「ええっ? ずっと? いつから?」

 ——ちょっと待ってよ。ずっと? ずっとって?


「いつからかな? 死んでしばらくして……そうだな、葬儀のあとはまったく離れてないぞ。二十四時間片時も離れずくっついたままだな」

「うそ……」

「ホント」

「……で、でも。だったら、なんで夕べ突然に出てきたの?」

「知らない。おまえこそ、なんで突然オレが見えて話せるようになったんだ?」

「そんなこと。わたしにだってわかんないよ」


 葬儀のあとからずっと一緒にいたと言われても、姿はおろか気配すら感じなかったのだ。それなのに、いまはまるで生きているときと変わらず、顔を見て会話が可能って。


「オレだってわからない。あ、でも、もしかしたら……おまえだけオレが見えて話せるのと離れられないのは、関係がある、とは、考えられないか?」

「うん、そうだね。関係あるかも。でも、なんでわたしとだけなんだろう?」


 うーん、わからん、と、額を突き合わせ、不確かな知識ともいえない情報を元に、いくら考えても堂々巡り。答えが出るはずもないわけで。


「ねえ、誰かに訊いてみるとかは? たとえば……ほかの幽霊さんとか?」

「幽霊? 周り見回してもそんなのいないし……あ?」


 一瞬、なにかを思いついたのかキラッと瞳を輝かせたカイくんだったが、すぐにわたしから視線を逸らし、訝しげに空を睨んだ。


「どうしたの?」

「ひとりいる……オレが見える奴」

「え? 誰?」

「いや、あいつは……」

「誰よ? ねえ、なによ? もったいつけて。早く言いなさいよ」


 カイくんの肩をつかんで揺さぶろうと伸ばした手が空を切って思い出す。そうだった。実態があるわけではないのだ。


「月さん……月老だ。霞海城隍廟で会った——あのとき、あいつはたしかにオレを見てた」

「月老……」


 その名前を耳にした途端、浮かんだ確証に近い直感——あの人なら、わかるかも知れない。


「あれ? そういえば、月さん、って? 知り合い?」

「ああ。ウチの店の常連さんだよ。だけど、あの人はダメだ」

「どうして? 知り合いなんでしょう? あの人なら……」

「ダメだ。あの人はなんだか危険な感じがする」

「危険って……でも」

「まあオレは、べつにこのままでも不自由ないもんな。もういいだろ? 疲れたから寝る」



 言い終わるや否や、カイくんはベッドに転がって瞼を閉じた。ムカつく。


「ちょっと! カイくん!」

 ——疲れたってなんなのよ? 幽霊のくせに!


 わたしを無視して寝ているカイくんに、つかんだ枕を振り下ろした。




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